(二)安息

 何もない田舎道を歩き始め、もう数時間は経っただろう。

 前を行き、軽い足取りで歩く福成。彼の後ろを歩き、疲れた様子を見せる天。それは息遣いで分かるほどであった。

「なあ、何処に向っているんだ。このまま歩いたって……聞いてる?」

 真っ直ぐ歩くまま。何かを急いでいるわけでもない。けれども福成はその問いには応えず前を行く。

 林継りんけいと、あの男は言った。福成にはその名前に僅かではあったが聞き覚えがあった。とは言えそれは自分が義和団に居た頃であり、裏社会で生きるよりも前の事だ。確かな自信は無かったが、記憶通りであれば彼女が何らかの事を知っているはずである。

「なんか反応したらどうだよ。目指す場所くらい知っておきたい」

「……朋友の家だ。今回の事情を探る手掛かりとなる」

「ふーん。じゃあ、そこまでどのくらい?」

「あと少し。じきに家も見えてくるだろう。……あれよ」

 顔指す方を見れば、確かに一軒家がある。古めかしい、年季の入った家だ。そしてそれは文字通り、辺りにはその家以外には見当たらない。それどころか、人が他にいるような気配すらない。

 不安を隠せぬ天。しかし一方で福成は平常であった。また、家の様子を見て、いる事を確認し、安堵すら感じているようでもあった。

「手土産が無いことを除けば、ここまでの道のりも悪くは無い」

「いや、襲われて危うく連れ去られそうになったんだぞ。ちっとは危機感を持てよ」

「ん、ちょっとした冗談だったが……気を悪くしたか?」

 今まで見えなかったものであった。いや、もしくは自分が気付いていないだけで福成は冗談をどこかで、それでいて何度か言っていたのかもしれない。だとしても分からぬ。それが天の抱いた感情であった。

 いつ見ても顔の表情は変わらず、感情があるのかどうか怪しく見えたが、こうした面白い面もあるようであった。

 先を急ぐ福成。それを追うように小走りをする天。二人は程なくして目的地である家にと辿り着いたのであった。

「お邪魔する。秀伝しゅうでんさん、いらっしゃるか」

 我が家のように福成はずかずかと入り、天はその後ろを行く。

「なんだい? 徴収なら前も言ったけど――福成、福成じゃないかい‼」

 奥から現れたのは、六十から七十くらいの老婆であった。

「ああ、そうだ。元気そうで良かった」

 元気そう、その言葉の通り老婆とは思えない程に彼女の身体は健康的であった。

 駆け寄り、抱擁をする。それを気恥ずかしそうに受け取る福成。

「話がある」と福成は一旦離れ、いつもの表情へと戻る。

 老婆は彼と天の様子を見る。そしてただならぬ事であることを察して奥へと案内した。

 奥へと案内され、二人分の椅子が用意される。二人はそこに座り、老婆は二人が見える場所に座る。

「さて、聞かせて貰おうかい」

「うむ。その前に、彼女が我の言った朋友の一人である秀伝しゅうでんさんだ」

「ど、どうも。周天、って言います」

「初めましてだね。さっきも福成が言ったが、あたしは秀伝。林秀伝りんしゅうでんだ」

 互いの自己紹介を終えた事を確認し、早速と本題の方へと移る。

「秀伝さん。林継りんけい、って男の名を聞いた事は?」

「林継……そいつは名家の跡取り息子だった一人じゃないかい」

「やはり。その者の詳細を知りたい。恐らく義和団に関りがあるはず」

「関りも何も、林黒児の近い親戚だよ。名家の者だと聞いていたが……今は家の再興のために太刀会たいとうかいに所属してる」

 林黒児。義和団の乱にて女性義和団組織であった紅灯照こうとうしゅうを率いていた人物の一人である。そしてそんな彼女の近い親戚であるということは、当然義和団と遠からず近からず、なんらかの関係があるということである。しかしここで福成が気になったのは別の方であった。

