第十一話『理由』


 誰かを助けることは難しい。

 巻嶋まきしま朝輝あさきは、それを家族から学んだ。


 一七歳、高校二年生。成長の階段を一段飛ばしに駆け上がりながらも多分に未熟さを残す年頃。

 人生で最も活力にあふれているだろう毎日はしかし、上手くいかないことの連続だった。


「おはよう! 朝ごはん出来てるよ」


 それは例えば彼が早起きして、家族の分の朝食を用意した時。


「……うっぷ。あたし二日酔いだわ。いらない、片付けとけ」


 姉は箸すらつけずに寝直すし、母親は。


「そういや朝輝、あんたそろそろ今月のバイト代出るでしょう。ちゃんと半分は家に入れなさいよ!」


 食事そっちのけで血走った瞳を向けてくる。

 寝不足で隈がひどいし髪形は暴れ放題。山姥もかくやといった雰囲気だ。


 こみあげてきた言葉を一度飲み込んでから、朝輝は絞り出すように答えた。


「……出たらまた教えるよ」

「早くしなさいよ。本当、毎月カツカツだからね。いくら公立高校だからって色々と物入りなんだよ!」

「わかってる……それくらい」


 母親はそのまま大急ぎで朝食を平らげると身支度に向かった。

 後に残されたのは手付かずの皿と置きっぱなしの洗い物、そして胃の底の方にある重たいかたまり。


 自分の分の卵焼きをのっそりと口に運ぶ。


「美味しくできてるのに、味わってくれよ」


 思えば昔の母親はもっとおおらかで優しい人物だった。

 それが今のようになった原因は、朝輝が小学生のころに父親が他界したことにある。


 母親は残された二人の子供たちとの生活を支えるため、がむしゃらに頑張り始めて――つまりは少し頑張りすぎた。

 激務に次ぐ激務。当然、家事を賄う余裕などない。

 そこで朝輝が家事を担当することになった。

 姉ががさつで不向きなのはわかり切っていたから。


 そうして家族で苦難を分け合い、支え合って生活してゆく。

 ――そうなれば。それができればどんなに良かったことだろうか。


「あー。大丈夫、俺は全然大丈夫。よし、さっさと片付けちまおう!」


 本当は高校への進学も危うかったが、母親の強い希望もあり卒業までは通えることになった。

 しかしそれこそが母親が疲れ果ててしまった原因だともいえて。


 余計な考えを振り切り、洗い物を片付けると通学鞄をひっつかむ。

 そうして姉の自室の前を通りがかったところで布団からのそりと顔が出てきた。


「……おい。今日はこのまま家に居るから。あんたさっさと帰って晩飯用意しとけよ」


 言うだけ言って布団に引っ込んだ姉を冷めた目で睨む。


 ――それくらい自分でやればいいだろ。


 喉元まで出かけた言葉を飲み込む。

 言い返したところで激高した姉に余計な時間を取られるだけ、何一つとしていいことがないから。


 重い気持ちを引きずって家を出る。

 それが彼の、高校二年生の毎日だった。


「……うん、巻嶋? この進路選択の用紙なんだが」


 高校も二年ともなればぼちぼち進路相談の時間が設けられる。

 朝輝の提出した用紙を睨みながら、担任教師は難しい表情を浮かべていた。


「就職一本か。いいのか? 正直、お前の成績なら難関大学でも十分に狙えるぞ」


 もったいない、担任の顔にありありと書いてある。


「俺、高校を出たら家を出ようと思っているんです。それには何よりまず自分で稼がないと」

「家を出るだけなら大学の近くに部屋を借りるとかでもいいんじゃないか?」

「違います先生。家を出るっていうか、どっちかと言うと自分の力で生活したいんです。出るだけで家族に……負担かけちゃ意味ないですから」


 朝輝はしっかりと担任の目を見て告げる。

 二人はしばし無言でいたが、先に折れたのは担任教師であった。


「はぁ。それだけ決意が固いのならもう何も言わない。だがちゃんとご家族と話をするんだぞ。その様子じゃこれは巻嶋一人の考えなんだろう? 人生に関わることなんだ、一人で決めたことじゃあ私も許可できないからな」

「……わかってます」


 返却された進路希望の用紙をじっと見つめる。

 正直なところ、ずっと憔悴したままの母親と話し合うのには億劫な気持ちがある。

 だが逃げてばかりでは何も解決しない。


「大丈夫、ちゃんと話すよ親父。巻嶋家家訓第一条、家族は守らないとな!」


 父親とかつて交わした約束は、家訓となって朝輝の心に刻まれていた。

 いつだって彼の背中を支えてくれた言葉だ。


 そうして決意と共に歩き出した彼を、空からの光が照らし――。


「は?」


 光は真っ赤に焼けた隕石と化し、彼めがけて突っ込んでくる!

