第15話 異国の少年、王子と街へ③

 ユクスに手を握られたまま、侍女に連れられてとびきり長い廊下を歩く。

 階段をひとつ下った先にある部屋に入ると、刺繍をあしらった作品や、かわいいドレスを着た少女のドール、さらには作りかけのように見える大人用のドレスまでもがあたり一面に並べられていた。

 夫人はユクスの姿を認めると、「あら!」と高い声を出して口元を押さえた。

「まあまあまあまあ! ユクスさまもいらっしゃったのですか。こんな狭いお部屋に申し訳ございません」

「いいえ、とんでもございません。おじゃまでなければ私も交ぜていただけませんか」

「もちろんでございます」

 夫人は中央に置かれたソファに座るように二人を案内する。どこからか侍女がやってきて、人数分の紅茶を置いて出ていく。

 夫人はサザナミとユクスの正面に腰を下ろした。

 ユクスは興味深そうにきょろきょろと周囲をみまわしていたが、夫人が着席したのを見て口を開いた。

「こちらは夫人がお作りになったのでしょうか」

「ええ、そうですわ。あらやだ、自分でお招きしておいて急に恥ずかしくなってきました。どうか老婆の趣味だとお笑いくださいね」

「とんでもないです」

 ユクスはソファにかけられていた花の刺繍入りのブランケットを手に取った。ちらりと見やると、どこか見覚えのある柄だった。妹がよく着ていたワンピースかなにかに刺してあっただろうか。

「私は裁縫に詳しくないのですが、母さまが刺繍を刺していたのをよく見ていました。こちらの刺繍の図面に似たものをつくっていたような気がします」

「そうでしたか。そちらは海外の刺繍をモチーフにしております」

「なるほど。細やかですばらしいと思います。うつくしい」

「まあ、ありがとうございます」

 夫人はまるで少女のようにはにかんだ。

 サザナミにはまったくわからない世界の話だったが、夫人が裁縫に並々ならぬ情熱をかけているのは伝わってくる。

 紅茶を持ってきた侍女とは別の侍女がやってきて、夫人の横に大量の布の塊を置いた。

「長男やエーミールが子どもだったころ、私はたくさん服をつくっていたのです。それはもう、三六五日違う服を着れるくらいには。でもね、子どもってすぐに大きくなってしまうでしょう。だから着られずに仕舞ってしまった服がたくさんあるの」

 夫人は侍女から受け取った布を丁寧な手つきでテーブルに並べる。

 布の塊だと思ったものは、すべて子どもサイズの服だった。正装のような衣装から、普段着のようなラフな仕立てのものまである。

「それでね、サザナミくんが気に入るものがあればぜひもらっていってほしいの」

「え」とサザナミは驚く。

「兄弟は二人とも成人してしまって着れなくなってしまったから。ね、好きなデザインはあるかしら? これ以外にもまだたくさんあるから、遠慮せずに教えてちょうだいね」

「あの、俺、お金を持っていないので……」

「まあ! 年寄りの趣味ですからお代なんていただきませんよ。エーミールとなかよくしてくれているお礼にと思ったのだけど、どうかしら?」

 夫人は、エーミールと同じ人のよさそうな表情でサザナミを見つめた。

 困惑するサザナミは、隣に座るユクスをちらりと窺う。すると、「ご厚意に甘えればいいじゃないですか」と笑われてしまう。

「……ありがとうございます」

「好きな色やデザインはある?」

「好きな……」

 サザナミは困惑する。

 これまでの人生で、誰かに好きなものを選んでいいと言われたことがなかったからだ。夫人に問われてはじめて、いままで好きか嫌いかという物差しで世界を見たことがなかったことに気がついた。

 わからないと口にしようと思ったとき、ユクスが「これは?」と指をさした。

 彼の指の先には、濃紺の生地でつくられた詰襟のシャツが広げられてた。襟元から前身頃の中央にかけて朱色の刺繍が入っている。カフスも刺繍糸とお揃いの朱色だ。

 ホムラでは見ないデザインのシャツだった。生地はシルクではなさそうだが、手触りがよく着心地もよさそうに感じる。

「おまえのそのうつくしい朱い瞳とよく合うのではと思って」

「そうかな……」

「まあ、すてき。たしかにサザナミくんにぴったりですね」

 夫人に勧められるがまま別室でシャツに着替えて戻ってくると、夫人は「あらまあ!」と瞳を輝かせた。

「とっても似合っているわ。昔はいかにも貴族っぽい服もつくっていたのだけれど、エーミールもふだんはこういう動きやすいシンプルなシャツを好んで着ていたの。ああ、懐かしい」

