第13話 氷城のメルト(中)

次の日、僕はやはり、寝不足というか、

不眠だった。



朝起きて外を見ると、

昨日とはうって変わって晴れていたので、

僕は空気を吸いに、フラフラと外に出た。


すると、パウダースノーの上に、一頭のアイスウルフがいるのを見かけた。

ウルフの頭の上には、小さい雪イタチが乗っていた。


「よう」


と僕が挨拶すると、ウルフは僕を見て



「大将、今日は目に隈ができてんぞ。

どうした?」



と言葉を返してきた。


それに対し、僕は何か言おうとした時、

丁度、イチカが小屋から出てきた。

僕は、タイミングが悪いよ、と心の声でイチカに囁いていた。



「クゥ、私が朝ごはん、作っていいですか?」



イチカは僕の目を直視しながら、そう言った。

僕はイチカを見ると、また心拍数が少し上がるのを自覚した。

僕がいいよ、と簡潔に答えると、彼女は小屋の中へ戻って行った。


「あぁ、そういうことね」


ウルフの上にいた女イタチが僕らのやり取りを見て、言った。


「へぇ、大将、あんたの親父も、雪男のくせに人を好きになっちまったらしいが、

ふ、血は変わらないもんだね」


とウルフは笑った。


それを聞いて、僕は、やっぱりそうなるか、と心の中でため息をつきつつ、


「うるさいよ。こっちは苦労してんだよ」

と憎まれ口を叩いた。




この日、僕は、天気もいいので、山を巡ることにする、とイチカに言うと、

彼女は、研究の一環としてついていきたいと言う。

僕は断る理由もなかったので、一緒に行くことにした。



「お邪魔でしたら、置いていって下さい。

私は界人なので、飛んで帰れますから」

「邪魔なんて。

いつも一人だから、嬉しいよ」



そう言って、僕達は二人で晴れた雪山に浮かんだ。

僕は、さっき一人だから嬉しいと言ったことが、拡大解釈されていないといいな、と願った。

僕は彼女に抱いている僕の気持ちを、悟られたくないと思っていた。


飛び始めてすぐ、

彼女はまた「しきたりなので……」と言い、

すぐに、僕の左手を握ってきた。


やはり僕の体温は上がったが、彼女はそうでもないようだった。

彼女の手の温度は、昨日、一緒に眠った時と同じく、平熱のように感じられた。

僕と一緒にいることは、仕事の一環と考えているんだろうな、と僕は少し寂しく感じた。


少し飛ぶと、離れた山の麓に小さい魔素を感じた。

気配から、人らしかったが、魔素の小ささから、子供だと解った。



「子供が麓にいるね。

迷子かも。

行こう」



僕がそう言うと、彼女は、僕を見て言った。

その顔には、なぜか不安が浮かんでいた。



「子供を、どうするのですか?」



それに僕は、疑問も感じず、即答した。



「村へ帰すよ。

親が探しているかもしれないから」



僕がそう言うと、彼女は、え、と声を大きくして驚いたようだった。

それから彼女は言った。



「食べたり、しないのですか?」



僕はそれを聞いて、普通にびっくりした。



「はあ!?

しないよ」



僕は、普段、彼女にそんなことを思われていたのかと、僕の方が驚いていた。

確かにこの世界では、人を食う神はいる。仲間から、貢ぎ物として捧げられた人を食ったり、悪神になると、自分から人の里を襲っていくものもいるらしい。僕はどちらでもなかった。

