魔法のサラダ(短編集)

まじかの

第1話 天使の入れるソーダはしょっぱい(前)

いつもの通り、あたし達は見下ろしていた。




「マリ、見てほら、今日からまた戦争が始まった」

「待って待って、ミリ、ええ、どこ?」




マリがあたしの方へ飛んで近寄ってくると、あたしはヒトメガネでその大陸を指した。

ヒトメガネで見ると、望遠されたメガネには、大陸のいたるところで土煙が上がっているのが見えた。



「攻めてるは多分、ルシの国ね。狙われてるのは、ウクナかな」

「あんなに大きい国なのに、なんで攻めるの?わかんない」

「あたしも分かんないわ。何が楽しいんだろ」



あたしたちはふわふわ浮かぶ雲の上から頭だけを覗かせて、観察を続けた。

20分もすると、あたしは飽きてしまったので、おやつを食べることにしたが、マリはさらに望遠したメガネでじっくりと、戦争を観察していた。


それを見て、よく続くな、とあたしは思った。

あたしは飽きっぽいのだ。




あたしたちはこんな生活を、ずっと続けている。


最初の頃は、あまり楽しくなかった。

地球を観察しても、大きいが平凡な動物が緩歩するだけだった。

地球のダイナミックな自然も、最初はすごかったが、3日も見ていたら、飽きた。


宇宙の方を見ていた方が退屈しなかった。


今から1万年くらい前になると、面白い生物が現れ始めた。


それはヒト、だった。

ヒトは他の生物と比べ、集団で計画的な行動したり、互いに憎しみあったり、愛し合ったりする。

あたしたちの思考に似ているため、あたしたちはその生物をよく観察した。

毎日、観察しがいのある生物が現れて、あたしたちはおかしを食べること以上の楽しみを見つけた。


ここ、2000年は、さらにヒトは面白いことをした。


様々なことを開発する以外にも、ヒトの考え方はすぐに変わっていく。

戦争の形、生活の形、そして愛の形。

色々なものがすぐに変わっては、消えていった。



あたしは少しせっかちな天使だった。

ずっと一緒にいるミリは、ふわーんとした穏やかな天使。


あたし達以外にも、ここ空の国にはたくさんの天使がいて、

みんな毎日、観察をしたり、翼で飛んで運動をしたり、雲にくるまって寝たりする。

たまに、大天使様が、あらたな天使を生むこともある。




「ミリ、今、戦っていた人が、敵に捕まったんだけど、殺されなかったわ」



マリが尚も続く戦争観察の進捗を伝えてくる。

あたしはというと、とっくに飽きて、黄色いドーナツを食べていた。


「でも変なの、捕まった人、笑いながら、泣いてるわ。なんでだろう?」

「それはよくわかんないわね。

捕まったら、悲しむはずなのにね。ヒトは難しいわ」



あたしたちはヒトを何千年も観察しているのに、分からないことがあった。

それは『感情』というものだった。


あたしたちはそれを具体的に説明できないでいた。

天の国では、感情というシステムを解析できずにいた。

それも何万年もだ。


それからマリはさらに1時間ほど観察を続けていたが、進展はないと見たのか、あたしと同じようにドーナツを食べ始めた。

あたしはもう食べ終えて、少し横になっていた。

寝ながら、ふと、マリの背中の羽をふさふさと手で撫でた。


たまに思う。

あたしとマリの関係とは何なのだろう?


天使、というだけであれば、他の天使たちと同じはずだ。

ずっと2人でいるのだ。

それなのに、あたしは飽きない。


何か特別な何かがあるはずなのに、

あたしはそれを形容できずにいた―。




それから3日が経過した時のことだ。

マリがとんでもないことを言い出した。



「ミリ、ごめんね。あたし、決めたの」


マリはもじもじして、最初、結論をなかなか言い出さなかった。

あたしはせっかちなので、そんなマリに、はっきり言って、と言った。




「あたし、人間になることを志願したの」




それを聞いて、あたしは驚いたなんてものではなかった。

翼の毛が全部、抜けるかと思った。


あたしは、すぐにマリの肩を掴んだ。


「な、なんで?なんでヒトになりたいの?