 息子に向けるような視線を向けられ、サザナミは気恥ずかしさから目を背けてしまう。

 ちらりとユクスを見ると、眉を上げて「なんですか?」と口にする。

「あ、いや」

「似合ってますよ。おまえ、いつも騎士団の制服を着ているでしょう。なんだか新鮮です」

「ユクスさまのお墨付きもいただいたのですから、ぜひこちらをもらってちょうだいね」

 夫人はそう言いながらサザナミの周囲をうろうろと観察してまわり、「丈が合っていないかしら……でもきっとすぐに背が伸びるからこのままでも……いやそれは妥協ね……」と呟いている。

「ちょっとお直ししてもいいかしら」

 夫人はいつのまにか裁縫道具を片手に持っていた。サイズの合っていないという丈や裾をまち針で止めていく。

 あら、と夫人がつぶやいた。「サザナミくん、髪に糸がついているわ」

 頭についた糸くずをつまもうと夫人が上から手をふりおろす。

 そのとき、サザナミは思い出した。

 ある下級貴族の家で働いていたとき。その家の女主人から見た目が気に入らないと難癖つけられ、頻繁に暴力をふるわれていた。

 ーー怖い。

 サザナミはとっさに夫人の腕を掴んでいた。

 長い前髪がはらりと一房落ちる。

 夫人の橙色の瞳に、自分の怯えた顔が映っていた。

 サザナミははっとして、その場に傅くと謝罪の言葉を口にした。公爵夫人にしていい態度ではない。

 ひたすら地面を見つめるサザナミの頭上に、影が落ちた。

「サザナミくん」

 夫人はすっと膝をつくと、そのままサザナミの手を握り、控えめに顔を覗き込んだ。

「いきなりごめんなさいね。私は……私たちはあなたの尊厳を踏みにじらないですから」

 そんなことはこの邸に来て夫人に挨拶をされたときから、とうにわかっていた。しかし体の記憶が夫人の思いやりを拒絶してしまったのだ。

「エーミールから遠い東の生まれのお友だちができたと聞いてから、あなたに会えるのを楽しみにしていたの。どんな子で、どんなふうに笑うのだろうって。ねえ、一人で寂しくない? それから、この国で辛いことはないかしら。私も北からこの国に流れ着いた身だから、あなたの気持ちをすこしだけわかってあげられるかもしれないと、お会いする前から余計なおせっかいを焼いていたのよ」

 夫人はそう言うとサザナミをすっと抱きしめた。

 夫人から香る、やわらかな花の香りがサザナミのまつ毛を濡らす。サザナミの体から力が抜けた。

 エーミールやアキナに聞いた話では、北と東の戦争がはじまる以前に、北では政権をひっくり返すクーデターが起きた。当時、北の一大勢力で政権の中枢を担っていたオルロランド家は、クーデターによって国を追われたのだと。

 オルロランド家は伝手を頼って西のアルバスまで逃げおおせた。アルバスの王はオルロランド家が背負った苦難と、それでも必ずや祖国の誇りを取り戻すと炎を灯す姿勢に敬意を表し、またこれまでオルロランド家のおかげで北と友好関係を築けていたことも考慮し、公爵の位を授けた。

「なにかあったらいつでも言ってちょうだいね」

「……ごめんなさい」

 夫人は、まあ、と呟くと体を離した。

「そういうときはね、ありがとうって言うのよ」

 ひどくやさしい手つきでサザナミの乱れた前髪を整え、あたたかな微笑みをひとつ。

「さあ、お洋服はすこしサイズをお直ししてから送りますね。ユクスさま、お付き合いくださりありがとうございました」

「いいえ、とてもたのしい時間でした」

 ユクスは膝にかけていたブランケットを戻すと、サザナミに手を差し伸べた。

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