第13話 異国の少年、王子と街へ①

 早朝、息苦しさを感じて目が覚めたサザナミは、薄暗い部屋のの天井を見つめ、目が慣れるまでじっとしていた。

 心臓が早鐘を鳴らしている。

 そろりと体を起こし、出窓のカーテンを開けて外を確かめる。まだ夜明け前のようだった。

 ――今日もあまり眠れなかったな。

 自分の内側に渦巻く赤黒い気配をやりすごすように、サザナミはぎゅっと強めに瞬きをした。

 前髪をかきわけ、両頬をたたく。

 アルバスに来てから落ちついていたサザナミの体調は、ここ最近また乱れるようになっていた。うちに潜む魔力が暴れる原因はわからない。とにかく息苦しさを感じて早朝に目が覚めたり、心臓がうるさくて夜中眠れなかったりする日が、数日に一度のペースでサザナミを襲っていた。

 医者から言われている定期検診まではまだ数週間ある。

 窓を開けると、夜にもかかわらず湿気た空気がサザナミの鼻をついた。それを鬱陶しく思い、すぐに窓を閉める。

 騎士団から用意された五畳ほどの部屋は、狭さの割にはがらんとしていた。一人用の簡素なベッドと、書き物ができる程度のサイズの丸テーブル、洋服をかけられる簡素なラックが置かれていたのみ。椅子はなく、ふだんはベットを椅子代わりにしている。ただ、もともと平民だったサザナミからすると、窮屈さはまったく感じないのであった。

 サザナミはテーブルに置いていた水差しを手に取り、直接喉を潤した。

 日が昇ったら、ユクスとエーミール、アキナと出かけることになっている。

 公務ではないとはいえ一国の王子が外出するのだから、それなりの護衛がつき従うのだろう。

 昨日から、サザナミはえも言われぬ緊張感に襲われていた。

 ――俺だって本当は護衛側のはずなのに。

 敗戦国の民として惨めな生活を経験して、自らの意思とは関係なく奴隷に身を落とすことになってから、めまぐるしく変化する自分を取り巻く環境をいまだしっかりと受け入れられてはいなかった。

 奴隷商人から救ってくれたアキナやこの国の暮らしを教えてくれたエーミール、そして危険を顧みずに手を差し伸べてくれたユクスのおかげで、徐々に自分の足で大地を踏みしめている実感が湧きはじめていた頃だった。

 三人には並々ならぬ感謝の念を抱いているサザナミであったが、まだ幼い少年は自分の気持ちを間違いなく伝える言葉を見つけられずにいる。

 ――ただありがとうって言っても俺の気持ちはうまく伝わらない気がする。どうすればいいのだろうか。

 テーブルの上に放っておいたアルバス語の辞典を手繰り寄せると、そのままベッドに寝転がる。

 ペラペラとめくっても、彼らに伝えたい言葉は見つからなかった。

 眠れぬまま異国の言葉を眺め、朝日を待った。


 ***


 いかにも高揚感を抑えきれないといった様子で王宮の正門にやってきたユクスは、王族用の豪奢な馬車を目にすると、一転して抗議の目をアキナに寄越した。

 アキナは気まずそうに視線を泳がせて、「中間管理職の辛さをわかってくださいよ」とこぼした。

「知りませんよ」

「はいそうですか。あのね、出かけるって言ってもね、坊ちゃん連れて歩いて市内観光はさすがに許されないのよ」

「お父さまに頼んでくださいと言ったじゃないですか」

「いや、もちろん言いましたよ。でもね、たかが数日じゃ陛下が満足される警備体制は用意できないんです」

 ユクスは頬をふくらまして「でも!」と声を上げた。

 馬車の前で言い合いを続けるユクスとアキナを困惑した表情で見守っていたエーミールは、サザナミの視線を感じると、すこししゃがんで視線を合わせた。

「晴れてよかったね」

「はい。エーミールさん、お休みの日にありがとうございます」

「思ったより大勢になっちゃってきっと困惑していると思うけれど、せっかくだからアルバスのことを知って、すこしでも好きになってくれたらうれしいな」

「はい」

「僕もきみと同じでこの国で生まれた人間ではないけれど、この国の人々が好きだから」

 エーミールは目を細めてそう口にした。

「サザナミ、エーミール、そろそろ行くぞ」

 いつのまにか喧嘩を終えていたアキナに声をかけられ、エーミールに手を引かれて馬車に乗る。

 かつて自分が乗せられていた馬車とは違い、椅子もあるし清潔そうだ。

 ユクスの隣に座って顔を窺うと、まだ機嫌を損ねているようだった。

「今日はありがとうございます」とサザナミから話しかけてみる。

「ええ」とユクスは罰の悪そうな表情をして、「ごめんなさい」と口にした。

「え、なんでですか」

「その、今日はおまえにアルバスの街を案内するのが目的だったでしょう。でも、私がいるせいで外を歩けないから……」

「馬車の中からでも外は見れますよ」

「ええ、まあそうなんですけど」

 ユクスは歯切れが悪そうにそう言った。表情が晴れない。

 あの、とサザナミはユクスの手を取る。

「俺は楽しいですよ」

 ユクスの顔をのぞきこみ、正直に自分の感想を伝える。ユクスはすぐに窓の外に顔を背けてしまった。

「俺、今日が来るのをずっと楽しみにしていましたし」

「……ならいいんですけど」

 それきりユクスは黙ってしまったので、車内には静寂の時が訪れた。

 サザナミは窓から外の様子をうかがう。

 石畳の道路に、日差しが反射して街全体がきらめいて見える。

 ――あの日もこんなふうによく晴れた日だったけど、汚い荷馬車から眺める街並みはもっとどんよりして見えたな。

 窓の外の景色に飽きたサザナミは、目の前に座るエーミールに目を向けた。

 馬小屋でユクスに会ったときも、文官の部屋にユクスがおしかけたときも、エーミールはずっと緊張しているように見えた。ふだんはそれこそ貴族のように優雅な微笑みをたたえるエーミールでも、異国の王子には緊張するものなのだろうか。そのあたりの感情の機微が、平民のサザナミはいまいち理解できなかった。

「エーミール、緊張しなくていいよ」

 アキナがエーミールの腿をさする。

「あ、はい。すみません」

「ほら坊ちゃん、言おうと思っていたことがあるんじゃないか」

 ユクスは窓から視線を戻すと、「ああ、そうでした」と居住まいを正した。

「エーミール。きょうは自由に発言をゆるしますので、私とおしゃべりしてくださいませんか」

「はい」

「思えば私、おまえとちゃんとお話しをしたことがなかったと先日気づいたのです。オルロランド家がわが国にいらしたとき、私はまだ生まれたばかりでしたから」

「覚えていただけていて光栄です」

 エーミールは緊張を解くとふっと上品に微笑んだ。

「ところでアキナ、この馬車はどこに向かっているのです」

「ん? ああ。エーミール、説明してちょうだい」

「ユクスさま」

 エーミールがわずかに体を乗り出してユクスを見る。

「はい」

「自分で申しあげるのもお恥ずかしい話ですが、とっておきの場所がございます」

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