第47話 仲間意識

岡部さんが懲戒処分になる理由が、

どう考えても見つからなかった。


常識人で人当たりも良く、

遅刻や欠勤などもない。

まだ大雅ならわかるのだが……


何かの間違いではないかと

そう思いたかった。


始業時間が迫っていたから、

詳しい話は聞けなかった。

モヤモヤしたまま作業を開始する。


今の俺は、ただミスをせず

1日を乗り切ることで精一杯だ。


千織さんのことも

岡部さんのことも

ずっと考えている余裕などない。


「門田さん、明日の飲み会どげんすっと?」


作業中は私語厳禁なのだが、

今井くんはお構いなしで話しかけてくる。


「何言ってんの。仕事中でしょ」


どうせ大した話ではない。

前もこうして声をかけてきて

彼女との惚気話のろけばなしをしてきた事があった。

その時は話を聞いてミスをしかけたから、

今日はつっぱねてやった。


すると彼は鼻で笑った。


「ようやるわ」


「は?」


「そげん頑張ってもむくわれんとに」


中途採用では

どんなに頑張ろうと出世の道はないと、

そう言いたいのだろう。


腹わたが煮えくりかえりそうになったが、

なんとか歯を食いしばった。


そんなこと

こんな奴に言われなくたってわかっている。


だが入ったからには

新卒も中途も派遣も関係なく、

それぞれが最善を尽くす。

そうして社会は回っているんだ。


その歯車の1つになるの事の

何が悪いんだ。


総合職も一般職も

大して変わらないだろうが。


エリートコースを進むコイツからしたら

ここは研修過程の1つでしかないのだろうが、

人を見下し、

はじめから適当にやってるような奴なんて

たかが知れている。


お前みたいな奴は、

どうせ企画か営業あたりで

メンタル壊して終わりだろ。


罵詈雑言だらけの胸の内を、

言葉にしないまま悔しさだけが募った。


そんな俺を嘲笑あざわらうように、

今井くんは小声でマウントをとった。


「そういやぁ明日の飲み会、新卒限定やったばい」


全身が痺れるほど怒りで震えた。

コイツにとって俺は、

同期でも同僚でもなく

自分より下の人間なのだ。


「モンチャン!キョウモガンバッテマスネ!」


休憩時間、ケン坊が話しかけてきた。


「頑張るしかないんすよ」


「イイコトデス!マチガッテナイヨー!」


「そりゃどうも」


ケン坊はいい奴だ。

そこまで深入りしてこないし、

何よりポジティブな事しか言ってこない。


ケン坊みたいな人は、

不機嫌な時はないのだろうか。


これは国の違いではなく、

単純にケン坊が人格者なだけとも思える。


食堂のおばちゃんや清掃のおじさん達とも

親しげに話している姿を何度も見た。


そんな事を思いながら

1人でカップうどんを啜っていると

大雅が飛んできた。


様子からしてコイツも

岡部さんの話を聞いたのだろう。


「兄貴!岡部の兄貴、ヤバかよ!」


「うん。生島さんからちらっと聞いた。お前、詳しい話知ってんの?」


「おうっ。本人から聞いたばい……」


大雅はたまたま寮で会ったらしく、

本人から事情を聞いていた。


それによると原因はどうやら

家族を寮に泊めた事が、

会社にバレたという事だった。


「は?そんな理由で?」


「そんなん皆んなやっとーこつやろがい!なんで岡部の兄貴だけ……」


大雅も納得がいっていないらしく、

ふんぞり返って椅子を蹴り飛ばした。


「やめろよ。こんな事すんな」


倒れた椅子を直してやると、

大雅はこう続けた。


「たぶん見せしめったい。あん寮(あの寮)こっから遠いけん、皆んなやりたい放題じゃろ?やけん時々こげんして誰か1人を吊し上げるらしいばい。やり方がこすか!」


俺も千織さんを泊めた。

だから岡部さんがこんな事になり、

自分だけ助かった事を申し訳なく思う。


だからと言って

馬鹿正直に自首する気にもなれない。


「処分って、まさか解雇じゃないよな?」


「そげんわけなかろう?呼び出されて厳重注意ば受けて、もうやりませんっち一筆書かされて、次はなかちおどされたらしいばい」


「そっか。ならよかった……」


「ばってん岡部の兄貴、今んとこであんまし上手うもういっとらんみたいで。また何言われっか、そっちの方が気が重かろうね」


「上手くいってないって?」


「俺もよう知らんけど、ベテランばっかしで経験浅かもんは岡部の兄貴だけち言うとった。しぇからしか奴ばっかしなんやなか?」


知らなかった。

岡部さんは器用にやっていると思っていた。

もしかしたら、

俺とそう変わらない状況だったのかもしれない。


大雅はため息を吐いて

最後にこう言い捨てた。


「まっ、新人ば入れるいうこつは、そん前に誰か辞めたちいうことやけん。訳ありっちゅーことばい」


やたらと条件のいい募集要項。

学歴も職歴も資格も不問。

極めつけは年中求人を出している。

そんな企業は、