「太刀会にいる、という事は本当なのか?」

  頷く秀伝。そう、福成が気にしているのは太刀会に所属している、という点であった。

 まともに会話ができる状態、とは言い難い状況ではあったが太刀会の者と接触していたのだ。また、あの場面にて連れて去るという趣旨の事が気になる。単に報復が目的であれば、そのような事をせずともいいはずなのに。

「李さんに太刀会を探るようにお願いした……が、その様子だと」

「ああ、知ってるよ。武道家の者たちを集め、政府の名の下に動いているそうだ。故に国の加護の下にいる。敵にするのは止めた方がいいと言いたいが……その様子だと訳ありだね」

 何もかも見通している、といった感じに秀伝は彼の抱えることから、眼の奥に潜む想いを見透かしていた。

 頷く福成。彼がここを訪ねて来るのだから、ある程度は面倒事を抱えてはいるとは感じ取っていた秀伝。だが、太刀会が関わって来るとなると話が更にややこしくなる。

「太刀会は今の中国で武術を残すことを目的に動いている。今この国がどのような傾向なのかは分かるだろ?」

「うむ。聞いている。古いものを良いとしないものだろう」

「ああ。そしてそこには武術も含まれるのだが……太刀会の者たちは違う。国のお抱えともなれば扱いが違うんだろう」

「確証は?」

「あるよ。少し言いかけたけど、徴収が来たのさ。『あなたも太刀会に入りませんか』ってね。その時に色々と説明を受けたのさ。断ったがね」

 色々と説明を受けた、その言葉である程度の事を察した。おおよそ太刀会の者が秀伝の力が必要で勧誘をし、彼女はそれを断った。扱いの事を考えれば入るのが得策、当たり前だろう。だが秀伝は何らかの理由でその件を蹴った。

「こう説明されたよ。『太刀会は表面では国に、政府に従ってはいる。だが、いずれは今の政府を変える。そして正しい道に直す』なんてね」

 太刀会は国と何らかの取引をしている、それでいて赤雲会といった黒社会とつるんでいる。やがてどこかで革命を起こすにしても、つるむ理由が分からない。つるめばそれだけ目を付けられるのだから。色々とちぐはぐで糸と糸が繋がらない。

 分からない事は多く、謎が深まる。新たな視点が必要だと福成は考えた。

「……なぜ断った? 秀伝さんなら受ける側に立つだろう」

「あたしだって情報網はある、故に断った理由もちゃんとあるよ」

 ここからが本題である、といった雰囲気で顔を前に出す。

「太刀会を纏めてる奴が怪しいものでね。これは福成に聞いた方がいいと思うよ。なあ、宋星そうせいって男は知ってるか?」

 その名前は聞き覚えがある。いや、裏社会を生きるなかでその名を知らない者はいない。故に、今までの話を聞いて来た福成は目を見開き、「宋星だと」と呟いた。その驚きは傍にいる天でも分かるほどに。

「なあ、兄ちゃん。宋星、って誰だよ。知り合いか?」

「否。知り合いでは無いが、黒社会において悪名高い男だ」

「やっぱり、そうだったかい。続けてくれ」

「うむ。宋星は黒社会の者ではあるが、どちらかというと政府寄りの男だ。太刀会の立ち上げをどうやったかは知らぬが、黒社会においての地位を上げたのは政府との密約があったと聞く。兎に角、あいつは前々から政府とつるんでいると聞いていた」

「……そうかい。あたしの知ってる情報と全く同じだ。だから怪しいのさ。政府寄りの男が革命を起こそうとするものかね、普通」

 正しくその通りだ。政府寄りの男がそのような事を考えるはずが無い。それどころか宋星ともなれば尚更だ。彼は黒社会においても「政府の忠犬」と言われる程の者である。今まで裏の世界で生き残れたのも政府からの庇護があったから、なんて噂されるほどでもある。故に政府側にいれば甘い蜜が啜れると一番理解しているはずなのだ。

