第9話 不死の鳥を追って

俺が初めて、『あれ』を見たのは、

今35歳だから、25年前の

10歳の時だ。



「かっけえー」

「おおきいぃ」

「すごいー」



俺の近くにいた友達らはそれを見て、皆思い思いのことを口にしていた。

その点、俺はというと、無言だった。


幾つもの小さな光を従えて、それは大空を優雅に飛んでいた。


空は我が物、と言わんばかりに自由に、それでいて、全てを見下しているように、

厳かに、舞うように。


あれはあの時の俺には、地獄から来た使者に見えた。

俺は、怖くて、何も口に出せなかったのだ。




不死鳥。




それがいる土地に、俺は今、住んでいる。

海辺の町、タートゴス。

そこに俺は3年前、引っ越してきた。


引っ越してきた理由は、妻のクレハにあった。


3年前、クレハは、『幽霊病』に罹った。

その病気はこの世界で、30万人に1人くらいしか罹ることが無い奇病だ。


3年前、クレハはある時、突然、痙攣して倒れ込んだ。


俺はすぐに魔導士にクレハを診せたが、幽霊病だと診断すると、魔導士はクレハに何も施さなかった。

治す方法が見つかっていないのだ。

幽霊病は、原因は分かっている。地上を彷徨う悪霊の欠片が、体内の魔素と融合し、離れなくなってしまうのだ。

通常、そんなことは起きない。人は、霊などを受け付けないように魔素がない者でも、魂を守るように他者を寄せ付けない結界を心に張っているものだからだ。

しかし、クレハはその結界が生まれつき弱いのだと、専門家は言った。


心に巣くう魔物はすでに妻の心と一体化しているため、取り除くことはできないのだと、何人もの専門魔導士は言った。俺は大金を払って何人もの専門家を呼んではクレハを診察させたが、皆、最後には首を横に振った。


