第6怪 初めての悪の執行

 夢中になって初音の説明を聞いていたせいか、気が付くと太陽は桃色に変って落ち始めていた。

 初音に礼を言って道場を後にする。今はランニングしながら帰路につく最中だ。気持ちは先ほどまでの高揚した気持ちとは正反対に陰鬱としたものとなってしまっていた。その理由は――。

「月謝が3万円に、父さんの同意も必要か……」

 いずれにせよ、父の了解が必須ということ。父は僕に対して過保護なところがある。僕が実戦中心の武術を学びたいといったら烈火のごとく反対しそうだ。まず、無理だろうよ。

 だが、格闘術、剣術、柔術の三本柱の基本だけ教えてもらえるというのはまさしく僕にとって願ったりかなったり。諦めるには僕にとってもったいなさ過ぎる。だからと言って、父を説得する手段など思いつくわけもない。

 悶々とした気持ちの中、トイレを借りるべくすっかり暗くなった公園内に入ったとき、あきらかに堅気には見えない屈強の男たちが二人の女性を取り囲んでいた。

男たちに取り囲まれているのは、スーツ姿の黒髪をポニーテールにした20代前半の女性と小型犬を抱いた小柄な小学年長くらいの少女。

様子を疑っていると、

「私たちに何か用かしら?」

 小柄な少女を庇うようにポニーテールの女性が前に出ると、落ち着いた様子で問い返す。

「その娘をこちらに渡してもらおうか?」

 スキンヘッドの男がドスのきいた声で小柄な少女に固定して威圧すると、

「ゴラァ、嬢ちゃん、怯えているじゃねぇかいっ!」

顔に十字の刀傷のある黒と白のチェックのスーツを着た巨漢がスキンヘッドの頭を殴りつける。

「す、すいやせんっ!」

 顔に十字傷のある巨漢に頭を下げるスキンヘッドの男。

「悪いねぇ。うちの若い衆、血の気が多いもんでよう」

顔に十字傷のある巨漢は謝罪するスキンヘッドの男など見ようともせず、二人の女性に悪気など皆無の謝罪をする。

「私たちに何の用かしら?」

「嬢ちゃんたちに来て欲しい場所があるだけさぁ。もちろん、お嬢ちゃんたちには指一本触れやしねぇ。悪い話じゃねぇだろ?」

 顔に十字傷のある巨漢は黒髪にポニーテールの女性を舐め回すように眺めながら、そんな信じるに値しない戯言を述べる。

「嫌だと言ったら」

 ポニーテールの女性が周囲をグルリと油断なく見渡しながら問いかけると、

「そうか。同行してくれるか。おい、お前ら!」

 顔に十字傷のある巨漢は全くかみ合わない会話をすると、顎でしゃくる。スキンヘッドの男が頷き、男たちは二人に迫ろうとする。

さて、どうしたもんかね? 僕は悪の怪人だ。正義面するヒーロー共と違い二人を助ける義理なんてない。

 だが、力のない女二人をよってたかって一方的に襲うのはスマートじゃない。というか、僕の目指す怪人はそんな卑怯者の外道にこそ、平等に悪を執行するもの。ならばやることは一つだ。

僕はパーカーのフードを深く被って、マスクと玩具のサングラスをつける。これらは魔術の修業のときの変装小道具だが、まさかこんな風に使うことになるとはな。ともあれ、これだけでも大分正体は隠せるだろう。

「さて、あとは悪の怪人の出番だ」

 僕はポケットに入れて置いた十円玉硬化を右手で握ると、物質強化をかける。身体強化はさっきからずっと纏い中。最近ずっと研究し続けたせいか、この二つの魔術は以前とは比較にならないほど効果も向上している。何せ大岩を拳で穿って蜘蛛の巣状の大きな亀裂を入れたり、コインを指で弾いてジュースの缶に大穴をあけたりできるのだ。並みの格闘家が拳で岩に亀裂を入れられるわけがない。今では完璧に人外と化している。気を付けなければならないのは、むしろやりすぎて殺してしまわないことだ。

 僕は地を蹴ってポニーテールの女に手を伸ばすパンチパーマの男の懐に飛び込むと右拳を鳩尾に叩き込む。

ドゴォッ!

