第3話 青い迷宮

はあ、はあ、という2人の声だけが大きく響いた。




後に続くのは、ざざ、と引きずる音。

そして、足音だ。


俺はそれ以外の音があって欲しくはない、と思っていた。




「ザジが死んだのは、俺の、せいだ」



静けさの中の沈黙が、死を連想してしまいそうで、俺は何か少しでも音が欲しいと、

口を開いていた。


「あの時、俺は、キメラに盾を噛まれて、一瞬、反応が遅れた。

気付いた時は、ザジの下半身は、もう食われてた」



俺がそう言うと、隣で荒い息だけを繰り返していたフラムも口を開いた。


「あんただけの、せいじゃない。あたしも囲まれてたから、何もできなかった」


フラムはそうとだけ答えると、後は口を噤んだ。




「その前の、俺の判断ミスだ。

石像に、注意すべきだった。

それに、ザジがいれば、今、こうなってはいない」


「うるさいわよ。

何を言っても、もう変わらない。

今は進むしかない」




俺達は元々、4人パーティだった。

この迷宮を降りるために、2年前に組んだパーティだ。


ただ、今はもう3人パーティになっていて、

戦士の俺とハーフエルフ魔導士のフラム、とは別にもう1人の僧侶ダゴンは、

俺が引く木のソリに乗って、後ろで気絶している。


ちなみに、ダゴンの腹からは少し内臓が飛び出しかけていたが、

包帯でグルグル巻きにしているので、何とか生きている、状態だ。

いつ、死ぬかは、分からない。


俺たちは、もうダゴン一人の命を気にしているような状況ではなかった。

俺たちの今の希望の光は、俺が左手に持つ、松明の灯だけだった。




迷宮地下24階にして、俺たちはもう、

戻ることもままならず、ただ、かすかな目の前の生きるヒントを手繰り寄せて進んでいるだけだった。


「魔法の残りは?」

「あと2回よ」


俺の問にフラムが即座に答えた。

俺達の命は、おそらくあと魔法2回分だな、と俺は心の中だけでつぶやいた。




カサ、とその時、2m先で右折になる通路から

俺達以外の音が聞こえた。




「聞こえたか?」

「聞こえたわ。おそらく骨ね。3体」




フラムは目を半分閉じ、エルフの長い耳を立てて、そう判断した。

その会話を最後に、俺たちは荒い息をひそめた。



「4m先」



フラムの声が飛ぶ。


俺はダゴンの乗るソリのロープをそっと離すと、

左手の松明を地面に置き、盾を構えた。

そして、右手で剣を抜く。


剣は青白い光を放ち、ふぃーんと唸った。



1秒置いたのち、フラムは静かな声で詠唱を開始する。




「空の彼方

事象の地平線が呑み込むものよ

我の手に戻りて

今灯となれ」


フラムの右手に青白い光が集中する。


かちゃかちゃ、という音はもう右折した通路のすぐ先からこだましていた。

その時、俺は、フラムに目配せすると、自ら飛び出した。




そこには、手に武器を持つ、3体のスケルトンがいた。

その目には何も入っておらず、それでもその黒い目は6つとも、俺を見ていた。


「うおぉ」


俺は叫びとともに

その3体の骨を、盾と剣を交差させ、後方へ押し下げた。


2体のスケルトンの手にあった手斧が、俺の頭上に振り下ろされようしたが、

俺は右手の剣でその手首ごと、2体のスケルトンの斧を斬り落とした。




「しゃがんで!」



フラムの声が飛び、俺は瞬間、

深くかがんだ。




「光雷槍(ライトニング)」




フラムの声と共に、光る青白い太い光が右手から雷のように伸びた。

フラムは右手を半周させると、3体のスケルトンは全て、一瞬で灰と化した。




スケルトンの持っていた武器と甲冑だけががらがらと地に落ち、

後に残ったのは俺とフラムの荒い息遣いだけだった。


ふらっと倒れそうになるフラムを俺は左手で支えた。

そして、右手の剣を鞘に納めると、木のソリのロープを右手で持った。


「無茶でしょ」

「余裕だ。戦士は力だけが取り柄なんだよ」


フラムへそう返す俺は、できれば笑顔でそう言いたかったが、肉体疲労がそうさせなかった。




再び、場には、息遣いと足音とソリのすれる音だけが残った。

ただ、確実に俺達の寿命は短くなっていた。