3年前から、クレハは少しずつ少しずつ、衰弱していっている。

少しずつ、死に近づいていっている。

これを治す手立ては、今のところこの世界では、見つかっていない。


だから俺は、3年前、元いた港町を離れ、

この町に引っ越してきて、漁師をしている。

クレハは家で寝たきりで、たまに排便をしたり、水を飲んだりする以外、活動的なことはできなくなっていた。


俺の生活スタイルも変わった。


以前は、俺は仕事の漁を終えると、その足で酒場へ行き、酒を煽った。

そして、夜遅くに家に戻っては、

クレハへの言葉もなく、いびきをかいて寝た。

働いては、好きに遊んで、生きていた。

クレハはそんな俺に何も言わなかったが、心では、寂しく思っていたのではないかと、

俺は今更ながらに振り返る。



「クレハ、帰ったよ。大丈夫だったか?」



今の俺は

今日も、漁が終わると、買い物をして、すぐに帰宅した。


帰宅してまず、クレハに声をかける。

それが新しい、俺だ。



「おかえり。

早いね」



クレハが笑って、応える。

俺は、暇だからなーと明るく答えた。

そして、すぐ飯にするからな、と言いつつ、クレハのおでこに手をあてて、熱を測った。

熱は無い様だったので、俺はすぐに、食事の準備を始める。


「早く帰りたくなってな。

今日はカワズの実を買ってきたよ。

あとでドリンクにしてやるからな」


そう言いつつ、俺は手を洗い、料理に取り掛かった。


料理を覚えたのも、3年前だ。

古い俺は、料理の『り』の字すら、知らなかった。



料理をしていると、キッチンの窓から、山が見える。

『不死の山』

そう呼ばれているその山は、活火山だった。



火山の火口には、不死鳥であるフェニックスがいる。

もう300年以上前から、ずっと一匹のフェニックスは居座っている、という噂だ。

噂、というのも、この町で300年以上生きている者はいないのだ。

一番長くいる者は女性のエルフで、140年前から住んでいるようだが、彼女曰く、『そう』らしい。


俺がこの町にきたのは、そのフェニックスが目的だ。



フェニックスを殺して、その生き血を飲むと、不死になることができる。

噂ではなく、それは真実だった。



120年前、フェニックスを討伐したパーティが記録にある。

フェニックスは両目の間、つまり額に魔力が集まる秘孔のような部分があり、そこが弱点だ。

その秘孔を魔素を込めた何かで突くと、全身を巡る魔素が逆流し、絶命する。


それを実行し、成功させたパーティが実際にいたのだ。

そして、そのパーティは、殺したフェニックスを解体し、生き血を魔素で調合し、酒にしたらしい。そして、それを飲んだ4人は皆、不死になったことが記録されている。

その4人だけでなく、その家族もろともだ。

ただ、その後、彼らが何をしているのかは、記録されていない。


俺はその記録を信じ、フェニックスを討伐する機会を、ずっと、待っている。

ギルドには、俺が立てたフェニックス討伐のパーティ募集依頼がある。


しかしながら、その募集を受ける者は、今のところ現れていない……。



フェニックスの体温は、2000度。


通常なら近づくことさえできないため、

皆で障壁魔法を厳重に重ね、さらに、囮になる者と、攻撃する者、そして、支援魔法をかけ続ける者、等の役割分担が必要となる。

一人では、到底討伐できるものではない。


だから俺は、どの役割になってもいいように、元々得意だった水魔法を鍛え、支援魔法も覚えた。

全て、ここ3年の間に。



「ほら、クレハ、今日は、魚のシチューだ。

やわらかくて、うまいぞ。

デザートにカワズのドリンクもある」



俺はベッドで寝ていたクレハをゆっくり起こすと、自分の右腕に抱き、

やわらなく似たシチューを左手のスプーンで掬って、口に持っていった。


クレハは少し涙ぐみながら、おいしいねと、それを食べてくれた。

昔に比べ、クレハはよく泣くようになった。


ある時、なんで泣くんだ?と聞いたことがあったが、

病が辛いから泣くのではなく、

俺が自分のことを気にかけてくれるようになったことが、嬉しいのだと彼女は言った。


それを聞いて、俺も胸が痛んだ。


だから、俺はできるだけ、昔一緒に入れなかった分を、取り返すようにしていた。

一つだけ不満があるとすれば、もちろん、それはクレハの病気だ。

それさえなければ、と俺は、毎日、念仏のように繰り返す。



夜になり、クレハと一緒のベッドで横になった。


クレハは俺より2歳年下で、俺とは、引っ越す前の町で出会った。

いつも昼に行くパン屋でふと話したことがきっかけだった。

それなら何となく、よくパン屋で話すようになり、いつの間にか、一緒にいるようになった。


だが、俺は荒くれものだったため、それからは苦労ばかりかけた。

当時は、苦労をかけていたことなど、つゆも感じなかった。

昔の方が良かったかと言えば、そうとも言えない俺もいる。


人生は、複雑だ。


窓の外を見ると、火山には青い小さい線が集まってくのが遠目で見えた。

あの小さい青い線は、死者の魂だ、そうだ。

フェニックスは死に際の人間を少し早く死なせ、魂を集めているのだと、専門家は言う。


俺はあの青い線を見るたびに、胸クソが悪くなる。

フェニックスはあれを、どういう顔で行っているのか?

