第6怪 絶体絶命の中での奮起
あれからかなりの距離を走った。既に戦闘現場は倉庫の影に隠れて見えなくなっている。とありあえず、あの遠方に停泊されている白色の船が目的の船舶だろう。
真っ白の流線形で独特な形状の船舶にはエルドラの国章がペイントされている。あそこに乗り込めば、エルドラの領土。
ホッと胸を撫でおろしたとき、
「もう少しだ。あそこまで行けば――?」
背後から俺の右腹部に衝撃が走る。
「え?」
疑問の声とともに、喉からせりあがる血塊。衝撃のした部分を見下ろすと、背後から俺の右腹部に突き刺さっている鉄の長い塊が視認し得た。
「ごがぁ……」t
腹に長い金属が突き刺さっている。そう意識した途端、堪えがたい激しい痛みと真っ赤な吐しゃ物により、俺の喉は占有されてしまう。
――俺が刺された? なぜ? 誰に?
激痛といくつもの疑問により頭の処理が追い付かなくなる中、
「やった! 俺はやり遂げたっ! これで――」
男の悦びの声とともに俺は地面に突き飛ばされてしまう。
「エージッ⁉」
ツムジちゃんの悲鳴と、
「テ、テメエ、何しやがるッ⁉」
――痛い、痛い、痛い、痛い、痛い!
激痛により思考が妨げられる中、必死に立ち上がろうとするが、力が入らない。
「エージぃ! やだ! やだよっ!」
ツムジちゃんの泣き叫ぶ声に、状況を把握しようと声を上げようとしたとき、口からゴポゴポと漏れる吐血。俺の周りには冗談じゃない量の血液の水たまりがでており、ツムジちゃんが俺の傍で取り乱して泣いていた。
――これはダメだな……。
本能でわかる。これは致命傷だ。並みの傷なら俺の能力の一つである自己治癒により自動修復がかかり、痛みが和らいだり、多少動けるようになるのが通例のはずだ。
しかし、俺の意識すらも刈り取らんとさっきから七転八倒の痛みが断続的に襲ってきているし、全身はまるで俺の身体でないように俺の指示を無視している。何より、この独特の感覚はあのクソッタレの戦場で溢れていたもの。即ち、死の匂い。
俺たちを扇動していた小太りの男ガムが、
「約束通り、ソフィア様から娘を引き離し、護衛の怪人は始末したぞっ!」
周囲をグルリと見渡しながら野太い声を上げていた。
ガム、こいつが裏切ったのか。
――失態だ。これは俺の失態だ……。
あの全を奪われた日以降、俺は誰だろうと信じないと心に固く誓っていた。そのせいだろう。俺は他者から向けられる嫌悪などの悪感情にかなり敏感に感じ取れるようになっている。この感覚のおかげでこの腐った世界で今の今まで生き抜いてこられたと言っても過言はない。
その俺が今回はどういうわけか、ガムから悪感情を微塵も感じとれはしなかった。
もちろん、わざわざ、俺たち怪人組織の要望に応えてくれた恩義もあるし、奴らに俺たちを裏切るメリットがないと判断していたことも一因だったとは思う。だが、人間には珍しく悪感情を向けて来ないガムに悪意がないと勝手に判断してしまっていた。
しかし、俺たちは怪人。いつ暴走するかわからない危険生物。それはエルドラだって変わらない。警戒を解いてよい理由にはならなかった。
「始末? まだ、その怪人、生きているみたいですけど?」
白のタキシードに赤のネクタイ、そして白のシルクハットを着用した男が、暗がりから姿を現す。
「--っ!?」
その姿を一目見て、真っ暗で、一点の光明も認められない迷宮に迷い込んだかのような錯覚を受ける。
あいつは、
「どうせもうじき死ぬ。ソフィア様から娘を引き離すという約束は守った。早く、メイ、俺の娘を帰してくれ!」
ガムは悲痛な叫び声を上げる。
くそがっ!