「まあ、まだ続きがあってね」

 まだ話は途中であり、秀伝は福成が思考に浸かりかけそうになっていたそれを覚まさせた。そして間入れずに話出した。

「太刀会の者たちに会う期会があってね。そこで宋星の評判を聞いたが……これがまたトンチキなもんで――」

「『宋星は反社的で変革をもたらす者』、的な事だろ」

「そういう事だ。まあ、そんな評価なものだからあたしは断った。どっちが本当の顔か分からない男が指揮する軍には入りたくない。それに……争いごとは御免だよ」

 拳を握りしめる秀伝。その顔には苦渋に満ちたものがあった。

 これ以上はその話をする気も無く、知りたい事、確認したいことはした。椅子から立ち上がる福成。それを引き留めるかのように彼の名を呼ぶ。

「福成。もう行ってしまうのかい?」

「迷惑であろう。いつまた現れるか分からない。であればもう去ったほうがいい」

「迷惑じゃないよ。泊まっていきなよ。それに、そこの子供が疲れ切っているじゃないか」

 天の方を顔で指して言った。見てみれば、確かに疲れが出ている事が分かった。

 福成が先を急いでいることぐらい秀伝は分かっていた。けれどそれ以上に、久しぶりに会った彼と長く過ごしたいと思っていた。引き止めようとする理由が不純と言われようと、彼女はそれを求め、そうしたかった。なぜなら秀伝にとって福成は息子のような存在だったから。

 返答に困る。「はい」とか「いいえ」などを答える代わりに外に向かって歩き出した。

「どうなんだい? 泊まっていくのかい?」

 立ち止まる福成。そして暫らく止まった末に答えた。

「庭を借りる。修練をしている」

 そう言い、福成は外へと出て行ったのだった。

 天と秀伝の二人きりとなった空間。静かなものとなった。

 福成がおらず、彼の視線もないために天は彼について聞いてみる事にした。また、義和拳についても。

「ねえ、秀伝さん。福成、ってどうして義和団から抜けたの? 福成と秀伝さんはどんな関係なの? あと、福成が使う武術はなんなの?」

「質問が多いね。二つに纏めなさい」

「じゃ、じゃあ。福成についてと、義和拳について」

 福成と共に行動をする、この子供がどのような理由で、どのような関係であるかは分からない。けれど、少なくとも彼がそれを許可している事は分かる。

「そうね」と一呼吸置き、どこから話せば良いかを探って語りはじめた。

「分かってはいると思うが、アレは人付き合いが苦手でね。昔から、物心が付く前から修練、修練。周りの子と遊んだりもせずそればかりだった」

「だから、だからあんなに強いと」

 遊びもせず、人との関係を築こうともせずに修練。であれば強いのも納得だ。継と福成の戦いを遠目ではあるが、見ていたから分かる。あれは常人や並みの武道家では無理な動きだ。

 彼の強さに納得しかける天に首を振り、そうでない意思を表して言う。

「いいや、あれはそんなもので纏められるものじゃないよ。武術の吸収力、身体の使い方を自然と分かってるんだ。どう使えば効率よく力を引き出せるかを」

「……凄い、ですね。それで、どうして抜けたんですか?」

「それだったね。天、と言ったね。天は義和団についてどこまで知ってる?」

 首を横に振る天。義和団のことについては全く知らない。

「義和団とは、簡単に言うなら自衛団さ。力を持たない農民や商人が義和拳を学び、互いに支え合うもの。本来は戦争なんてやれる大層な団体じゃあない。義和拳だってそうさ。元は自衛、護身術みたいなもの」

「で、でも、福成のあの武術は凄いものだった。林継とかいうのもやばかった」

 大層なものでは無い、と言う主張に反論する。それも見たから分かる。アレは明らかに自衛とか護身術の域ではなかった。

 生半な言葉では言い表せない天。その様子からどれだけの力を見せ、どのような力と対峙したかを想像して言う。

「彼が抜けたのにはそこさ。福成は武を極める道の中で人体を研究した。そしてそこで彼の武術は守りのものから、殺すものへと変わった」

「殺すもの……それはどうして?」

「要は効率を求めたのさ。どうすれば致命傷を与えられるか、どうすれば有効的な一打を与えられるかを研究し、技に応用を加えて昇華させた。その結果独自のものにとなった」

 本来の技に彼なりの応用と研究を加えた。その結果として独自のものにとなった。それは素晴らしいことだろう。新たな技を発展させたのだから喜ばしい事だろう。

 ここまでの話からは、福成は武道家として優秀であった事が分かる。それなのに秀伝は複雑そうな顔であった。それが天には不思議で仕方がなかった。

「だけどそれは我々、福成、あたしたちのいた一派ではやってはいけない事だった。義和拳はあくまで守る武であり、暗殺のものではない。違う一派の所に行けば色々と変わって来たんだろうけど、とにかく福成はタブーを犯した」