 爆発の衝撃と炎に包まれながら、握りしめた進路希望の用紙が燃え尽きるのだけが、やたらとはっきり目に留まった。


「やめろ、やめてくれよ! まだ……話せてないってのに!」


 ああそうだ。結局、彼は家族に伝える前にではないか。

 どうしてこうも上手くゆかないのか! 怒りに任せて叫びをあげ。


「あああぁぁぁ……グガァァァアアアァァァ!!」


 不思議なことに、声は急速に低く太くなっていった。

 同時に、伸ばした手がぶくぶくと膨れ上がり異様な形へと変じてゆく。

 節くれだって六本の指と頑強で鋭利な爪を備えた、人ならざる手。


 腕だけではない。変形は全身に及び彼はたまらず手をついた。

 ズシン、と異様な重さを伴って手が地面にめり込む。


 いつの間にか景色までもが変わっていた。

 自宅でも高校でもなく、まるで飛行機の窓から覗き込んだかのように遥かな高さから見下ろしている。


 小さくなった街を踏み潰す、脚もまた異様な形に変化していた。

 それだけではない。

 首は長く伸び、いつの間にか長大な尻尾まで備わっている。

 人であるはずがなく、その姿はまるで神話にある『ドラゴン』のよう。


 ついに背に巨大な翼を広げ、天を衝くような怪物と化した朝輝は咆哮を上げて――。


「……んっなバカなことがあるかぁ!!」


 ――バネ仕掛けのような勢いで飛び起きた。

 朝輝はバクバクとうるさい心臓を無視して慌てて己の身体を確かめる。


「はっ、ははっ。俺の、身体だぁ……」


 それほど鍛えられてもいない貧相な高校生のもの。


 ゆっくりと周囲を見回せば、そこは殺風景な部屋であった。

 見覚えはある。

 傭兵部隊マーセナリーコープ拠点ベース内にある、朝輝に割り当てられた部屋だ。


 私物のほとんどない部屋にはベッドと、申し訳程度に机が置いてあるだけ。あと何故かゴールポスト。

 それでも生前の実家に比べればずいぶんマシと言える。

 何故なら彼の自室というのは、足の踏み場にも困るものだったから。


 寝起きの混乱が過ぎ去り心拍数が落ち着いてきたところで、彼は長い吐息をついた。


「あー……良かった。今度はただの夢だったぁ」


 そこで全身ぐっしょりと寝汗をかいていることに気付く。

 まずはシャワーを浴びる必要がありそうだ。


「後半はともかく、家族の夢かぁ。なんか不安なのかな俺」


 わしわしと乱れた髪をかく。

 この時代で目覚めてからこちら、ずっと驚きの連続だった。

 これも夢を見るくらいに余裕がもてたということなのだろう、彼はそう前向きにとらえることにした。


「おし! 今日の仕事をしっかりこなして、夜には安眠するか!」


 ひとり腕を振り上げる朝輝を、ベリタスが静かに見守っていたのだった。



起動アクティベーティング――着装形態アーマメントシフト


 アームドエイヴィスA2・クロウゴーストが朝輝へと装着される。

 推進器の奏でる音は今日も快調。

 彼は再び『燃料狩りブラッドハント』の舞台へと上がっていた。


「よし! 俺もいっぱしの傭兵として働いてみせるからな!」

「おー。今日はマキシマも銃撃つです? 楽しいですよ!」

「いや、楽しいからやるってわけじゃないけどね」


 色々あった彼の意気は高い。

 レンタルのブレイズアルバトロスを背負い、ルーノアもまた上機嫌そのものといった様子であった。

 先日の暴れっぷりたるや目覚ましく、今日の戦果も期待されている。


「はやくいっぱい撃ちたいです!」

「弾薬費見たエリーさんが見たことないほど渋い顔で固まってたけどな。ルーもちょっとは手加減してやれよ」

「う~ん。気をつけようとは思うですよ? でも戦いになると何故かトリガーから指が離れなくなるですね」

「素質ありすぎじゃない?」


 まぁいっかと朝輝はスルーを決め込む。

 異蝕体をハチの巣にする分には誰も困らないわけだし。


 ルーノアにはのびのびとトリガーハッピーしてもらうとして、むしろ問題を抱えているのは朝輝のほうだった。


「頑張る……が、銃かぁ」

「なんだ古代人。まだぶつくさ言っているのか」

「だって銃だぜ? 俺が生きてた頃は持つのも違法だったんだ。もちろん使ったことなんてない」