それなりの闇を抱えている。


ましてやこれだけの大所帯おおじょたいだ。

色々な人間がいて当然だ。

それはここに限らず、

どこに行っても同じだ。


そもそも俺は、

なりたい職業なんて無かった。

何がなんでも入りたいと思える企業も無かった。


たとえ憧れの職につけたとしても、

どこもブラックな一面は必ずある。


憧れて入った世界だとしたらなおさら、

現実を目の当たりにして絶望してしまうだろう。


それを見越してか企業によっては、

面接で志望動機を聞かれた際に

「子供の頃から憧れていた」

と言った時点で落とされる事もあるらしい。


経営陣からしたって、

雇いたいと思える優秀な人材は一握りで、

あとは数合わせのための

コマとしか考えていないだろう。


じゃあ何のために働くのかと考えれば、

生活のため。老後のため。趣味のため。

いつか自分の家族ができた時のため。


それはもちろんそうなのだが、

一度だって俺は、

そんな事を真剣に考えてこなかった。


ただ周りがそうしているから

嫌々働いている。

というのが正直なところだ。


「岡部さん、今日来てんのかな」


「いや、もともと今日は休みやち言うとった」


夜中だったが

連絡してみるとまだ起きているというので、

帰りに大雅と一緒に部屋を訪ねた。

すると案外元気そうにしている。


「心配ばかけてしもうたね」


「その……なんと言ったらいいか。大丈夫っすか」


「おぉ。ちーっと怒られたばってん、しばらく大人しゅうせんにゃ!」


「そうっちゃ!だけん皆んなやっとろうもん!何で岡部の兄貴だけ怒られにゃならんとね。おかしか!」


「だよな……」


自分が責められている気がして、

顔を上げられない。

だけど岡部さんは明るかった。


「いんにゃ、しょんなかたい!」


「何で〜?俺は納得しとらんばい!他の奴も吊し上げるばい!」


「そげんこつしたらいけん!皆んな事情があっとよ。俺もそうやったと」


「そういえば、何でここに泊めたんですか?前は休みのたびに帰ってましたよね?」


そう聞くと、

岡部さんはこう答えた。


「実は、離婚前に住んどった家が売れたとよ。だけん嫁と娘が、嫁の実家の佐賀に越してしもうて。なかなか会えんようになったと。ばってん娘がパパに会いたいちグズるけん。どげんもできん時だけここに泊まらせちょった。ばってんそいがマズかったばい」


「そうだったんですか……」


「ヤバか〜!そげん話されたら泣いてまうやろ〜!」


大雅は汚い泣き顔で本当に泣いた。

岡部さんはそれを見てまた笑った。


「おかげで借金は半分以上返せたばってん、またコツコツ稼いで、家族一緒に暮らせるよう、頑張るしかなか!」


岡部さんが働く理由は明確で、

家族と一緒にいたい。その一心だ。


働く意味を見出みいだせない俺からしたら、

カッコ良すぎるほどだった。


「大雅、お前って何のために働いてんの?」


「は?そりゃ決まっとう。スロットの資金ば稼ぐためったい!」


「マジか……」


「なんね〜、聞いといて」


「いや、お前みたいな奴がいると安心するよ」


「ハハハ!どげん理由でも働くだけえらか!」


「さっすが年長者!岡部ん兄貴は言うことが違か!」


「はぁ?お前今、俺のことバカにした?」


「しとらんて!兄貴は何でそげんひねくれとう?」


「うるせーよ、バ〜カ」


この2人といると、

悩んでいたことも

不思議とどうでもよくなる。


ねたむことも、

自分と比較して落ち込むこともない。


それぞれ事情を抱えている事を

うっすらわかっているせいか、

初めて仲間意識というものを感じている。


だから絶対、誰1人欠けたくないと、

青臭い事を言いそうになる。


「岡部さんも大雅も、今後なんかあったらすぐ言ってください。なんもできないかもしれないけど」


「おうっ!言う言う!ここでは、なんでんかんでん隠しごつ無しったい!」


「お前はそもそも黙っとれんじゃろ(笑)」


「ですよね。す〜ぐ愚痴吐いてましたもんね」


「何を〜!俺にも悩みばあっとよ?」


「そのうち聞くよ」


「なんね〜!兄貴が言え言うたとに!」


「ハハハ!大雅はちーと黙っとうくらいがちょうどよか!」


「そうそう!」


「なんね、2人して〜」


岡部さんは後から教えてくれた。

寮母の千賀さんは気をつけろと。


どうやらチクったのは千賀さんらしく、

社内の誰かと繋がっていて、

普段は見過ごしている寮内のアレコレを、

年に数回、報告しているのだという。


何かあった時に、

自分の立場も危うくなることを防ぐ

保身のためだろう。


入ったばかりの新人なら

周囲を巻き添いにする事はないと、

足元を見ているのだ。


生贄いけにえになるのは、いつも新人なのだ。


それを知って俺は、

寮を出る覚悟を固めた。

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