きっと笑いながら、ほくそ笑みながら、やっているに違いないと俺は思っている。

人や、小さい動物をバカにして、魂をうまいうまいと食っているのだと。


その青い線をできるだけ見ないように俺は天井を見ると、

クレハの手を握って、眠った。




それから、さらに1月過ぎた。


この町へ来て、3年と1か月になっても、フェニックス討伐の依頼を受けるものはいなかった。

俺の心には焦りばかりが募った。


俺は毎日、家に帰ると、フェニックスにトドメを刺すための銛を研いだが、虚しさを感じてもいた。このまま銛が使われなかったら、と思うと、いたたまれなかった。

しかし、その虚しさを怒りとして、銛を研ぐことにぶつけた。

それ以外に感情の矛先はなかったからだ。



「シュタイス、もういいんだよ。

あたし、あなたがそばにいるだけで、嬉しいから」



クレハは、俺が銛を研いでいると、小さい声でそう言った。

そのクレハに、俺は、きっと大丈夫だ、やってみせるから、と振り返らずに言った。

銛を研ぐ鉦が炎を散らし、それは俺の心の怒りを表しているようだと俺は思った。



さらにそれから、半月。


町へ来て、3年と1月半経つと、クレハの病状がさらに悪くなった。

クレハはもう一人で立ち上がることさえできなくなっていた。

俺は漁の仕事も少し休みがちになっていた。


それをクレハは気にしていたが、俺はその彼女には

金には困ってないから、とふざけたような笑顔を向けた。


その通り、金など要らなかった。

金なんかより、大事なものがあるからだ。

そのためには、あの不死鳥を狩る必要があった。



弱ったクレハを見て、俺はもう、討伐パーティの結成を待つことを諦めた。

来ない者を待っていてもしようがない。

俺は一人でやる、決意を固めていた。



一人で、やる。

準備は、してきた。



俺は赤い怒りをエネルギーにした。

怒りを、一人でもやり通す勇気に変えろ。

俺は自分を叱咤した。


そして、決行日を、4日後と定めた。

4日後は、俺も仕事が休みだ。

朝から、やる、そう心に刻んだ。



しかし、翌日のことだ。


朝起きた俺の横で、クレハは目を覚まさなかった。



起床して、クレハ、と隣にいるクレハに声をかけた俺に、クレハは返事をしなかった。

まさかと思い、恐る恐る脈をはかったが、脈はあった。

体温もある。しかし、いくら声をかけても目は覚まさなかった。


俺は仕事を休み、クレハを治院へ連れていった。

そこの白魔導士は、クレハの容態を魔法でスキャンすると、淡々とした口調で言った。



「昏睡状態です。

おそらくもう、意識は戻らないでしょう……」



それを聞いた俺は、一瞬、何も考えられなかった。

魔導士の言ったことを頭に入れられなかった。


しかし、10分後、頭の冴えた俺は事態をやっと受け止めていた。


普通なら、絶望するだろう。治す手立てはないのだ。

ショックで立ち直れなかったはずだ、『普通』の俺なら。


だが、俺の心には救いがあった。

それはフェニックスの血だ。

あれさえ、手に入れば、クレハは元通りになる。


もはや俺を動かすものは、一筋の希望だけだった。


『絶対に、手に入れる、一人でも』


俺はその希望を怒りと共に、自分の心臓に火口として、くべた。

希望さえあれば、俺は生きていける。


俺は3日後の予定を、今日に早めた。


クレハを治院で一日、看てもらうこととし、

俺は自宅へ戻ると、準備していた装備を身に着け、

山へ向かった。



『不死の山』



その山はそう、呼ばれていた。


不死鳥がいるから、という理由だけではない。

火口に近づくにつれ、周囲の気温はとんでもなく上がる。

火口付近ならば、1000度ほどになる。


植物も生えなければ、生物はいない。

いるのはフェニックスだけだ。


そんな山を、俺は、水魔法で保護した潜水服を着て、進んだ。

さらに、周囲には、障壁魔法を6層、重ねた。

その障壁魔法は、一番外側の6枚目が、ジジ、と、すでに薄れてきていた。



ざくざく



俺の歩く音と、自分の息だけが聞こえた。


右手には、大型の銛を携えていた。


まるで、捕鯨をするような恰好だが、ここにはもちろん魚などいない。

銛には仕掛けがしてあった、それは刺さった部分から、刺さった対象の血を吸い出すようになっていたことだ。

この銛さえフェニックスに刺されば、俺の勝ちなのだ。



そんな思いを携え、俺はひたすら地面を見つつ、

足を前に進めた。


マスクごしに見える世界は、赤と黒だけだ。

だんだんと、その赤が、白に変わっていく。



ざく


ざく



という俺の足音の間隔が少し遅くなっていった。

熱さと疲労、そして装備の重さに俺の身体がついていかない。


それでも、俺が進む場所は前にしかなかった。

戻っても、何もいない。待っている人も。


ざく

と言う音を刻む以外、

俺がやることはもう、人生において、なかった。