「だから、義和団を抜けた。正確には追われた、と」

「そんなものだよ。とは言っても、あたしや国利みたいな一部の者はまだ彼を義和団の者としてみている。そもそも、義和団は義和拳を使う者を指す意味でもある」

 ここからでは見えない、それでも壁の向こうにある庭の方を眺め、付け加えるように、それでいて小さな声で言う。

「あいつは、誰がなんと言おうと義和団であり、家族だ」

 強い絆、あるいはそれ以上の何かがあるのだろう。きっと秀伝は大田が知り得ない福成の一面を知っている。

「じゃあ、福成が暗殺者として活躍していた事は?」

「それは知らない。なんでもその頃は西の方にいたと聞く。あたしですら、そこらへんは知らない」

 知っているのはあくまで義和団にいた頃の事だけ。それ以降、暗殺者として活躍していた間の事は知らず、どこかで槍竜の一員として中国へ戻って来たくらいしか知らないのであった。

 少しは彼の事について知れた。けれども、義和団と槍竜の間の事は分からなかった。

「……そっか。なあ、俺でもその義和拳を習うことってできる?」

 突如としての修得できるか否かの質問であった。それに面食らいながらも冷静に向き合おうとする秀伝。

「まあ、基礎くらいならその気があるなら数カ月くらいかな。でも、どうしてだい?」

「自分と誰かを守るため、かな。この先の旅について行くためにも。それに……剣や槍、銃弾すらものともしない力を得られるなんて聞くし」

 本当の事と嘘の事を織り交ぜて訳を話す。別に後ろめたいとか、騙そうなんて感情は無い。ただ、知りたいのだ。

「言っておくが、その域に達するまでには長い年月と功夫が必要だ。福成だってその域に達する頃には義和団を抜けていた。あれは、武を修めて初めて開始地点に立つ、と言っていい」

「でも、義和拳を使いこなす皆が修得してるんだろ。だったら――」

「誰もが、じゃない。ほんの一握りだけさ。あたしだって完全じゃない」

 天の言葉を遮って言う。その言葉は自分の実力と他者の実力、その域を知る者だからこそ言えるもの。説得力がどれだけのものなのかは言わずともであった。

 あまりの言葉に身を退き、固唾を呑む。それでも自分の成すべき事のために決断をする。

「それでも、修得したい。長い年月がかかろうとも」

 真剣な眼差し。本気である事を秀伝は認めた。その上で事の次第を考え、まとめる。

「あたしはいいとするが、師はどうする? 誰がいいと思う、福成」

 言葉の方角には福成の姿があった。いつの間にそこにおり、どこまでを聞いていたかは分からず、彼は黙って天を見ていた

「そうだな。ある程度は教えれるが、頑と反は教えれぬ。我は反を修めた故に」

「そ、それでもいいよ。教えてくれよ、兄ちゃん」

 これもすべてボスである大田のため。そして槍竜で上へと昇りつめるためにも天は応える。

 天の返答に頷きで返す福成。弟子を取るのは初めての事であり、経験は無い。それに、まだ太刀会という組織の全貌と対応が終わってない。それ故に十分に教える事が出来るかどうか分からない。

「身体の動かし方、使い方は教える。技等のことについて今は見て学べ」

「ああ、分かった」

 義和拳を得る事を承諾する福成。そしてこれからそれを得ようとする天。義和拳を知る、という本来の目的はこれにて始まりに立った。次は、それを身に付ける事である。その一方で福成はこの先のことを決めていた。太刀会を纏める者、宋星に行き着くことだ。

 互いに目指す事は別であるが、大田のため、という点では同じ動機で動いているのであった。

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