あんなどうしようもない生物に!」


そう言うあたしに、マリは目を背けながら、言った。


「人間の感情を知りたいの。

あたしは毎日、見てたけど、人間の感情は全く理解できる気がしなかった。

ある時から、人間になってみたいと思うようになって……」




「人間なんかになったら、もうここには戻れないのよ!」


あたしは尚も、マリの肩を掴んでいた。

手の力は強かったと思う。


「記憶を消されて、身体も弱くて、飛べない

あんな生物になりたいの?

100年もしないうちに死んじゃうんだよ?」

「ごめんね。でももう、志願したの……」


あたしはマリの肩から手を放した。

マリはもうどう説得しても無駄のようだった。


マリはおっとりした性格の割に、どう言っても聞かない一途なところがある。

あたしその一途な思いが、今回、人間になりたいことになってしまったことを恨んだ。

何を恨むべきなのかは分からないが、とにかく恨んだ。

そもそも、恨む、という感情もよくわからないが、恨むべきだと思ったのだ。

そして、なぜ恨むのか、も言葉で言えなかったが、あたしは、なぜか、そうすべきだと思っていたのだ。



「……いつなの?下にいくのは」


そのあたしの問いに、

マリは、「3日後」と答えた。



その後、あたしの中に沸いた感情は、やはり形容できないものだったが、

気持ちのいいものではないことは確かだった。

夕ご飯も食べたくなくなった。

食べたくない理由も、よく分からなかった。




それから、3日が経過した。


あたしのその良く分からないもどかしい感情は募っていくばかりだった。

なんと言っていいか分からないが、胸がむかむかした。


マリを見ると、あまり明るくない顔であたしと同じような気持ちに見えたが、

しかし、その感情については、何も言わなかった。

何を言っていいのか、分からないのだろう。



午後3時、マリはついにその時を迎えた。


大天使が見届け人として、あたしたちの雲にやってきた。

大天使は、最後に、と、マリに言った。


「今から取り消すこともできるが、いいか?戻ってはこれないぞ?」

「はい、いいです」


マリの顔は、やはり明るくはなかったが、あたしもそうだったと思う。

もちろん、根拠は不明だ。

離れ離れになることが、何か感情に影響するのか、あたしは知らなかった。


「ミリに、何か言っておくことはあるか?」

大天使は、あたしの方をちら、と見て、言った。


「……なんでですか?」

その大天使の問いに、マリは疑問の声を投げ掛けた。


そう言われるとは思っていなかった大天使は、少し戸惑いを浮かべた表情をした。

「ああ、いや、なんでだろうな?

