徒然夜話~あんなことそんなこと妙なこと~
名無しのオプ
第1話 呼ばれる
おまえは夜泣きのひどい子だったと母は未だにぼやく。
「あっちだ、あっちだって指差して。寝付いたかと思ってそっと回れ右するとすぐ起きて、また『あっち』って泣く」
一歳ちょっとくらいの夏の頃だと言う。それがしばらく続いたらしい。重くて往生したそうだ。
実はその記憶がある。
白い寝間着の母の背で、泣きながら暗い並木の歩道を運ばれて、向こうの方から近づく車のヘッドライトを見ていた。それが怖くて、また泣いた。
たぶん、いちばん古い記憶だ。
その後はうすらぼやっとした記憶の断片が、四、五歳くらいまでふわふわしているのだが、五つ下の妹が生まれる前、まだ一人っ子だった頃にこんなことがあった。
やはり夏だった。
少し歩いた田んぼのあたりまで、蛍を見に行った。あの頃はわりとまだ、田舎ならそういうものが身近だった。「夕涼み」という言葉がまだ生きていたあたりのことだ。
田んぼの上を微かな光が二つ三つ、三つ四つと漂うように舞う。ほら綺麗だと言ったのは母だったか父だったか。
綺麗というより寂しげに見えて、あまり長居はしなかったように記憶している。
早々に布団に入れられたものの、なんだか寝付けなくてぐずぐずとしていた。どれぐらい経ったか──まだ床をのべていた部屋に、親たちが寝に来ていなかったはずだ。
──ほ、ほ、蛍来い
どこからか、子供の歌声が聞こえてきた。
この最初の一節だけが延々と繰り返される。
気味が悪くて、頭から夏掛けをかぶってやり過ごそうとしたが声はどんどん大きくなる。
いや、違う。
声が、どんどん多くなった。わんわん唸るように響く歌声に耐えられなくなって夏掛けを剥いで飛び起きたとき、網戸の向こうに信じられないものを見た。
大きな、ほたる色の光が外にあった。
そして歌声がいつの間にか変わっていたことに気がついた。
「来い」
「来い」
「来い」
「来い」
「「「「「来い」」」」」
うわぁぁぁぁぁん! と大声をあげて泣き出した私に、両親が襖を開けて部屋に飛び込んできた。
必死になってしがみついて大泣きした……はずなのだが、その後のことについての記憶はぷっつりとない。
──それが、いちばん古い「怖かったこと」の記憶だ。
先日、今はもう別の場所に立て替えた実家に顔を出したときに、妹が不意に言った。
「昔おネエだけがじいばあに貰ってたオヤツが羨ましくて、こっそり盗み食いしたことがあったんだよ」
「私だけのオヤツ?」
そんなもんあったかと首を捻っていたら、
「うん、銀色のつぶつぶ。ケーキとかにのっかってたアザランをおネエは貰えるのに、私はダメなのはズルい! と思って。そしたらまあ、不味い不味い」
そんな洒落たもんがあの当時の田舎にあるわけなかろうが、と言おうとすると、先に老母が
「宇津救命丸でしょうが。あんまり夜泣きも疳の虫も酷かったから、年寄りが飲ませてたんだよ」
と言った。
その流れで「お姉ちゃんは夜泣きが酷かった話」が一席ぶたれたのだった。ずいぶん昔のことを……と思ったものの、なんだか様子が違っていた。
──まさか、「神隠し」にまで遭っていたとは。
数時間とはいえ、いきなり忽然といなくなって近所の大人たちが探し回ってくれたらしい。
見つかったときには、隣の家の後ろにあった川の洗濯場(江戸時代だかの遺跡)にしゃがみこんでいたのだそうだ。
どこにいたの、と訊かれて、ずっとここにいたよと言ったそうだ。
──その数時間のうちに、何度も大人たちが見て回っていた、その場所に。
まあ、そんなことがあった後は、夜泣きはするし熱を出すし……で、年寄りが「夜泣きと疳の虫にはこれだ」ってね。
そう話して、ようやっと冒頭の話になった。
「覚えてますよ、車のヘッドライトが怖かった」
そう言えば、母が妙な顔をした。
「あんたをおぶって歩いてたときに、車が来あわせたことなんてないんだよ──一度も」
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