ガムは俺たちへの嫌悪により裏切ったわけじゃない。実の娘を攫われて、脅迫でもされていただけだ。
何より、悪感情がないからといって、ガムになぜ俺が簡単に警戒を解いたのかも、今ならわかる。きっと俺たち白夜と同じ覚悟を無意識に感じ取り、共感していたから。即ち――己の最も大切なものを守るために、その他の全てを犠牲にするという覚悟。
「いいですよぉ~。しっかり働いたご褒美です。娘さんに
その醜く快楽に歪んだ【石王】の顔を目にして、俺は奴の意図を理解した。
「や……め……ろぉ!」
懸命に喉から声を絞り出して右手を伸ばすが、【石王】の姿がかき消えると、ガムの面前に姿を現す。
「え?」
小さな驚きの声とともに、ガムの頸部に線が走って頭部が地面にドシャッと落下する。
血飛沫が舞い上がり、おばさんから劈くような悲鳴が上がる。ツムジちゃんは信じられないものでも見たように、大きく目を見開いていた。
「まあ、お仲間を裏切った君は地獄行きでしょうし、一緒にはなれないと思いますけどね」
弾むような口調で、右手に握るグニャリと曲がった短剣を振って血糊を払う。
「に……げろ……」
真っ青な顔で震えているおじさんとおばさんに声を絞り出すと、弾かれたように俺にしがみ付くツムジちゃんを引き離そうとする。
「許さ……ない」
ツムジちゃんはおじさんとおばさんを振り払うと、俯き気味に立ち上がる。てっきり、いつものように癇癪を起して取り乱すと思っていた。その一度も見た事もない異様な様子に俺たちが息を飲む中、
「んー? この
先程の余裕とは一転、ギラギラした獣のような表情でツムジちゃんを睨みつける。
「何で、そんなひどいことができるのッ⁉」
つむじちゃんは大粒の涙を流しながら、怒鳴り付ける。途端、ツムジちゃんの頭上にドレスを着た美しい女の姿が浮かび上がり、暴風が周囲に吹き荒れる。
「怪人……ですか? いや、怪人ごときにこの圧はだせやしないですね。天然の同化者ってところですか。支部長はこれをご存じで? いや、ご存じなら醜悪な蛙のエサになどするはずもない。とするとこれは全くの偶然……まさかエルドラがこの娘を受け入れた真の理由は……」
顎に手を当てて考え混んでいたが、
「私は――なぜ、こんなひどいことができる、そう聞いているのッ⁉」
ツムジちゃんの絶叫により、稲光を纏った幾多もの竜巻が【石王】の頭上に落下していく。
追跡してくる稲光を纏った竜巻を数回のバックステップで次々に躱しながら、
「やれやれ、目覚めたばかりでこの出鱈目具合。こんな化物をペットにする? 正気の沙汰ではありませんねぇ。ですがぁ少々、相手が悪かったですねぇ――」
ニタリと笑うと右手に持つ曲がりくねったタガーに視線を落とすと、
「バジリスク、起きなさい! 仕事ですよ!」
突如、巨大な大蛇が戸愚呂を巻いて【石王】の周囲に現れると、その両眼が怪しく光り、赤色の光線が放たれる。
赤色の光線はツムジちゃんの周囲の竜巻に衝突するとあっさりはじけ飛ぶ。
しかし、おじさんとおばさんは瞬きをする間に石化してしまう。
「お父さん! お母さんっ!」
焦燥たっぷりの声を上げておばさんとおじさんに駆け寄ろうとするツムジちゃんに、巨大な大蛇、バジリスクの巨大な尾が振り払われる。
「がっ!」
ツムジちゃんは凄まじい速度で吹き飛ばされていく。
【石王】は気を失って項垂れているツムジちゃんにゆっくり近づくと左手で胸倉を掴むと持ち上げて、
「足手纏いがやられたくらいで防御を解くからです。君の力は確かに脅威です。ですが、闘争というもの知らない君に負けるほど我らヒーローは甘くはありませんよ」
薄気味の悪い笑みを浮かべつつも答える。
『で? その女、どうするつもりだい?』
バジリスクが細く長い舌を出しつつ、【石王】に尋ねる。
「もちろん、喰らってください」
――ふざけるなっ!
