第7怪 怪物との出会い 古戸里奈

 警視庁組織犯罪対策課警部補、古戸里奈ふるどりなは二日前から白井美緒しらいみおの警護を上から命じられていた。

 現在、裏社会と深い関わりがあると噂されている松裏商社の粉飾決算と政界の重鎮、蒲生直弼がもうなおすけとの贈賄疑獄事件で東京地検が動いていた。

 松裏商社は世界的な新興カルト宗教集団である【影法師シャドウマスター】がバックにいると噂されている企業だ。

 警視庁の上層部は、本事件の直接指揮を執っていた白井健介しらいけんすけ検事に圧力を加えるため、彼の一人娘である白井美緒しらいみおが攫われて脅迫される危険性を危惧し、里奈に護衛の指示を命じたのだ。

 この現代社会で仮にも検事の娘を攫って起訴を翻意させるために、そんなあからさまな犯罪行為をするのかと、正直半信半疑だった。だから、白井美緒しらいみおに公園で犬の散歩をさせたいという要求に安易に応じてしまったのだと思う。

 里奈の甘い予想はあっさり裏切られて質の悪いゴロツキに囲まれる。

 もちろん、里奈は古戸流古武術の初伝を得ているのだし、素手では敗北はあり得ない。だが、ゴロツキの中の顔に十字傷のある巨漢の腰にガンフォルダーのような盛り上がりがあるのを確認し、かなり厳しい状況であることを実感した。

 仮に相手が銃持ちであったとしても、里奈一人だけなら危なげもなく制圧できるだろう。だが、今は警護対象、白井美緒しらいみおがいる。彼女の守りながら、銃所持ありのこの人数を制圧するのはかなり難しい。

 どうするか考えあぐねていたとき、あの小さな怪物が現れたのだ。

 その怪物は小学生くらいの外見だった。多分、道場の期待の星である織部初音おりべはつねと同世代にすぎまい。そんな子供の外見とは裏腹に屈強な武器を所持したゴロツキどもを一方的に蹂躙して気を失わせると、ボスと思しき額に十字傷のあるイカツイ男の後ろ襟首を持つと凄まじい速度で駆けていってしまう。

「……」

 異常事態の元凶が去ってようやく思考が通常運行を開始して、

(何よ、あの怪物……)

 里奈はそう小さく独り言ちた。

 あれはどう見ても8~9歳くらいの小学生だった。だが、その幼い外見とは裏はらに、その強さはまさに人外の領域。いや、そもそもそんな身体的強さ云々という安っぽい次元の問題じゃない。あの躊躇の一切ない打撃と独特の危険な雰囲気。あれは、あの化物祖父が本気になったときのそれに似ていた。あれは頭のネジがそもそもない化物。もし、敵対すれば里奈などあっさり、今の気絶しているゴロツキ共のようになっていたことだろう。

「ホント、ぞっとするわね」

 ぼんやりとそう呟いたとき、

「ねえ、里奈さん、さっきの子、誰なのっ!?」

 隣の、白井美緒しらいみおが目をキラキラさせながら尋ねてきた。この凄惨な現場を見せつけられてこの態度。存外、この子も普通じゃないのかもしれない。

「今は安全な場所に移動しましょう」

 また次の刺客が送り込まれるかわからないんだ。今は本部に移動して指示を仰ぐべきだ。


 上司に目にしたことを全て報告すると、馬鹿真面目なお前でもそんな冗談いうんだなと、まったく信用してもらえなかった。

 さらに、顔に十字傷のある男が警察に出頭してくる。その数日後、里奈たちを襲った顔に十字傷のある男を始めとする誘拐の実行犯たちは誰に頼まれたかのかまで全て暴露してしまう。

 結果、官房長官、蒲生直弼がもうなおすけの秘書が指示を出したことで逮捕される。それを契機にまるで雪崩のように松裏商社と蒲生直弼がもうなおすけの罪が暴かれ世間は上に下への大騒ぎとなってしまう。当然のごとく、里奈の主張する怪物少年の件など、到底信じるに値しないものとして、警察という組織の業務の雑踏の中に紛れて消えていく。

 あの異常な出来事を誰にも信じてもらえない。そんなフラストレーションの中数日過ごしたとき、警察庁に呼び出される。

 里奈はキャリアではあるが、入庁したばかりの下っ端だ。警察庁に呼び出されるなど通常ではありえない。つまり、普通じゃない事態だということ。十中八九、あの警護の件だろう。確かに、保護対象は結果的に無事だったが、それは偶然居合わせた正体不明の第三者の助けによる。もしあの少年が介入してこなければ、下手をすれば保護対象は攫われていた。この不手際を重視して里奈に厳重な処分を与えようとしていることは十分考えられるのだ。

 今まで里奈は学校でも私生活でもそつなくこなしてきた。ここまでストレートに失敗したのは多分生まれて23年、初めての経験だ。シクシク痛む胃を押さえながら警察庁の受付に伝えると、5階の一室に案内される。

 部屋のソファーには一人の初老の男が座していた。

「やあ、君が象山先生のお孫さん、里奈さんだね?」

 男性は爽やかな笑顔でソファーに座るように促してくる。

「はい。古戸里奈です」

 一礼すると彼と対面のソファーに腰を掛けた。

「そう固くなりなさんな。私は月城和臣つきしろかずおみ、君のお爺さんの弟子の一人だよ。まあ、生まれたばかりの頃に会ったぐらいだから、覚えていないのは無理もないが」

 祖父の弟子だろうが、その程度の関係をこの人たちが職務に持ち込まないことは里奈も重々承知している。何より、月城和臣つきしろかずおみの名はキャリアなら誰でも知っている。警察庁長官官房、月城和臣つきしろかずおみ、有能ではあるが、血も涙もない蛇のような警察官だともっぱらの噂だ。

(処分ではないの?)

 忙しい彼がわざわざ呼び出すのだ。ただの昔話のはずがない。同時にたかが下っ端の里奈の処分に月城官房長が直々に動くわけもない。何か重要な案件なのはほぼ確定かもしれない。

「はい。ご無沙汰しております。差し支えなければご用件をお伺いしてもよろしいでしょうか?」

 意を決して話を切り出す。月城官房長は肩を竦めると顔から一切の笑みを消す。たったそれだけの態度の変化で体感温度が数度低下した気がする。きっと、これがこの人の素なんだと思う。

「君は四極会の構成員を潰したのが子供だったと報告しているね? この報告書は本当かい?」

 月城官房長は書類の束を示して尋ねてくる。あれはきっと里奈が提出した報告書。

「はい、誓って間違いございません」

「そうか……この子は特異者シンギュラー。しかも、間違いなく特別級スペシャル……」

 両腕を組んで考えこんでしまう月城に、

「あ、あの?」

「いや、すまない。君はその子を目にしたんだね? 新ためて聞くけどどんな容姿だかは判断付かなかったと?」

「はい。サングラスにマスクをしてフードを深く被ってましたから、声と体格から子供ということしか」

「そうか……ままならないね。ままならないものだ。でも合衆国ステイツの宣言よりも前に起動に乗せねばならない。そのためには……」

 月城官房長は、難しい顔でそう独り言ちるが、里奈を見つめて、

「古戸里奈、君を警視庁特殊犯罪対策課への移動を命じる」

そんな里奈にとって最悪ともいえる指示を出した。


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