第一、あなたは人を食うと思っている男と、昨日、よく隣で寝れたな、と僕は彼女にツッコミたかった。



10分ほど飛ぶと、子供が見えた。

子供は小さい少女で、泣いていた。


僕は子供を驚かせないように少し離れたところに着地すると、どうしたどうしたと言いながら、笑って少女に近づいた。



「迷子になったのかい?」

「うん……

隠れんぼ、してたの」



僕は少女をゆっくり肩車すると、

「ほら、僕の耳でも触って遊びな」

と言い、毛だらけの耳をちょこちょこ動かした。


そうすると、少女は泣き止んで笑ったので、

僕はイチカに「じゃあ、村まで送ろうか」と言うと、彼女はなぜか戸惑った顔で、はい、とだけ答えた。



少女を飛んで、村まで送ると、

少女を探していた親に、何度もお礼を言われた。


彼女の親は身体をくの字に曲げると、

「せめてこれを、お納め下さい」

と、大したこともしてないのに、大きい薫製肉をくれた。


僕は逆にすみません、と彼女の親よりさらに深いお辞儀をして、「やめてください」と、さらに気を遣われることになってしまった。



「彼はいつも、こんなことをしているのですか?」



イチカは研究の過程か分からないが、迷子の親村人に僕のことを聞いていた。


村人は、

「あんなに腰が低い山の神は初めてだよ。村の農作物もすごく、育ててくれるし。

生け贄は要らないって言うんだ」

「え!」


イチカはそれを聞いてさらに驚いたようだった。


神は通常、年間を通して生け贄を要求するのが、『普通』だ。

それが神の恩恵への見返りなのだ。生け贄は大概、生きた動物が主だが、悪い神は生きた子供を求めたりもする。

僕以外は、そうしているらしかった。



「そうなんですか」



イチカはそう言って、調査を終えたようだった。


それからも、僕とイチカは山を巡った。

途中、罠で足を怪我した灰色狐の足を治したりもした。



同じ日の、ある時

雪崩予防のために

崩れそうになっている雪の斜面の雪を取り除こうとしたが、先に、雪崩が起きてしまった。


地面に降りて植物を見ていたイチカは、それに気付かず、巻き込まれそうになったので、僕は危ないと叫び、咄嗟に飛翔して、両手で彼女をお姫様抱っこした。


次の瞬間、あ、と言う彼女の声が漏れる。



「ちょっと危ないから、このまま運ぶね」



僕はそう言うと、彼女を抱っこしたまま、飛んだ。

眼下では、雪崩が木を倒して回っていた。


「あの、あ、ありがとうございます」


彼女はやはり、少し戸惑いながら、そう言った。

ちらと、腕の中の彼女を見ると、目が泳いでいた。

腕を通して感じる、彼女の体温は、僕と同じくらい、高くなっていた。




午後3時くらいになると、僕達は帰ることにした。


彼女はやはり僕の手を握り締めていた。

行きより、何だろう、握り方が優しくなった、気がした。



「クゥはどうして、小屋に住んでいるのですか?

氷の神なら、暖かいところにいると、害でしょうに」



飛びながら、イチカは僕に尋ねた。

僕を見るイチカの目はまだ、少し右往左往していたように見えた。



「山には迷い人が絶たないから、小屋を作って住んでいるんだ。

君みたいに倒れている人もいるからね。


僕は、あまり出来ることもないから、せめてこの山の守り神になりたいんだよ」



そう言った僕に、イチカは「そうですか」とだけ言った。

先日のような事務的な冷たい印象はなく、なぜか、丸みのある温度を帯びた声だった。




この日もやはり、僕達は、彼女の故郷のしきたり通り、

寄り添ってベッドに入った。


僕は昨日よりは慣れたせいか、心臓は昨日ほど疾走してなかったが、まだやはりドキドキ感は拭えなかった。


しかし、今日は昨日より、イチカの体温が熱く、また、心臓の鼓動も早く感じた。

それは僕の気のせいかも、知れなかったが。


僕は昨日寝てなかった分、今日はちゃんと寝ようと思い、自分に睡眠魔法をかけることにした。



「眠りよ(イ ヴォスク)」

「あの―!」



僕の眠りの魔法と、彼女の声が重なった。


「どうしたの?」


僕はまだ眠くならないように、気を絞り、彼女の声に答えた。



「最初の日、雪に埋もれた私をどうして……

連れて来たんですか?