「自衛能力を禁止できるとは。まったく古代は暢気で羨ましい」


 クロウゴーストの背部に当然のように陣取ったベリタスがくるくると回る。


「だが安心しろ、ぶっ放すのはお前ではなくA2だ。さらに本機が照準補正してやるんだ、あとは引き金さえひけりゃあ幼児だって戦えるぜ」

「そりゃ頼もしい。いつもベリ太には助けられてばっかりだな。この恩はいつかしっかり返さないと」

「お前の恩返し、このままだと半永久的になくならなくねぇか?」


 雑談をかわしつつ襲い掛かってくる異蝕体オルトを狙い撃つ。

 重々しい銃声が身体を貫いてゆく。

 音速を超えて放たれた弾丸はしかし、敵ではなく地面を穿っていた。


「……銃使うの、難しいな」

「嘘だろ古代人……A2着込んで本機が補佐してどうして当たんねーんだよ! お前のポンコツさは機械知性マシンオースの性能を上回ってんのか!?」

「そんなこと言われても、俺だって頑張ってるよ!」

「むしろ頑張るな。何もしない方がまだマシじゃねーか!」


 それから何度も攻撃を繰り返したが銃はロクな役に立たなかった。

 ベリタスの見るところ朝輝の腰が完全に引けているのだ。


 A2の引き金を握る手はガチガチで、余計な力が照準をブレさせまくっている。

 何かよほど銃火器に抵抗があるのだろう。


「なんというか。銃を持ったら幼児以下、それでいて体当たりなら何体相手でもやってのけんだからわけがわからん」

「仕方ないだろ。体当たりはほら、最初にできるようになったし」


 普通は敵にわざわざ自分からぶつかりに行こうなどと考えないものではないのか。

 少なくとも機械知性はそう判断するし、人間でもそのはずだ。

 はずだよな? ベリタスも少し自信を無くしつつある。


「ええい、本当に古代人は世話が焼ける。その挑戦受け取ったぜ、おめーのおっかなびっくり具合を本機がシバいてやるよ!」


 朝輝にしばらく撃たせることで彼のを学習。

 ベリタスからクロウゴーストに命じ、A2側のアシストによって強引に照準を補正する。

 そうすることでなんとかかんとか最低限形にすることができた。


「あっははは! なぁにマキシマ、新人らしいことしてんじゃーん」


 へっぴり腰で撃ち続けているとエイヴリルがやってくる。

 彼女は今日も当然のようにエース級の活躍で、すでに十分な稼ぎを叩きだしていた。

 お次は新人の指導というわけだ。


「銃なんて使ったことないんだよ。いくらベリ太が手伝ってくれるとしてもさ!」

「すーねんなーって。だいじょぶだいじょぶ、新人だと結構いるからそういうの。だから撃つのに躊躇しないルーみたいなのは素質あるって言われんの」


 いくら荒んだ世の中とはいえ、誰も彼もが好んで銃をぶっ放せるわけではないらしい。

 少しほっとした朝輝は己のために銃を構え直す。


「的には困らないからしっかり練習しなさい。こういうのでもちゃんと稼ぎになってるからさ。そのためのブラッドハントだもの」

「そうなんだな。よし! 頑張ってみる」


 アドバイスを残してエイヴリルは自分の狩りに戻ってゆく。

 朝輝もまた己の仕事と向かい合った。


「ほう。へっぴり腰はどうしようもないが少しはマシんなってきたじゃねぇか」


 基本に忠実にしっかりと狙いをつける。

 一体を集中して狙い、確実に倒してゆく。

 もちろんその間も反撃を受けるので適度に回避運動を織り交ぜていった。


 今も攻撃を受けて回避したところだ。

 空に舞い上がると異蝕体が一斉に射撃器官を向けてくる。

 時折PICフィールドの淡い光を瞬かせながら、朝輝は大きく飛び退った。


「いくら単位体ミニットオルトがザコだからって油断しすぎだ。処理が遅れると囲まれるぞ」

「なんていうか……ベリ太、おかしくないか。急に敵が増えた気がする」


 言われてベリタスはすぐさまクロウゴーストのレーダーを確認した。

 強力すぎると異蝕体を引き寄せてしまうためA2のレーダーは短距離向けのものが多く、狭い範囲しか確認できないのだがそれで十分。


「なんだぁ? 異蝕体の数が想定よりはるかに多い。どうなってやがる」


