第16話 醜怪の石 アンサイトリー・ラムプ

 ダーケスト様が貴族の子息を引き寄せ、空いた手を彼の胸にかざし呪文を唱えた。


『As long as in the heart, within,(心の奥底に秘めた)

 A soul still yearns,(魂が切望するは)

 Our hope is not lost,(未だ失われない)

 The ancient hope,(いにしえの希望)』


 子息マッテオの胸から邪気が漂い、黒い帯が会場内を舞う。

 来客達は異様な光景にじ恐れる。


「な、なんだコレはぁ!?」


 マッテオは自身の身体に起きる異常が受け入れられず、パニックにおちいり発狂。

 高貴な軍服を通り抜け表面化した心は、シャンデリアの光を呑み込み、何物も反射しない禍々しい黒い石。

 漆黒の霧にまとわれた石を、師匠のダーケスト様は素手で掴んだ。


「おやおや、これはまた随分と穢れが積もっておりますなぁ?」


 子息マッテオは驚きを禁じ得なかった。


「な、なに⁉ ありえない。貴族は代々、高貴な血に生まれ、穢れなどと無縁のはず!」


 周囲が戦慄の表情を見せながら、邪悪な石の塊に注目する。

 ダーケスト様はまるで"よく見ろ、貴族ども"と言うように黒い塊を掲げた。

 貴族の男達は嫌悪し、貴婦人は血の気が引いて今にも失神しそうだ。


 その後で、子息マッテオの顔の側に黒い塊を近付けた。

 マッテオは自分から取り出された心の宝石を見ると、怯えて言葉が出ない。


「や、止めろ。近付けるなぁあ!?」


「何も恥じることはない。貴殿のように高い身分に生まれた者は、己の境遇を自らの手で勝ち取ったと勘違いし、過信して周囲を見下し、いつの間にか心がすさんで穢れに覆われる。ただ恵まれた世界に、たまたま生を受けただけ」


 師匠は黒い塊をマッテオの胸に押し込めるように元に戻そうとした。

 貴族の子息は魚の顔をした研魔職人へ懇願する。


「あ、あぁー!? そんな穢らわしい物を、僕の身体に入れるな!?」


 黒い石は拒むことなく雨粒が大地へ吸われるように、自然とマッテオの胸に取り込まれた。

 ダーケスト様は一仕事を終えると、若い貴族の腕を離す。

 子息マッテオは全身の肉と骨を抜かれたように、床にヘタリ込む。

 この奇っ怪な状況に着地点が見いだせない中、沸々と煮えたぎる感情がこの男から噴出した。


「よくも、よくも僕に恥をかかせたな……決闘だ。決闘だぁあ!!」


 軍閥の一族エレメル伯爵の跡取り息子マッテオは、片膝をつきながら立ち上がり、白い手袋を外して、師匠のダーケスト様へ勢いよく投げつけた。


 けど、師匠はソレを身体に当たる寸前でキャッチ。

 そのまま投げ返す。


「ふんぬ!」


 ペチン! と、音を立ててマッテオの顔面に当たった。

 白い手袋は床に虚しく落ち、貴族の伝統ある決闘は叶わなかった。


 マッテオのガラスのように透き通る肌は、みるみると赤くなり、怒りの納めどころを見失う。


「あああぁぁぁーー!! 衛兵ー!!」


 号令をかけられ慌てて五人の衛兵が駆けつける。

 衛兵達は何が起きたのか呑み込めなくとも、目の前の大柄な魚人が敵対する者だと察し、師匠のダーケスト様を囲む。

 師匠は事態の悪化を危惧し、両手を上げ反抗の意志が無いことを示した。


「コイツを叩きのめせ!」


 子息マッテオの合図で衛兵は、なんのためらいもなく、槍の裏でダーケスト様の膝裏を思いっきり叩いて、床へひれ伏せるように倒す。


 魚人の師匠が床へひざまづくと、槍を逆さにして、持ち手の棒で一斉に襲いかかった。

 棒で刺すように突き、時に足で蹴るなどの容赦ない暴力が続く。


 師匠は声を上げることも抵抗もせず、うずくまり、ただただ荒波のような苦痛に耐えていた。

 衛兵は仕事や私生活に溜まった、日頃の憂さ晴らしとばかりに、暴力を止めようとしない。


 アラベラ嬢から借りたタキシードは紙を引き裂くように、みるみると破けていき、無惨な布へ変わり果てていった。


 私は異人という、人と少し違う存在が、どれだけ世の中からさげすまされているのか思いしらされる。

 ここにいる貴族からすれば、それは対等な存在じゃない。

 道に転がる小石よりも酷い扱いだ。


「いやぁあー!!? 師匠っ!?」

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