第3話 光の子ども
サザナミは騎士団長のイエイル・アキナに手を繋がれ、アルバスの市街地を歩いていた。
「見たところおまえは東の子どもだろう」
サザナミは頷く。
「俺は彼の国の言葉を扱えない。申し訳ないのだが、このままアルバス語でしゃべっても大丈夫だろうか」
「大丈夫です。日常会話程度なら学んでいるので」
「助かるよ。おまえのことは医師団に運ばせたかったんだが、あいにく祭りのせいでどいつもこいつも手が離せないようで……こんなおっさんですまんな。まあ、そこそこ強いおじさんだから許しておくれよ」
アキナは白い歯を見せてにかっと笑う。
強面の顔、日に焼けた肌、屈強な体躯。見た目の印象とは異なり、ずいぶん優しい言葉を使う男だな、と子どもながらにサザナミは思う。祖国にはいなかったタイプの男だ。
「あ、いえ。ところでどこに向かっているのでしょうか」
「ああ、なにも言わずに連れてきてすまんな。この先に医師団が駐在するテントがあるんだ。おまえのことを診てもらおうと思ってな」
「ありがとうございます」と慣れない国の言葉で呟くと、「気にすんな」とアキナが笑った。
ーーはたして自分の人生はどうなってしまうのだろうか。
サザナミはいましがたの騒動ーー奴隷商人からあっさりと解放されたことにまだ混乱していた。凄惨な奴隷人生が退けられて自由を得たはずのサザナミだったが、まだ年端のいかぬ子ども。知らない国を歩く二本の足はひどく頼りなく、地面はぐらぐらと揺れているようだった。
そんな不安をよそに、陽光は燦々とサザナミを照らす。サザナミはアキナの手をぎゅっと強く握り、意を決して口を開いた。
「あの、俺はどうなるんでしょうか」
「あ、ああ、落ち着いたら相談しようと思っていたんだけどな、」
アキナはそこまで言うと口を閉ざし、前方をじっと見据え、とつぜんその場に傅いた。ぴりっとした気配がアキナを纏う。
手を繋がれたままのサザナミは呆然と立ち尽くし、アキナが見ていた方向に目を向けた。金髪の子どもが、アキナと似たような服を着た男を複数人従えて早足で駆けてくる。
「アキナ!」
パレードで見かけた王族の子どもだった。
遠目から見たとおり線の細い体だったが、背はサザナミより頭ひとつ分大きい。衣服に施された金色の刺繍が、陽光を受けてチカチカと光る。少年は乱れた礼装をさっと整えると、菫色の瞳でこちらをじっと見た。
ーーまた、この瞳だ。
サザナミは心の臓を掴まれたかのように、二つの菫色から逃れられなくなる。
「アルバスが騎士団長、イエイル・アキナにございます。ユクスさまにおかれましては、ご機嫌麗しく……」
菫色の瞳はすぐにサザナミからはがれ、アキナに向けられた。
「かしこまった挨拶は不要です。どうかいつもの感じで」
「そんなこと言われましてもね、ここは結構人の目があるもんで……」
アキナは少年の耳に顔を寄せ、小声でそう言う。
「おまえがその調子なのは、ほとんどの民が知っていることですよ」
まいったな、と乾いた笑みをこぼす。
「じゃあ、お言葉に甘えまして。坊ちゃんがこんなところまで来るなんてめずらしい。なにかご用事でも?」
「いえ、私はあのとき荷台にいた少年を……」
「荷台?」
アキナの問いかけに「ええ」と答えた少年は、ふたたびサザナミに視線を寄越した。そのまま上から下までじっと観察される。厳しさなんて微塵もない、むしろ穏やかな視線だったが、サザナミは直立不動で動けなくなってしまう。
「あ、あなた!」と急に菫色の目が大きく開かれた。「ごぶじでしたか、よかった!」
「顔見知りか?」
「いえ、違うんです。先ほどのパレードで荷台に乗っているのが見えまして、少々気になっていたんです。その、隙間から見えたあなたの目が、なんと申しましょうか、すごく……辛そうだったので」
少年はそこまで言うと、遠慮がちに目を伏せた。サザナミは彼の視線を追って、地面に目を落とす。細長く小さい影がふたつと、隣に大きな影がひとつ。
アキナはかんたんに荷馬車のことや奴隷商人のことを少年に話していた。
サザナミは顔を伏せたまま、気づかれないように視線だけで少年の顔を見る。
ーーあの、西洋人形に似ている。
奴隷としてある公爵の家で働いていたとき。
サザナミは毎週金曜日の夜になるとその家の息子の部屋に呼ばれていた。少年愛者の息子が、齢十ほどのサザナミの体を弄んで悦に入っている間、サザナミはずっとキャビネットの上に置いてあった西洋人形を見ていた。やわらかそうな金の髪、紫の瞳、上等な生地の衣装。どうにかこうにかしてほかのことを考えて気を紛らわせたいサザナミは、西の子どもはこんな見た目なのかと、見たことも行ったこともない国に暮らす少年を想像して、心を慰めていた。
頭ががんがんと音を立てて痛み、心臓はうるさいくらいに鳴り響く。
ーーいやだ、怖い、やめて、痛い、俺を傷つけないで。
サザナミはその場にうずくまった。
「おい、どうした!」
突如うずくまって息を乱すサザナミに驚いたアキナは、すぐにしゃがんで手を差し伸べようとする。しかしサザナミのまわりを取り囲む異様な気配を察知すると、「なんだ、これ」と呟いて、すぐに体を離して間合いを取った。
赤黒い気配がサザナミのまわりを取り囲んでいた。
「ユクスさま、離れてください!」
ユクスは目を瞠ったまま、サザナミの正面から動かない。ユクスの足元にもサザナミから漏れ出る赤黒い気配が立ち込める。
かちり。アキナが剣の鞘に手を触れた。
その瞬間、赤黒い気配がアキナを襲った。
「なんだこれ、動けねえぞ! ユクスさま、危険です。どうか離れてください!」
ユクスは己の足元を侵食せんとする赤黒い気配を見つめると、静かに一歩踏み出した。
そのまましゃがみこみ、地面に伏せるサザナミを抱きしめた。
二人を赤黒い気配が覆う。
いまだに動けないアキナの叫び声が聞こえる。
「落ち着いて、大丈夫。私は、私たちは、あなたを傷つけません」
サザナミの背中に温かい手のひらが添えられる。
「ゆっくり呼吸して。そう、そうです。いい子」
二人を取り囲んでいた赤黒い気配がふっと遠のいた。
ユクスの手の中で、サザナミは意識を失った。
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