火口付近。


そこに辿り着くまでに、かかった時間は麓から1時間半だった。

俺は体力には自信はあったが、休みもなく歩いたせいもあり、

息は落ち着く間もなく、働いていた。



『あと、少しだ』



その言葉は俺自身を奮わせた。

だから、力を出せー

俺は俺に語り掛けた。


周囲の景色はもう、人の棲む世界のものではなかった。

ほど白に近い世界、そして、赤。


天国か地獄か、どちかなのかはわからないが、

生きている者はここにいない、それだけはわかった。

防護服の中の温度も、50度には達していた。

障壁はもう、最後の1枚が消えかけていた。



頭がおかしくなりそうだったが、俺にはそうなっては困る目的があった。

それだけが俺を次に進めている。



俺は、崖から顔を出し、火口を見た。



やつは、そこにいた。



そこには、巨大な不死鳥が、翼を折りたたんで、微動だにしていない姿があった。

色も、白ではなく、赤に近かった。


『チャンスだ……』


俺は右手に構えた銛に水の魔素を込めた。


水を込めたのだが、俺の心の中の赤い熱も一緒に、込めた。

これが、命を懸けた一撃だ。



「クレハ、待ってろよ」



そう言い、俺が再び、火口を見ようとした時、

目の前には、

フェニックスの顔面が大きく広がっていた。



俺の息が一瞬、止まった。



何もできない、腕も動くことを止めていた。

だが、

すぐに、俺の中の決意が俺を動かしていた。




『顔面が目の前にある、チャンスだ!』



俺の右腕が動いた。

銛を振りかぶる。



『今、やりとげるぞ、

クレハ……!』



俺の腕が銛を離す瞬間、

俺の目が、白い影を捉えていた。



『やめて

あなた』



それはフェニックスの身体から浮き出た、人影だったが、

その人影が発した声を俺は知っていた。


「クレハ?

どうして?」



なぜここにクレハが?

どうしてそんな姿を?

何が?


様々な疑問と共に、

クレハの白く透明な腕が俺の右腕を押さえていた。


『私が、お願いしたの。

ごめんなさい。

私は、もう生きてはいない……

あなたを止めるために、不死鳥にここに呼んでもらったの』


俺はそれを聞いて、心臓がドクンと鳴った。



「そんな……!

お前、死んだのか……!?

俺は、俺はお前のために」



潜水服の中で俺は熱い涙を流した。

クレハはそんな俺の右腕ごと俺に寄り添うと、

頭の中へ直接伝わる言葉で、話した。



『不死鳥は、

人を殺しているわけじゃない。

死にたいと、苦しむ人を少し早く、眠らせてあげるだけ。

そして、魂はここに集まるの。

この鳥を、恨まないで。

あなたは、最近ずっと、怒りで、おかしくなってた。

もういいの、休んで。

このまま、帰って、生きて欲しい』


俺の中の熱が急激に冷めるのを、

俺は感じた。

そして、クレハの言った言葉をゆっくりと

飲み込んでいく。



「クレハ、すまなかった。

俺は、お前を救いたいとそればかりで……」



俺は俺の中にくすぶる熱が冷め、

心臓には無しか残っていないことを感じた。


「だが、すまないクレハ。

俺は戻っても、もう不死鳥の声を待つことしかできないよ。


不死鳥よ。

色々、済まなかったな。

だけど、あと一つだけ頼みがある。


俺を」


『やめて!』


俺が虚ろな目でフェニックスを見るのを

幻となったクレハは叫びで止めた。


フェニックスは、感情を帯びていない透明な赤い瞳で俺を見ていた。

その目は、俺の願いを分かっていたようだった。


だが、少しためらいがあるように、俺には見えたので、

俺はそれを後押しすることにした。



「救ってくれないか、俺を。

眠らせてくれ」



その声にフェニックスは応えたように、俺には見えた。


それから、俺の身体を覆う潜水服は瞬時に溶けていくー

そして俺の身体も―

骨も何もかも―


それはほんの一瞬のことだった。



それから、俺は焼けゆく自分の身体を感じつつ、

フェニックスに心で語りかけていた。



『不死鳥よ。

お前はずっと、人を守っていたのだな。

だが、俺はそんなお前が不憫だと感じる。

お前は皆に恨まれてまで、なぜ、こんなことをする?


お前には

悲しいという心はないのか?』



それを言い終わるまでには、俺はクレハと同じ幻となっていた。


俺は側にいるクレハに

「これからは、一緒にいられるな」

と表情もなくしていたが、明るく言った。


クレハは、「ごめんね、ありがとう」と俺に言うと、

目も無いのに、涙を流した。


それはもちろん、幻であった。



その存在しない涙に呼応するように

不死鳥の赤い目から、黄色の高熱に煮えたぎる涙がぼたりと

火山の火口へと1粒、落ちていったー。

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