 取得したレーダーの情報を確かめたベリタスがアイカメラをきゅいと引き絞る。

 確かに朝輝は敵の処理速度が遅かったが、その分は他二人がカバーしてくれている。


 わずかでも上達していることを思えばむしろ減っていてもおかしくはない。

 にも関わらず異蝕体の圧力は高まる一方だ。


 違和感を覚えたのは朝輝たちだけではない。

 戦いの経歴が長い先輩傭兵たちも敏感に異常を感じ取っていた。


「ちょっと指揮車両! 異蝕体集め過ぎ、処理が追い付かないって! どういうことよ。いくらなんでも探るの広くない!?」

「我々はそんなミスをしていない! 急に索敵に映る個体数が激増したんだ! 理由は不明だがどこかから集まってやがる!」


 エイヴリルが短距離通信で苦情を入れるも、返ってきたのは怒鳴り声だけ。


「マズいね、ここいらでそんなデカい群れがいるなんて。指揮車両、ヤバい増え方してるよ。支えきれなくなる前に撤退させて!」

「……ダメだ。下手に我々が下がればこいつらは追ってくる。浮動都市ハイラテラに群れを近づけるわけにはいかない」


 浮動都市を危険に晒してはならない、それは傭兵に限らず都市の住人たち全ての鉄則である。

 都市が健在なればこそ彼らは生きてゆける。

 たとえ一時の勝利を得ようとも、都市がやられれば待っている未来は野垂れ死ぬのみ。

 それも都市にいる全ての住人を道連れにだ。


 迂闊な真似は出来ず、しかしこのままでは前で戦っているA2レイダーたちが危険に晒されてゆく。


「ゆっくりでいい、可能な限り下がって! こっちはあたしらで何とか減らす! とにかく増えるペースを落とさないと」

「……了解した。だが最悪の場合こちらも戦闘に参加する。いいな?」

「あーあ。そんなことしたら今回の報酬がパァでしょ? しかも場合によっちゃ賠償金まで取られるし」

「死ぬよりはマシだろう」

「ま、そりゃそうね」


 指揮車両は丸腰ではなく強力な火砲を詰んでいる。

 ただしA2にしか搭載できないPICフィールドを有していないため、指揮車両は防御力が低く戦わせると被害がバカにならない。

 もしもの場合に躊躇する意味はないにせよ、まだ粘っておきたかった。


「……ってわけなんだけど。皆、もうちょっと踏ん張ってもらえる?」

「的が増えるのはいっくらでもかんげーですよ!」

「こっちも当てられるようになってきたところだ。いけるぜ!」

「よし、その意気!」


 話している間にも木々の間から大量の異蝕体が這い出てくる。

 目に見えて数を増し続けており、地面を塗り替えるかのごとき勢いだ。


「一斉にいくよ!」


 エイヴリルが機動力で掻きまわし群れの動きを鈍らせる。

 そこへルーノアが襲い掛かり猛烈な火力で片端から撃破していった。

 朝輝も拙いながら必死に撃ち続けている。


 銃弾が無数の異蝕体を打ち倒し、骸を積み上げてゆく。

 しかしそれでも彼らは後退を余儀なくされていた。


「多い! こんなにいるのか!」

「おそらくこの戦闘自体が異蝕体を引き寄せている! このままではいずれ……」


 異蝕体の増加は留まるところを知らない。

 押し込まれているのは朝輝達だけではなく、他の場所を担当していた傭兵たちも同様だった。


「ちくしょう無理だ! やってられるかよ!」


 ついには決定的な破局が訪れる。

 異蝕体の圧力に耐えきれなくなった一部の傭兵が勝手に逃げ出したのだ。


「あいっつら! この程度で音を上げてんじゃないよ!」


 異蝕体はあちこちから押し寄せている。

 戦う者が減ったということは当然、残った者の負担が激増したということであった。


「エリーさん! この数は無理だ!」

「うーん火力が足りないです。もっといっぱい大砲積んでくるでした」

「目の前の敵から逃げたところで、後で死ぬより恐ろしい目に遭うってのにさ。根性なしどもが!」


 文句を言ったところで異蝕体が下がってくれる訳はない。

 エイヴリルたちも後退を余儀なくされており、いずれ限界が来るであろうことは誰の目にも明らかだった。


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