私にも良く分からないのだが、最後に何か、話しておいたほうがいいと思うから聞いてみただけだ。

特に何もなければ、いい」


そう言われたマリは、はあ、特にはないので、と言い、雲の端に立った。


「じゃあね」


あたしにそう言ったマリの顔はどこか悲し気であったが、悲し気である意味が分からず、戸惑うロボットのようにあたしには見えた。


「ああ、また、いや、元気でね」


あたしはとっさの別れの挨拶に、またねと言おうとしてしまい、急いで訂正した。

そして元気、と言ったが、元気とは何なんだろうな、と心の中で自分に質問していた。




それからマリは、音もなく、雲から足を離すと、

地球へ降りたって行った。




あたしは、それを見送ったが、なぜかマリが見えなくなっても、

目を離せなかった。


見えないのに、無駄な時間だと分かっているのに、目が離せなかった。

その理由は、やはり心のどこを探しても見つからなかった。





それからあたしは、毎日のようにマリを観察した。


いつもなら、戦争を見たり、人間同士のケンカを見たり、

家族で団らんしているところを観察して、感情の研究をしたりするのだが、

どうもやる気がわかず、それより、マリが気になった。


マリが空を去ってから、1日後、マリは下で、産まれた。


天使だった頃と同じく、女の子として産まれたようだった。

名前も、本人がそう望んだのかどうか分からないが、

『真理』と命名されたようだ。


あたしは産まれる瞬間を、ヒトメガネで見ていた。

「おぉ」と声が出たが、それは何に対して反応したものか、あたしには分からなかった。

あたしは、早く大きくなれよーと届かない声を発した。



真理は普通の女子として、すくすく大きくなった。


それは観察としては、面白くないものだったが、

あたしはどうにも、他のものを観察する気になれなかった。


なぜか、真理に吸い寄せられるのだ。

見ていたくなる。

この疑問を大天使に聞いても、やはり返ってくる答えはなかった。


真理が空からいなくなったので、あたしはもちろん、独りになった。

代わりの天使もすぐには産まれなかった。


独りになったこと、それは別にだからなんだというものであったが、

夜に雲にくるまって眠る時は、いつもなら隣にマリがいたので、あったかさが減った。

それを思うと、なぜかとてつもなく、胸がきゅう、となった。

なんだか分からないが、胸が苦しくなった。

目が熱くなったりもした。


なぜなのか、あたしには分からなかった。




真理が21歳になった時だ。

当時、真理は大学生であったが、とあることが起きた。


真理の母親が、病気で死んだのだ。


死ぬには相対的に若すぎる年齢だった。

病気は難しい名前のもので、治せる医者が見つからなかったようだ。


真理は、母親が死ぬと、狂ったように泣き叫んだ。

何日も大学へいかず、食事もろくにしていなかった。




あたしはそれを見て、地球へ降りたマリを恨んだ。


「ほら、こんなことになるから!

だから行くなといったんだ」


理由は全く分からないが、真理と同じようにあたしの目からも涙が出た。

自分の中ではバカなことをしたマリに怒りを感じたからだ、と納得させた。

しかし、その怒りというのも、よく分からないものだった。




真理は、それから、しばらく、誰とも口を利かなくなっていた。

父親との会話もほとんどなくなり、共同生活も、なぜかうまくいっていないように見えた。


それを見て、あたしはなぜか、手がわなわなと震えた。

なぜか、居ても立っても居られなくなった。




それから1日後、あたしは、人間になることを志願をしていた。




大天使は、

「なぜ、地球へいくんだ?」

とあたしに聞いたが、あたしにも良く分からなかった。


だから「行きたくなったからです」と曖昧な回答をした。


大天使は、「マリと関係があるのか?」と尚も質問してきたが、

これにあたしは「おそらくあります」と答えた。


しかし、どう関係しているのか、具体的には言えなかった。

とにかく、行かなければいけない、と思ったのだ。




自分が転生する人間は、設定がある程度、融通が利く。

あたしはそのことを、志願した後に大天使から教えられた。


例えば、名前は事前に決められる。

そして、生まれる時間も。遡ることも可能だ。

性別も決められるようだ。


あたしは名前は『美理』。

生まれる時間は、マリと全く同じ時間にした。

性別も、やはり今と同じ女性だ。


あたしは、

「生まれる場所は、マリとすごく近いところにして欲しい」

と大天使に伝えた。


大天使はあたしの設定を紙に書くと、

とりあえず、これで申請しておく、明日には転生できる、と言った。


この日の夜も、あたしは独りで眠ったが、

なぜか胸の中はいつもより温かかった。




翌日の午後3時、ついにあたしは転生することになった。


荷物もなく、雲の端に立つと、大天使が準備はいいかと言った。

あたしは「はい」と答えると、雲から足を離した。


そのゆっくり落ちていくあたしに、

あたしの設定した新しいあたしが入ってくるのが分かった。


しかし、一つ、設定に見覚えのないものがあった。

それは生まれる土地だった。


あたしは、マリのすぐ近くを希望していたのだが、

あたしの生まれる場所は、真理がいる東京とは遠く離れた北海道になっていた。




「どうして!


こんなに離れてたら、会えない!!」




あたしの中に苦い感情が押し寄せた。

なんという感情なのかは分からなかった。


あたしは、自分に強く言い聞かせた。




「全部なくしても、

マリに届けられる何かを忘れない!

きっと何か、繋がるものを作るんだ……!!」




そう強く願ったまま、

あたしは、雲から離れ、光の中へとその身が吸われていった。

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