第8話 とうとき御心

 つぎにユクスがサザナミのもとを訪れたのは、一週間後のことだった。

 騎士団の宿舎の外廊下を掃除しているサザナミに、どこからともなくユクスが近づいてきたのだ。

 正面からユクスにじっと見つめられ、いつもの落ち着かない気分になったサザナミは、アキナの言葉を思い出し、おずおずと口を開く。

「あの」

 弾けるようにユクスが顔を上げた。

「発言をおゆるしいただけますか」

 ユクスはわずかに顎を引いた。

 それを肯定ととらえ、サザナミは口を開く。

「ユクスさまは、どうして俺のことを気にかけてくださるのですか。失礼を承知で申し上げるのですが、あなたはこれまであまり他者と交流を持たれていなかったと、こちらの民が噂をしているのを聞きました」

 ユクスはそろりと頷く。

「おそれながら、異国の民がめずらしいのでしょうか」

「違う」

 はっきりとした声だった。

 言葉の強さにサザナミはうろたえる。

「じゃあどうして」

「私が、ただ、サザナミとお話ししたいから、という理由ではいけませんか」

「は?」

 目の前にいるのが王子だということを忘れ、サザナミは間抜けな声を出していた。

「俺と話したい? なぜですか」

「なぜって言われましても」

「俺の見た目が気になるのですか。たしかにアルバスの方々からしたら、俺のような黒髪赤目はめずらしいと思います。飼いたければどうぞご自由にしていただいてかまいませんよ」

 サザナミは最後まで言いきってから、内心舌打ちをした。そんな乱暴な言葉を吐いていい相手ではない。

 奴隷時代のあれこれを思い出し、沈んだ気分になる。しかし、その思い出と目の前にいるユクスはまったく関係ない。

ーー俺はなにを噛みついているんだ。

 ユクスはしばらく無言のままだった。おそるおそる顔を見あげると、目が合う。

 見たことのない、ほの暗い瞳をしていた。

 サザナミはゾッとして一歩後ずさる。

 がしゃん。

 足元に置いていた掃除道具が足に引っかかり、大きな音を立ててて倒れる。

 ユクスはその音にはっとして、サザナミを正面から見据えた。

「飼うとは、いったいだれがそのようなことを言ったのですか」

「……いままで俺を買った貴族たちが。おまえは愛玩動物だと」

 ユクスは菫色の目をこぼれんばかりに開いてサザナミを凝視した。

 そのまま、サザナミを抱きしめた。ひとまわり大きいユクスの腕のなかにすっぽりとおさまってしまう。

 背中から、ユクスが鼻をすする音が聞こえる。

「どうしてユクスさまが泣いているのですか」

「子どもはね、愛されるために生まれてきたんです。母さまが言っていました」

「俺を売ったのは俺の家族です」

 ユクスの体が強ばった。

 しかしその緊張をすぐにほどくと、サザナミのことをいっそう強く抱きしめた。

「それでは私があなたを愛します。ざんねんながら家族にはなれませんが、私なら家族なんかよりも大きな愛を差し上げられますから」

「大きな愛?」

「王族の大きな大きな愛です。あいにく金と権力はたっぷりと余っていますので」

 サザナミは体をよじってユクスの横顔をぬすみ見る。

 いたって真面目な顔だった。

 思わず、サザナミは吹き出す。

「おまえ、そういう冗談言えるんだな。あ、すみません」

 ユクスは体を離し、ふるふると首を振る。

「どうかサザナミの喋りやすいように」

 そう言って、ユクスはふわりと笑った。

 元奴隷の少年は、王子の笑顔を見てなぜだか祖国に咲く桜の花びらを思い出した。先日エーミールと話したからだろうか。

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