麓の村へ運ぶこともできたはずなのに」



彼女の声はすぐそばで聞こえたから、僕には鮮明に聞こえていた。

だから、声が少し震えていたことも分かった。


「それは、その」


僕は眠気とは別に、ある言いづらい理由があって、この場で、誤魔化したかったが、いい言い訳を思い付かなかった。

それに眠さも限界で、すぐ僕は寝るだろうから、思い切ってそれを、言ってしまうことにした。



「君があまりにも

キレイだったから


もっと見ていたくなったんだ」




そこで僕は意識が途切れていった。



落ちる意識の中、彼女の身体の熱さを感じていた。

彼女の身体は最初の日の僕くらい、熱かった。




翌日、

隣で寝ていたイチカには、目に隈が出来ていた。



「昨夜は、あまり眠れなくて……」



そういう彼女は、目をすぼめながら、朝、僕にコーヒーを入れてくれた。


しかし、うとうとしながらも、なぜか僕をちらほら見ながらコーヒーを入れていた彼女は、入れすぎて、コップから茶色を漏らしていた。

彼女は、あ、と言ってすぐテーブルを拭いた。


「あぁ、いけないいけない」


と言った彼女には、最初の日の事務的で冷たい印象はまるで、なかった。

彼女から、柔らかな、自然な雰囲気を感じた。

僕は今の眠いと言っている彼女こそ、素の彼女なのではないかと思った。


そしてなぜだか、彼女は、家事をしつつ、たまに僕をちらちら、見るようになった気がした。

昨日はそんなことはなかったのに。


一体彼女に何があったのか、こういうことに鈍い僕には良く分からなかったが、僕は今の彼女の方が

好きだと思っていた。

もちろん、それは口には出せなかった。



その日は、眠そうな彼女には一緒に調査には行かず、家で待っていてもらうことにした。



「行ってらっしゃい、気を付けて」



明るい声で、そう見送られた僕は、まるで妻に仕事に送り出される夫のようだと思った。

それは僕に、今で感じたことがない幸せを感じた。

本当にそうなったらどれだけいいやら、と僕は心から思った。


しかし、彼女と親身に成る程、近々ある別れも辛くなることは理解していた。

彼女は仕事でここに来ているのだ。


それを考えると、僕はあまり喜べなかった。




彼女は

その日の夕方も


次の日も


その次の日も




表情が豊かだった、まるで、固い氷がメルトしたようだった。


ソファやベッドでは相変わらず、僕達はくっついていたが、

初日ほどの緊張感はなく、まるで溶けた氷が一つの水溜まりになったように、打ち解けていたように、僕には感じた。


僕はそれが、独りよがりでないといいな、と思っていた。





6日目。


それは、彼女が小屋に来てからの日数だ。




彼女は6日目の夜に、いつもと違う真剣な表情で僕に言った。



「大事な話が、2つあります」



彼女にそう言われ、テーブルに二人で座った。

僕はもしかしたら、お別れの挨拶なのかなと思い、心が沈んだ。


でも、2つ、とはなんだろう?




「私は、ずっとあなたを、騙していました。


私は環境の研究をしていたわけではありません」





彼女は冒頭にそう言った。

それは僕の予想とは全く違う話だったので、僕は、え?と反応した。



「私のいた魔法研究所は、

神を通じて、魔法の進化を促進する研究をしていました。


標的は世界にいる、悪い神です。


人に害をなす神を捕縛して、解体し、魔素を取り出して、実験、研究をします。

クゥ、あなたには悪神の噂が流れていて、私の研究所では捕縛対象になっていました。



私はあなたを、捕まえるために、

来たんです。



私の役目はあなたと仲良くなり、

捕縛する魔法陣まであなたを誘導することでした」



彼女は悲しそうに目を伏せながら、話をした。

一度も、僕の方は見なかった。



「でも、私は知りませんでした。

私だけではない、みんな知らないんです。


あなたが優しい神様だということ。


私はあなたを捕まえる気が、なくなりました。


3日前から、研究所に報告もしていません。

あなたのことを報告するという、仕事もしなくなりました。


故郷のしきたりなんかも、全部、嘘です」



「待って。

そ、それじゃ、イチカが悪者になるよ!」



僕はイチカが帰る場所がなくなる、と思い、大きな声を出してしまっていた。

彼女はそこで、僕の目を見た。

彼女の目には微かに涙が滲んでいた。



「捕まえられる自分より

私の心配ですか。


やっぱり、あなたらしいですね」



しんみりした彼女を、僕は励ますように、こう言った。



「僕は、追われたら違う山に移動するだけだから、いいんだよ。

気にしないで……


あれ、というか、待ってくれ。


故郷のしきたりが嘘なら……

昨日も一緒に寝たじゃないか?


あれは何だったんだ?」



その件を僕が彼女に告げると、彼女は顔を紅くして、



「そこで、その……

それと関係する


2つ目の本命の

話です!」



と大きな声で言った。

目が大きく見開かれていた。


その迫力に押され、

僕は小さく、はい、とだけ答えた。




「あの、何となく、


勘づいていませんか?」




彼女は尚も、強い口調で僕に迫ったが、

アテがない僕は、踞って、すみません、としか言えなかった。


毛だらけの耳も垂れていた。




「いつもながら、鈍すぎます……。


あと、普通

こういうのは


男の人から

言うんですけどね!」



と大きな声で言う彼女は少し、怒っていたんだろう。

ここは数日、一緒に過ごして、僕は彼女の気持ちが分かるようになってきていた。

僕は感が鈍いから、少しは、だが。





そして、その後-


彼女は顔を紅潮させながら、


本命の話を僕に聞かせた。





それを聞いた僕は

すぐに

彼女以上に顔が赤く変わった。




僕は、


自分が氷の神だと云うことを

忘れてしまうかと思った。

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