第46話 千織さんの仮住まい

爺ちゃん婆ちゃんには、

千織さんを少しの間

あずかってほしいとだけ言った。


すると二つ返事で

「早うつれてきっしゃい」

とだけ返ってきた。


長く生きてきた分、

色々な人間を見てきているだろうし、

俺が知らないだけで、

2人とも昔は相当苦労したらしい。


だからだろう。

申し訳なさそうにしている千織さんを

婆ちゃんは何も聞かずに抱きしめ、

爺ちゃんは2階の空き部屋を片付けて

好きに使えと言ってくれた。


2人が作ってくれていた夕飯を食べ、

千織さんが風呂に入っている間に、

俺は改めて2人に礼を言った。


「ありがとう。すごい助かった」


「なんね〜、水臭かこつ言うて。こっちは頼ってもらえっと嬉しかもんたい」


「特に晃(門田)は、子供ん頃からいっちょん甘えてこんかったばい?やけん今からじゃ。おっだん(自分達)の付き合いは今からばい」


「うん」


2人にはあらかた千織さんの家の状況を伝えた。

爺ちゃんも婆ちゃんも

それを神妙な顔で最後まで聞いてくれた。


その上で、いつまで居てもらってもいいと

そう言ってくれて、

自分達からは何も聞かないとも言ってくれた。


千織さんはさっき、

2人が作ってくれたご飯を食べながら、

また涙を流していた。


誰かに作ってもらったご飯を食べるのが

久しぶりだったからかもしれない。


それはごく一般的な

家庭的なメニューだった。


柳川あたりでは昔から食べられている

ドジョウを牛蒡や椎茸と一緒に

甘辛く煮て卵でとじた『柳川鍋』や、

『おきゅうと』という

エゴノリを使った心太ところてんのようなもの。

細かく切った夏野菜と赤唐辛子の漬物。

有明海で獲れた海苔の佃煮。

アサリの味噌汁などであった。


千織さんは一つ一つを味わっていた。

昔の爺ちゃんはあまり料理などはしていなかったように思う。

釣ってきた魚を捌くのも婆ちゃんだった。


だが最近は船頭の仕事も減らし、

あいた時間に婆ちゃんと一緒に台所に立ち、

料理を覚えたと嬉しそうに話していた。


「爺ちゃん料理うまいね」


「昔はっさい、男子厨房に入らず言うて、男どんが料理すっとはみっともなか〜!っち擦り込まれとったけん、ちーともやろう思わんかったばい。ばってん、なんでんかんでんやってみるもんっちゃね〜。こげん楽しかもんち知らんかったばい!」


爺ちゃんは何が作れるようになったか

俺に永遠と聞かせた。

それに対して婆ちゃんは


「助かるばってん、片付けも覚えてくれたらもっとよかとね〜」


と困った顔で俺を見てくる。


「そっか。俺も見習わなきゃな〜」


「そうったい!今時は男ん人も炊事ばできんといけんよ?」


にも角にも

2人は千織さんが来たことが嬉しいらしく、

終始テンションが高かった。

流れで俺も泊まる事になり、

昔も泊まった1階の仏間に布団を敷いた。


千織さんは2階の部屋に入り、

当然だが今夜は別々で眠る。


年寄りは就寝が早いから、

まだ21時だというのに各々寝床に入った。


とりあえず、

1番心配だったことが解決した。


あとはじっくり考えよう。

まずは生島さんから何か聞かれるだろうから、

そこでどう説明するか、

それから今すぐにではないが、

千織さんのお父さんにも連絡するべきだろうか。


いやそれは待て。

挨拶もしていない俺が

出しゃばるところではないかもしれない。

でもこのままでは……


考えているうちに眠っていた。


久しぶりに夢を見る。

幼い頃、両親と一緒に

この家に遊びに来ていた頃の夢だ。


魚の食い方が汚いと

皆んなの前で母親から叩かれた。


俺は顔を真っ赤にしながら

必死に魚を食べる。


緊迫感が皆んなにも伝わり、

静まり返って余計に緊張し、

箸を持つ手が震えた。


あれは確かカレイの干物か何かで、

食べても食べてもボロボロ落としてしまい、

見かねた爺ちゃんが

食べやすく身をほぐしてくれたはいいが、


両親からの刺すような視線を浴びながら、

地獄のような時間を過ごした。


あれ以来、俺は

率先して魚を食わなくなった。


思い出すだけで全身が硬直し、

まるで金縛りにあったような感覚で

夜中に飛び起きた。


「あぁ……まただ」


この夢を繰り返し見てきた。

そして毎度

こうして悪夢に叩き起こされる。


もうあの頃の俺ではないのに、

いつまでも記憶に刻まれているあの頃に、

定期的に引きずり戻されてしまうんだ。


忘れよう。

いい事だけイメージしよう。


再び横になると、

階段を降りてくる足音が聞こえる。


2階にいるのは千織さんだけだ。

爺ちゃん婆ちゃんはこの奥の寝室にいる。


千織さんも起きたのか。

それとも俺がうめき声でも出して

起こしてしまったのか……


音を立てないように

ゆっくり降りてきているようだが、

きゅっきゅっと階段がきしむ。


急な階段だからそれも心配だ。


無事に降りきって

そのまま台所に入ったらしい。

少しほっとした。


水を飲みにきたのかもしれない。

俺も喉が渇いている。

だからそっちに行くと


「あっ、ごめんなさい。起こしちゃいましたか?」


「ううん。俺も喉乾いて」


すると千織さんがコップに水を入れて

渡してくる。


「ありがと」


シンクの上にある蛍光灯だけけて、

ごくごくと水を飲んだ。

千織さんは俺を見てクスクス笑う。


「ん?」


「ううん。もう2日も一緒におるな〜ち思うただけ」


「だね。俺もたまにこっちくるけど、明日から大丈夫そう?」


「うん。うちお手伝いばする。早う部屋も探すけん」


「急がなくていいよ。あの2人も千織さんにいてもらいたいみたいだし。とりあえず暫くはここにいて?」


「そげん長居ばできんたい」


「急いでもろくな事にならないから、じっくり一個ずつ解決してこ?」


「うん。わかった」


千織さんを抱き寄せた。

彼女も俺の背に腕を回してくれる。


千織さんに言った事は、

実は自分にも言い聞かせているふしがある。


まだはっきりとは見えていない

少し先の未来だけを思い浮かべながら、

そこは決して暗くはないと、

そう信じて進むしかない。


「おやすみ」


「おやすみなさい」


翌朝、俺は夕方からの2直だったが、

千織さんと一緒に久留米に戻ることにした。


千織さんは電車通勤は初めてだと、

朝の通勤通学ラッシュに目を丸くした。


バスの方がよほど混むと思うのだが、

何両にもわたる列車が満員になっていることが

彼女にとっては想像以上だったのだろう。


久留米駅で別れたが、

昨日とは違い、

千織さんの表情は明るかった。


「連絡するけん」


「俺も。仕事頑張って」


「うん!」


寮に戻ると千賀さんが

花壇に水を撒いていた。

そこで軽く挨拶をして通り過ぎようとした。


「ありゃ、朝帰り?」


「あぁ、はい。すいません。ちょっと急用ができて」


本来、災害時などの安否確認のため、

外泊時は事前に外泊届というものを

寮母さんに提出するのがルールだが、

連泊ではないからと、

昨日は連絡も入れていなかった。


「見んかったことにしちゃる」


「ありがとうございます」


こんな時はいつも

含み笑いを浮かべる千賀さんだが、

この時は真顔だった。

大きなため息まで吐かれた。


寛容な人だと思っていたが、

女性に入れ込んでいると

呆れられたのかもしれない。


あとで賄賂でも渡すか。

部屋に戻りそんな事を考えた。


そして夜、出勤すると

生島さんと出会でくわしてしまう。


「お疲れ様です」


「あぁ!ちょうどよかったばい!」


生島さんは俺を探していたらしい。

てっきり千織さんの事を聞かれるのかと思って身構えると


「門田さん、知っとうかち思うて」


「えっと……はい。その件なんですが……」


千織さんの居所いどころを聞いているのだと思い、

始業も迫っているから、

とりあえずざっくり伝えてしまおうと腹をくくると


「かなり厳しい処分になっかもしれんばい、岡部さん」


「はい?岡部さんがどうかしたんですか?」


「あれ?聞いとらんと?」


「いや、てっきり別件かと……岡部さんに何かあったんですか?」


「重大な規則違反したらしゅうて、懲戒処分ちょうかいしょぶんになっとよ」


「え……」


一緒に入った岡部さんの

良からぬ一報だった。


それは思いもしなかったことで、

突然、金属バッドで殴られたように

頭の中が真っ白になった。

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