フラムの魔法は次が最後の1回だ。




『もう15mも歩けないな』

と俺は心の中で弱音を吐いた。


しかしフラムにそれを気取られたくないと、腕に力を入れた。



その時、フラムが朦朧とした顔で、言った。


「次の通路、左から、水の音が聞こえる」


それを聞いた俺に希望の光が差した。

とは言っても、全てを解決できる希望の光ではなく、今一時のものだけに過ぎなかったが。




通路を曲がると、俺は、おお、と声を出していた。

2m先には、部屋に繋がっており、そこは煌煌とした光が差したフロアだった。


フロアには結界も張られており、魔物は入れないようになっていた。


「安全そうだ」


俺はフラムに休憩できるぞ、というと、

フラムはさして嬉しそうでもない声で、やったわね、と言った。




フロアは半径5mくらいの円型で、壁には草木が茂っており

壁の一か所には、石が積み上げられ、そこには透明な泉が沸いていた。


俺は部屋の周囲をざっと確認し、罠がないか、調べた。

罠らしきものはなさそうだった。


俺はダゴンのソリのロープを離すと、ダゴンの脈を確認する。

生きてはいるが、一刻を争う状態だと思った。

だが、俺とフラムの疲労はピークであったので、とにかく休む必要があった。


俺とフラムは壁沿いに座り、フラムは俺の肩に身体を預けた。

俺は水筒の水をがっと飲んだ。


「20分くらい、休憩しよう。

水も汲まないと」


俺は水筒をフラムに手渡して、言った。

フラムはええ、とだけ答えて、水を飲んだ。




それから、息も収まると、沈黙が続き、

俺は、何かしゃべったほうがいいかなと思い、口を開く。




「帰ったら、何、食いたい?」



それを聞いたフラムは目を閉じたまま、ふふ、と笑った。


「パンケーキ、ホイップと野苺のソースがたくさんのやつ」

「甘そうだな」

「魔法使いは甘党なのよ。精神が疲れるから」

「そこの寝てるでかいやつも、甘党だぞ」

「あくまでエルフでの話よ」


俺は、エルフだけかよ、と言い、小さくははは、と笑った。


「あんたは何食うの?」

「そうだな、肉だ。赤くてでかいやつ。ドラゴンのがいいな」

「あの硬い肉?何がうまいわけ?」

「その硬い肉を食ってたから、お前らを運んでこれたんだぞ」

「さすがは野蛮人ね、たまには」

そう言いかけたフラムの声は途中で言いかけたまま終わっていた。

別の声が場に響いたからだ。




「野蛮人が、3人か。土足で失礼ね」




俺とフラムはとっさに、身構えた。

俺は剣を抜き、フラムは手を構えた。


しかし、どこから聞こえた声か分からなかったので、

俺達は周囲に目を泳がせた。




「ここだよ。慌てるな」




声は水場から聞こえた。


その声の後、水は全て宙に浮き、

人間と木の間のような形に変化した。




「精霊か」

耳元で、フラムの緊張した声が聞こえた。


「昔はな。今は魔物だよ。

結界を使うと、人は皆、警戒しないのだな」


空中でぎゅるぎゅると揺れる人型の水はどこからともなく、そう言った。



俺は右手の光る剣を腰深く構えたが、

フラムが、だめ、と言い、俺の手をいなした。


「剣を振る前に、2人とも死ぬわ。

こんなの見たことない」



「そっちのエルフは、分かっているな。

私なら、3人まとめて、2秒で終わらせられる。

やめておけ。座ったらどうだ?」


その声に俺とフラムは、警戒しつつも、ゆっくり腰を下ろした。



「なぜすぐ殺さない?」


俺の声が飛んだ。

精霊は尚も空中で動かないまま、答えた。




「今まで何人も人間を見たが、お前たちは珍しい。

なぜ、死ぬと分かっている人間を運んでいる?

お前たちでさえ、死にかけているというのに」



俺はちらっと、ダゴンを見た。

ダゴンはまだ、気絶しているか、眠っているか分からないが、体勢もそのまま、ソリに乗っていた。


「死ぬと決めて、運んでいるわけじゃない。

助かるかもしれない、希望があるから運ぶんだ。

俺もこいつも、希望があるから、前に進む」



「希望か!

地上から24階も下のここで、希望があると思うのか?

