第2話離縁してくれないか


昼を過ぎて、首の痛みが和らいだので湿布を剥がす。

くるくると首を回してみたところ、違和感こそあるものの、痛みはほとんど消えている。


ふう、とため息を吐いたところでノックが鳴らされ扉が開かれた。

「そろそろティータイムになさいませんか」


いつもに増して声のトーンが高いマイロにどうしたのか尋ねると

「今日はご結婚より一年目の記念日でございますから、料理長のサリアンが腕によりをかけてなんだかすごいケーキを作るのだと言って張り切っているのです」


廊下からふんわりと香る美味しそうな匂いの正体を告げられた。


「すごいとはどの様にすごいのかしらね?」

「さあ…見に行こうとしたら邪魔だからと締め出されたのですけれど、ほらこれ。クランベリーのクッキーをくすねて来ました」


なるほど、彼女のご機嫌の理由はこのクッキーだ。

「良いわね、一緒に頂きましょうか」

というとマイロの瞳が輝いた。

彼女は無類の甘い物好きなのだ。


マイロは私のふたつ上。姉のフォレスティーヌと同い年である。

だからなのか、新しくお姉さんができたような気がしていた。

時折こうしてお茶に誘うこともある。


銀製のポットからお茶が滑る。

背筋が伸びる様な茶器の音が心地良い。


「それで奥様、今日は私いつもより早く帰宅しますので御夕食のお支度が整いましたら失礼いたします」

「あ、そうだったわね。お付き合いされている方と御両家の顔合わせだとか。いよいよね」

「私とても緊張してしまって。今も落ち着かないのです。申し訳ありません」

なるほど、気持ちの浮き沈みをなんとか誤魔化そうとクッキーをくすねたのかもしれなかった。

「あら、緊張するのは当たり前のことだわ。そうだ、気が紛れるかわからないけれど、こんなものがあるのよ」


デスクの引き出しから巷で流行りの占い本を取り出した。

にっこり微笑んで尋ねる。

「マイロ。あなたの誕生日は4月6日だったわね?」

こくこくと頷くマイロはやや前屈みになって本を覗き込む。


誕生日と今日の日付が交わるマスに一言運勢が記されている簡単な占い本だ。

4月のページを捲り、ついと指で6日まで辿る。

「今日は1月30日だから…ここね。ええと『全て決まる心せよ』ですって。『ラッキカラーは赤』だそうよ」

マイロはガバッと顔を隠して

「奥様、どうしましょう…!今日で全て決まる…?どうしましょう!」

「良い方に決まるのじゃないかしら?」

「そうですよね!?赤いもの…なにか探して持っておきます!」


私はひとつ思い当たり、それならと告げてドレッサーの引き出しから、金糸でビーズが縫い付けてある赤いハンカチを取り出しマイロに手渡した。


「奥様、これは?お貸しいただけるのですか?」

「今日がいい日になったらそのまま貰って頂戴」


マイロは艶やかな頬を紅潮させて何度もお礼を言った。


うふふ、と2人で微笑みあっていると階下から騒がしい声が駆け上がって来た。

「?なんでしょう。見てきますね」

そう言って彼女が立ち上がった瞬間、ノックが聞こえ老執事が入室してきたかと思うと

「旦那様が帰ってこられました」

そう告げられた。

「あら、今日はお早いのね。お迎えに上がらなくてはいけないわ。ああ、どうしましょう。お茶を飲んだら結い上げてもらおうと思っていたけれど…」

私は自分の銀髪を鏡に見てため息を吐いた。

「奥様、どうかお気になさらずに堂々とお迎えくださいませ」

こくりと頷いて二階の廊下から下を見る。

旦那様が上着を脱いでいた。


(もしかして、今日が一年目の記念日だから早く帰ってこられたのかしら。だとしたらお仕事が溜まってしまわないか心配だわ。でも、本当にそうだとしたら…どうしましょう、嬉しくて泣いてしまいそうだわ)


螺旋階段を駆け下り、旦那様の前まで急ぐ。

「お帰りなさいませ。本日は早いご帰宅嬉しく存じます」

(どうしましょう、嬉しくてたまらない)

きっと私の頬は真っ赤なのかもしれなかった。


旦那様は私のすぐそばまで歩みを進めると

「今日は話したいことがあるんだ。早めに夕食は摂れるか?」

執事は「そのように」と言い、一礼してから踵を返して厨房へ向かった。





寸分の違いなく並べられたカトラリーを見つめていると、程なくして夕食が運ばれた。

私はなぜかそわそわしてしまって、あまり食が進まなかった。

いつもは仕事の話や、知り合い友人との話などで和やかな夕食であるけれど、今日はなぜか静寂が場を支配している。


なんだか居た堪れなくて言葉を紡いだ。

「旦那様、今日は私たち結婚して一年…」


「すまない」


突然旦那様は頭を下げた。

私たちが結婚して一年が経つこの日に何を詫びることがあるのだろう?

真面目に考えてみるけれど、何も答えが見つからないまま旦那様は話し始めた。


「離縁してくれないか」

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