その台詞を耳にした途端、俺の中でグツグツと熱く煮えたぎっていたものが弾け飛ぶ。
『へー、いいのかい?』
「ええ、この娘は天然の精霊との同化者。喰らえば君はまた一段階上の存在まで上り詰められる。支部長への説明は、駆け付けたときには時既に遅し。娘は怪人に殺されていた。そう説明すればいい」
――そんなことさせてたまるかよッ!
俺の脳裏にかすめたのは、全てを失ったあの地獄の風景。そして、ただ項垂れて泣くしかなかった無力な自分。そんな無力な自分が嫌で、オヤジに拾われてから怪人としての修行をしてきた。
怪人としての力も覚醒させたし、武術を初め怪人としての様々な生きるための技術も取得した。なのに――。
――俺はまた大切な奴を失うのかっ!?
俺は今まで努力で得たこの力を、世の怪人の地位向上へ捧げようとずっと誓ってきた。いや、周囲に合せて、そう思い込もうとしていた。
でも、実のところとっくの昔に気付いていた。俺は他の奴らよりもずっと薄情で臆病な男だ。他の名も知らぬ怪人のためや、死んだ家族の復讐のためだけに命を賭けられない。きっと俺が今まで頑張ってきたのは、もう二度と大切な奴らを失いたくないから。
――失ってたまるかよ!
正直なところ、出会った当初、俺はツムジちゃんが苦手だった。相性もお世辞にも良いとはいえなかっただろう。オヤジとともに食堂を訪れても、いつも不愛想で笑顔一つ見せる事はなかったし、話しても口喧嘩をしてばかりいた。それが――いつからだろう。お互い唯一無二の友になっていたのは。
俺、
「ツムジ……ちゃんを……離せ!」
まるで焼けた鉄棒を突き刺されたかのような堪えようのない熱さの中、立ち上がり、そう叫んでいた。
俺の怪人としての力は、自己治癒と殴ったものの動きを僅かな時間停止させるショボいもの。特に自慢だった自己治癒もまともに機能しているとはいいがたい。というか立てた事も奇跡に等しい。
「へー、既に死に体だと思ったんですがねぇ。君ぃ、中々しぶといですねぇ」
さして興味もないのだろう。【石王】が眼球だけ動かしてそう呟く。
もはや視界さえ真っ白な霧がかかってくる中、
――これが正真正銘の最後のチャンスだ。歯を食いしばれっ!
右拳を強く握りしめて奴に向けて走り出す。
この右拳が奴にあたれれば――いや、カスリでもすれば奴の動きは一時的に停止する。その隙にツムジちゃんを連れて逃げる。
これが俺の唯一にして最後のチャンス。
奴への間合いに入ると、奴の身体の中心に向けて右拳を放つ。
――当たれぇっ!
俺は握った右拳を開き、奴の身体に触れようとする。まさにそのとき――。
「くだらない。君ら下等な怪人ごときには奇跡など起きやしませんよ」
胸に衝撃が走り、俺の身体は大きく何度もバウントしていき、俯せに倒れる。
不自然なほど痛みは引いており、何も聞こえなくなっている。唯一、血のように赤みがかった視界のみが俺の前に広がっていた。
――くそぉ。
こんどこそ、立つことはもちろん、寝返りを付くことすら無理。ただ、夕日のように赤い景色の中、バジリスクが巨大なその口を開けて宙に浮遊するツムジちゃんに食らいつこうとしているのが見える。
――やめろぉっ!
叫ぼうとするが、口から出るものは、ゴポゴポという吐血のみ。
動けないのはもちろん、叫ぶことすらできない。
――なぜ、俺はこうなんだろう?
――嫌だ……! もう奪われるのはまっぴらだ!
なぜ、俺はいつも失う?
――はっ! そんなの決まっているさッ!
それは――俺がどうしょうもなくが弱いから。俺が強ければ過去のあの悪夢は避けられたし、おじさんとおばさんは石にならなかった。何より、ツムジちゃんを助けることができる。
――欲しい!
誰にも屈しない強力無比な力を!
――欲しい!
己の信念を貫けるだけの力を!
――欲しい!
大好きな奴を助けられる圧倒的な力を!
そのためなら――
――俺の全てをくれてやるっ!
『その言葉、相違ないね。いいだろう。君に賭けるとするよ』
その幼い子供の享楽的な声とともに俺の意識はプッツリと切れた。
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