人間の味方がいるとでも?」


水の悪魔は高笑いしつつ、震える言葉を発した。

それに対し、俺は言った。


「絶望だけでは、人は生きてはいけない。

もし希望がないとしても、俺がそう言うことにより

希望が生まれるんだよ。

魔物のお前には分からないかもしれないがな」


そう言うと、水の魔物は、右手から細い水のスピアを瞬時に作り、

一瞬にして俺の眉間にそれを当てた。

ぴっと俺の額の皮が剥け、一滴の血が垂れる。


「ランス!」


フラムが悲鳴のように、俺の名を呼ぶ。

俺は死を覚悟し、口を噤んだ。

水の魔物が言葉を続ける。


「この迷宮に入る時に、こうなることも見えていたはずだ。

なぜ死ぬかもしれないと思って、進む?

地上で平和に暮らしていればいいものを」


「絶望だけで!」


魔物の声と俺の大きな声が重なる。



「絶望だけで生きていける人間はいない。

苦しいことがあっても、希望もあるから、生きていけるんだ」


そう言った俺に、魔物がほう、とつぶやいた。

一呼吸置いた後、魔物は言った。


「先が見えていないだけではないのか?」


俺はそれにすぐ、答えた。



「そうかもしれない。

でも、人生は、先が見えないから、楽しいんだよ」


そして、俺はにっと笑った。



「よくわからんな。

そろそろ、殺すか」


魔物がそう言うと、俺は本当に死を覚悟し目をつぶった。

それに呼応するように、フラムが叫んだ。



「やめろ!」



フラムは俺の横に立つと、手に魔力を込め、

魔物に向かった。



「殺すなら、あたしからにしろ」

「よせ!」



俺の声がかぶるように、続く。


そのやり取りを見て、魔物の動きは止まっていた。

俺の額に伸びる水の槍が元の鞘に収まっていく。




「なぜだ?

どっちみち、お前たちは2人とも死ぬ。

なぜ庇いあう?」




魔物の問いに俺は声を大きくし、答えた。



「それが、仲間だからだ。

人間でないお前には分からないだろう。

全てに、意味があるんだ」



その俺の声に、魔物は静かにただ、揺らいだ。

3秒ほど経った後、魔物は再び、言葉を発した。




「わからんな。

だが、面白い」




それから魔物は、右手を俺達3人を覆うようにさっと振った。

俺達は水色の波をかぶった。


次の瞬間、俺たち3人のケガは治癒していた。


俺達は何が起こったのか分からず、自分達の身体をキョロキョロ見ては、

混乱した。

ダゴンの腹から出る血も止まっていた。



「何をした?

なぜ、傷を治す?」




それから魔物は何も言わず、パチンと指もないのに、指をはじく音を出した。




俺達は次の瞬間、地上の街に転送されていた。


周囲にいる街の人間が、急に現れた俺達に「ひい」と叫んだ。

そばにいた鶏が2羽、びっくりして飛びあがっていた。




「転送魔法よ。高等魔法だわ」

俺はフラムの驚く声を聞いて俺は叫んだ。

「どういうことだ!?」



俺が魔物に目をやると、

魔物はもう、魔物の姿をしていなかった。

年齢にして20歳ほどの女性で、長髪。

髪は水色で、目も青かった。

体はまた、水色のシーツのようなドレスで覆われていた。




「お前たちに興味が沸いた。

友情だか、希望だかを知りたくなった。

だから、お前たちについていくことにした」




「は?」

俺とフラムの声がハモっていた。


「手を貸してやると言っているんだ。

頭が悪いのか?」


俺とフラムがぽかーんとしていると、

水色の魔物だった女は、人間界を珍しがるように周囲をきょろきょろと見渡した。


「まずはこの街だな。

人間界はどうなっているのだ?」


「おい、本気で言ってるのか?」


俺はまだ半信半疑だった。

半信、というより、全信だった。

さっきまで自分達を殺そうとしていた魔物が味方になるなど。


また、魔物を連れているパーティなど聞いたこともなかった。



「お前たち、何階層まで降りたことがある?」

魔物は鶏をまじまじと観察しつつ、聞いた。


俺が、今日行ったあそこが一番深い、というと、魔物は言った。


「人間にしてはやるほうだな。

だが、あと7階下がある」



魔物は、暴れる鶏を抱こうとし、反撃を喰らっていた。

イテテと言いつつ、魔物は尚も、鶏を追った。




「まあ、あそこを作ったのは私だからな」


水色の魔物は、その後、鶏の飼い主に、だめだろ!と怒られていた。

そして、水色の魔物は、トーンの高い声で、ごめんなさいーと涙ぐんだ。


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