第10話 遊びにいきたい①

 よく晴れた日の午後のこと。

 少年団の仕事がはやめに終わり、することがなくなったサザナミは、食堂で遅めのランチをとっていた。

 騎士団の宿舎に併設されているこの食堂は、いつもサザナミが利用する十二時から一時間ほどのあいだは男たちの汗と喧騒で満ちていた。ふだんなら目の前に座っていても怒鳴らないと声が聞こえないほどのやかましさだが、いまは食器が擦れる音が反響しているのみ。非番の団員が一人二人、私服で食事をとっているだけで閑散としていた。およそ見慣れた光景とはかけ離れている。

 なんだか落ち着かない気持ちになったサザナミは、一番奥の窓際にある四人がけのテーブル席に一人で座った。

 窓からやわらかな日差しがさしこむ。年中をとおして温暖な気候というアルバスらしい陽光であった。

 大きなあくびをして、伸びをひとつ。

 ——静かだな。

 窓の外をぼうっと眺めていると、正面に誰かが座った。

 ちらりと見ると、私服姿のアキナが「よお」と手を上げた。

 サザナミが敬礼をしようとすると、「いらん」と制する。

 麻のシャツに動きやすそうなスラックスといういでたち。きっと非番なのだろう。コーヒーを片手に腰を下ろしたアキナは、心なしかいつもよりも柔和な気配をまとっている気がする。

「いい天気だな」

「はい」

 アキナはコーヒーを一口啜る。

 かちゃり。

 ソーサーにカップを置く音が控えめに響く。

「身体はどうだ」

「はい、落ちついています。医師の方も問題ないとおっしゃっていました。ただ、いつどうなるかはわかりませんが……」

 サザナミは口をつぐみ、下を向く。

 ホムラにいたころ、サザナミはその身体には多すぎる魔力量に苛まれてたびたび寝込んでいた。両親と兄は気味悪がっていたが、幼い妹だけが懸命に看病をしてくれた。

 奴隷になってからは熱が出て倒れても誰も助けてくれなかったどころか、仕事に穴を開けてしまうと鞭を打たれて罰されていた。

 アルバスに入国したあの日以来、サザナミの魔力が暴走することはなかったが、そうは言ってもいつ倒れるかはわからない。奴隷時代のいやな記憶があるため魔力のせいで寝込むことをひどく厭っているサザナミは、騎士団での生活に心地よさを覚えるほど「倒れてはならない」と緊張を募らせていた。

 アキナは脚を組み直して口を開いた。

「休みの日はなにしているんだ」

「だいたいアルバス語の本を読んでいます。エーミールさんが図書館の入館証をつくってくださったので、まとめて借りられるようになったんです」

 勉強熱心だな、とアキナが微笑む。「どこかに出かけることはないのか?」

「エルマの様子を見にいくことなら」

 エルマというのは、騎士団が擁している鷹のことだ。サザナミが属する少年団が面倒を見ている。

「エルマの世話は仕事じゃないの。王城の外には遊びにいかないのか?」

「外ですか? とくに用事がないので出ていませんね」

 アキナは信じられないといったふうに肩を落とした。

「遊んできな」と言って、サザナミに銀貨をほいっと投げた。

 サザナミは口をぽかんと開ける。

「い、いただけません」

「いいのいいの。絶妙に出世しちまった独り身のおじさんはね、お金が余ってしかたがないんだよ。俺はおまえと同じ平民の出だから贅沢は性に合わないし、このままだと死ぬまでに使いきれないくらいにはあるんだ。こうやってお小遣いあげるくらいしか使い道がないの。どうかもらってやってよ」

 サザナミは銀貨とアキナに何度か視線をやって、納得のいかない顔で「ありがとうございます」と頭を下げた。

「誰と遊びに行ってもいいからな。とはいっても、少年団の子らとはなかなか休みが被らないか。坊ちゃんは……」アキナは顎に手を当ててふむと考える。「さすがに気軽に外には出れんか」

「一人で行きます」

「土地勘がないサザナミが一人で出かけてもろくに楽しめないだろう」

「いや、でも」

 サザナミは焦る。これまで幼い妹と手を繋いで家の近くで遊ぶくらいで、人と遠出をしたことがなかった。もちろん自分から人を誘ったことなんてこともあるわけがない。そう言いたいのに恥ずかしくてうまく言葉が出てこない。

「あ、そうだ。エーミールなら空いてるんじゃないか。一緒に出かけてきな」

 いい案を思いついたと言わんばかりににかっと笑うアキナに、サザナミは「はい」と返事をするしかなかった。


 サザナミは王宮の正門で、はぁ、と盛大なため息をついた。

 ——いったいどうしてこんなことになったのだろうか。

 エーミールは騎士団に身を置きながらも、王宮内の文官としても働いていた。

 騎士団に所属するサザナミは王宮に自由に出入りすることができる。とはいえ、とくに理由がなければおいそれとおじゃますることはできないため、とくに用のないサザナミはこれまで中に入ったことはなかった。

 正門で警備する衛兵に「エーミール・オルロランドさまに書類を届けにきました」と告げると、入城を許される。書類は食堂でアキナから渡されたものだ。「ついでに外出を誘ってこい」とにやにやした顔で背中を押された。

 そわそわしながら衛兵の案内に従い、文官たちが働いているという一室に通される。

 部屋の壁一面には書棚が並び、入り口から見て手前にはソファと小さなテーブルが設置されている。そのソファの奥に背の低い本棚が仕切りになっていて、さらにその奥に文官らが働く机が並べられていた。

「失礼します」

 書棚の本とにらめっこをしているエーミールがはっと顔を上げた。サザナミの姿を認めると、小首をかしげる。

「あれ、サザナミくん。どうしたの」

 エーミールはいつもは束ねている銀髪を下ろしていた。ゆるやかなウェーブが肩で跳ねている。

 いかにも貴族らしい姿にサザナミは緊張する。

「団長から書類を預かってきました」

 書類を手渡すと、「ありがとう」とエーミールはお礼を言う。

 エーミールはすぐに中身をぺらぺらとめくって確かめると、あれ、と口にした。

「たしかアキナ団長って今日はおやすみだよね。どうしてこんな急ぎじゃなさそうな書類をわざわざ届けてくれたんだろう。サザナミくん、なにか知ってる?」

 サザナミはうっと言葉に詰まった。

 ——気を利かせたアキナ団長のせいです、だなんて言えない。

「あ、あの、エーミールさん」

「うん、なあに」

「外に出かけてくるように団長に言われたのですが」

「うん」

「今度のお休みはいつですか」

「ん?」とエーミールは首をかしげた。書棚に置かれている暦に目を向け、腕を組んでしばらく考え込むそぶりをしてから「サザナミくんと一緒で週末だよ」と口にした。

 サザナミはぱっと顔を上げる。

 そんなサザナミの表情を見て、エーミールはすべてを察した。

「僕、ちょっと出かけたいなと思っていたんだけど、今度のお休みにもしよければ付き合ってくれないかな」

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