私の音、お母さんの音
@gandolle
第1話 プロローグ
トクン、トクン、トクン
怖い思いをした時は胸に手を当てて、心臓の音を聞くと落ち着ける。
どんなに怖い目にあっても、どんなに辛くてもだ。
だから落ち着け。落ち着け、私――。
道路の真ん中、黒いモヤがかかった化け物に彼氏が襲われている前で、私は胸に手を当てていた。
「た、助けてくれよ美琴ぉ!」
彼氏は泣きながら私に助けを求めてくるが、怖くて体が動かない。
私は
私は震える目で彼氏を見た後、その場を逃げ出した。
「ご、ごめんなさいッ!」
逃げ出すと、その化け物は私の方を振り向いて追いかけてくる。
「も、もう本当に嫌……」
目に涙を浮かべながら、私はそう呟いた。
♢♢♢
私は昔、体が弱かった。
ずっと病院暮らしで、走ることは叶わず、歩くことさえ難しい。
けどそれもある日を境にして、まるで魔法のように動けるようになっていった。
今から数年前、中学2年生のころだった。
病院で目を覚ますと、なぜか側にお父さんがいて、私に抱きついてきた。
泣きながら、私を強く抱きしめる。
どうしたの? と言ったら、お前の病気が治ったんだよ。と、優しく、そして悲しそうな顔をしながら言った。
なんで泣いているのか私には分からなかったけど、私もお父さんの背中を優しく抱きしめた。
正直、あの頃は嘘だと思っていた。
きっと私はもうすぐ死ぬんだろう。だから最後に、お父さんは無理矢理笑顔を作って抱きしめてくれているんだろうと。
私はお母さんに捨てられた後も、今までずっと大切に育ててくれたお父さんに感謝していたし、これ以上負担をかけたくなかった。
だからあの時は喜んでいた。これでお父さんの負担を減らせるし、私も楽になれると。
そう思っていたけど、現実は違った。
お父さんの言った通り私の体調は日に日に回復し、やがて歩けるようになり、そして走れるようにもなった。
するとお医者さんからの許可も降りて、学校にも行けるようになった。
病院で暮らしている間はお母さんに勉強を教えて貰っていたため、なに不自由なく授業に追いつけたし、それなりに偏差値の高い高校にも行けた。
優しかったお母さんは、動けない私に毎日のように会いに来てくれたり、面白い話や楽しい話なんかをいっぱいしてくれた。
寝る前は絵本を欠かさずに読んでくれて、私はそんなお母さんが大好きだった。
けど、そう思っていたのは私だけだった。
ある日、お母さんが会いに来てくれなくなった。
お父さんに理由を聞いてみると、私にはもう会えないそうだ。
その時私は察してしまった。お母さんに捨てられたんだと。
きっと、私の育児に疲れてしまったんだろう。
ずっとベッドから動けないし、あの頃はいつもお母さんに甘えていたし、わがままも言っていた。
そして、なによりもお母さんがお父さんに電話をしている会話を聞いてしまった。
お母さんが泣きながら、『もう耐えられないの……』とお父さんに言っている。
私はその時、すごく悲しくなるのと同時に反省した。
そりゃお母さんにだって自分の時間はあるし、やりたいことだってあったはず。
それなのに私が駄々をこねるばかり、肉体的にも精神的にも負担をかけてしまっていた。
「本当にバカだよね……」
ベッドでうずくまりながら、耳を抑えてそう呟く。
私のことを1番に考えてくれていたのに、私のことを1番に想っていてくれていたのに、そんなお母さんを私は何一つ気づかってあげられなかった。
きっと、これはそんな私に対する罰なんだろう。
お母さんを不幸にさせたばかりか、お父さんにまで負担をかけてしまった。
だからだろう。この化け物が、私の体が回復してきたときからずっと纏わりついてくるのは。
化け物はベッドで泣いている私を見下ろしながら、まるでもっと苦しめと言わんばかりに私の体を抱きしめた。
気持ち悪い感覚が私を襲い、背筋が冷え怖くなる。
私はそんな怖さを紛らわすよう胸に手を当てて、トクン、トクンと鳴る心臓の音を聞いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます