第19話 拝啓、深愛なるアナダ

 舞踏会の夜から三日が過ぎた、ある朝。

 研魔職人ダーケスト様の工房は今日も営業中。

 いつものように、磨いた宝石を持ち主へ返す。


 宝石は眩い輝きを放ちながら、その胸に取り込まれる。


 アラベラ嬢は両手で胸を包むように当てて、くぐもった声で感謝を述べた。


「ありがとうございます。何度も作業をお願いして、すみません。ダーケスト様」


「かまわんさ。心の穢れは体に堆積する垢と同じ。生きている限り、穢れは砂塵のように積もる。まぁ、一風呂ひとっぷろ浴びるつもりで我の工房へ立ち寄りなされ」


 私は軽蔑の目を向けて師匠へ一言。


「師匠。女性にその言い方、イヤらしく聞こえます」


「なぬ? そうなのか?」


「それにしてもぉ……」


 二人してアラベラ嬢の顔を見る。

 彼女は初対面で見せた甲冑の兜を再びかぶり、心を磨き終わっても、その兜を外すことはなかった。


 師匠は腕を組むと小さくタメ息をつく。


 兜を外すことが出来なかったのは、ダーケスト様の研魔術を持ってしても、令嬢の閉ざした心を、本当の意味で解放することが叶わなかったということだ。


 ちょっと空気がよどんできた。

 会話の換気をしないと。


「でもでも、まさか、あの後に新しい婚約者が現れるなんて、ビックリしましたよ~」


「ワタクシも驚きました」


 アラベラ嬢はあの夜に起きた奇跡を、慈しむように思いだし語ってくれた。




「まさか、ズデンカ? ズデンカ・マンドリカ?」


「おどろぐよね? 昔は太っでだがら。ガンバっで痩ぜだんだぁ」


「なまりは相変わらずなのね」


「ははは、まぁ……ね」


 痩身の貴族ズデンカは、照れくさそうに頭を撫でた後、表情をキリっとさせてアラベラ嬢へ向き直る。


「痩ぜで将来、家名を継いだらギミに、会いにごようっで決めでだんだ」


「それは、どうして?」


「アラベラ・ヴァルトナ嬢。アナダに婚約を申じごみまず」


「え? 今なんて?」


「結婚じでぐだざい!」


「きゅ、急に言われても、しかも、このような場所で……」


 令嬢は終始うろたえ、恐る恐る彼に聞いた。


「あの……どうして、ワタクシと結婚を?」


「"ありがとう"っで、言っでぐれだ」


「?」


「昔、ギミが木がらおぢで、オラが医者のどごろまで連れでいっだよね?」


「えぇ、覚えてます」


「医者まで連れでいっだあどに、オラを見で『ありがとう』っで言っでぐれだ。優しいギミのごどを今でも忘れない。その時に一目惚れじだんだぁ」


「たった、それだけのことで……」


「ギミにはそうがもじれねぇ、でも、貴族はプライドが高いがら、何がやっでもらうのが当たり前だっで思ぉでる。礼なんで誰も言わねぇ。でも、ギミだげが感謝じでぐれだ。オラを一人の男どじで見でぐれだ」


 ズデンカはより一層、アラベラ嬢を見つめ話を続けた。


「その思い出だけで、づらい事も乗りごえられだぁ」


「ズデンカ……」


「デ、デレくぜぇなぁ、ごういうの……」




 アラベラ嬢はあの日の夜から、今いる工房へ気持ちがが戻って来た。


「再開したズデンカの少年のような笑顔や仕草は、ワタクシには眩しく見えました。こんなにも、純粋な方が貴族にいるなんて。少しこそばゆいですが、彼に何かを頂いた気がします」


 令嬢は戻された心の宝石を、大切にしまうように胸を強く押さえた。


「言われるまで、ワタクシは忘れていたのですが、彼は、それを忘れずにいたなんて。しかも、たった一度のことですよ?」


 師匠は得意気に令嬢をさとす。


「アラベラ嬢、我は舞踏会でなんと言ったか、ご存知か?」


「はい。一度だけ優しくされたことを大切な思い出として、何年も相手のことをしたい続ける者がいる……でしたね?」


「いかにも」


 この場にいる三人に、ドっと笑いが起きた。

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