弓なりになって浮き上がるパンチパーマの男の背中に組んだ両手を叩き落す。

パンチパーマの男は地面に衝突しバウンドして白目を剥いてしまう。

「……」

 誰もかれもがポカーンと呆気に取られて、倒れ伏すパンチパーマの男を眺める中、僕は隣にいる頭にそり込みの入った長身で坊主の男を蹴り飛ばす。弾丸のような速度で何度も地面をバウンドしてゴミ箱に頭から突っ込み泡を吹いて気絶する。

 よかった。何せ初めての実戦だったしね。やりすぎないか内心ヒヤヒヤしていたが、ある意味丁度良い感じだ。

「そいつ、ヤバイぞっ! ぶっ殺せっ!」

 いちはやく覚醒したボスと思しき袴姿の巨漢の指示に、一斉に短刀やら太刀などを抜き放つ男たち。

 しかし、僕は既に小太りの角刈り男の眼前にいた。

「ひへ?」

 小太り角刈りの男に手刀を頭頂部に叩き落すと凄まじい音とともに、地面に顔面から衝突して臀部を上にしてピクピク痙攣する。同時に、地面を蹴って色黒マッチョの男の眼前まで行くと両拳により雨霰の拳打を浴びせる。襤褸雑巾のように倒れ込む色黒マッチョの男を目にして、

「くそがぁっ!」

 サングラスに出っ歯の男が僕に奇声を上げて太刀で斬りかかってくるが、それを左手で掴むと捻じって折る。

「は?」

 素っ頓狂な声を上げるサングラスに出っ歯の男の顔面に右ストレートをぶちかます。回転しながら背後の大木に背中から叩きつけられピクピクと痙攣する。

「ひぃぃーーッ!」

 もはや戦意を完全に喪失した金髪の男は、ドスを放り投げて僕に背を向け一目散で逃げようとする。その金髪の男の背後から背に乗りかかるとその頭に頭突きをかます。泡を吹いて糸の切れた人形のように倒れ込む金髪の男。

「ちくしょうがぁっ!」

 破れかぶれだろう。血走った目で僕に向けて太刀を握り絞め突っ込んでくるスキンヘッドの男。僕は地面を蹴ってその懐に飛び込むとスキンヘッドの男の顎にアッパーを打ち上げる。空高く放物線を描いて地面に落下するスキンヘッドの男。地面を何度かバウンドし、スキンヘッドの男は白目を剥いて仰向けに倒れ込んでしまう。

「バ、バケモンがっ! 動くんじゃねぇッ! 一歩でも動けばこの女を殺すぞっ!」

 顔に十字傷のある巨漢は驚愕と強烈な恐怖に顔を歪ませながら、ポニーテールの女に拳銃の銃口を向けると実に人聞きの悪い冗談を叫ぶ。

「馬鹿が……」

 この後に及んで銃に頼り、しかも弱い女を人質に命乞いか。情けないったらありゃしない。この悪の恥さらしが! 

 僕は右手に握っていた10円玉効果を親指で弾く。まさに弾丸のように一直線に突き進んだ十円玉硬化は拳銃を握る袴姿の巨漢の右手を打ち抜き、銃は投げ出される。

「ぎゃあぁっ!」

 一呼吸遅れて劈くような絶叫を上げる顔に十字傷のある巨漢。僕は顔に十字傷のある巨漢まで疾駆すると後ろ襟首を掴み、跳躍してその場を離脱した。


 顔に十字傷のある男を公園内の男性用のトイレの個室に連れて行くと中から鍵をかける。

「き、貴様、誰――」

 顔に十字傷のある男が何か言おうとしたが、お構いなしで顔に十字傷のある巨漢の顔をトイレの便器の水の中へと押し付ける。

「ぼががぼぎがっ!」

 懸命にもがく顔に十字傷のある巨漢。後ろ襟首を引っ張って顔を水から引き出す。

「おばえ――」

さらに、言葉を発そうとする顔に十字傷のある巨漢の顔を水内に付ける。もがく顔に十字傷のある巨漢。再び顔を水内から取り出す。

「じょ、じょとまで――」

 再度水内へと顔を付ける。

それを十数回繰り返すと、どうやら洒落や冗談じゃないことを肌で感じたのだろう。顔に十字傷のある巨漢は泣きながら、必死で命乞いをし始めた。

 そろそろ頃合いかもな。

「おい、お前、今から僕のいうことを耳をかっぽじってよく聞けよ。いいな?」

「は、はいっ!」

裏返った声を上げて何度も頷く顔に十字傷のある巨漢。

「僕にはお前たちが誰で、どんな目的があるなど興味はないし、正直どうでもいい」

「ど、どうでもいい?」

「ああ、此度僕がお前たちを襲ったのは中途半端で目障りだったからだ。今後僕の周りを鬱陶しく、ブンブン飛び回ってみろ。僕が悪を執行してやる」

「悪を……執行?」

 震え声でオウム返しに尋ねてくる顔に十字傷のある巨漢の耳元で、

「こんな子供だましのお飯事ではないぞ。正真正銘の悪の体現だ。さーて、お前らはどこまで正気でいられるかな?」

 低い声色で囁く。

 涙と鼻水を垂れ流して、ガタガタと全身を小刻みに振るわせながら、

「ゆ、ゆるじてください」

 懇願の言葉を吐く顔に十字傷のある巨漢に、

「さあな。それはお前次第だ」

 最後通告をすると僕は奴を乱暴に地面に放り投げてその場を立ち去ったのだった。


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