第三章「禍機」 第03話

 私たちの本来の目的地は《火弾》の図書迷宮ライブラリだった。

 必然、旅の準備もそこまでのもの。急に遠出することになり、慌ただしく準備を進めた私たちだったけれど、ハーバス家の助けもあり、翌日には無事にお屋敷を出発することができた。

 しかし、順調だったのはそこまで。問題はその直後に発生した。

 具体的にはラントリーの町を出る直前、街門の所。

 そこまで送ってくれたハーバス家の馬車から降りると、私たちの前にヨーダン・ディグラッド、つまり私たちが奔走する原因を作った犯人――に限りなく近い人物が現れたのだ。

 思わず汚い言葉が口を衝きそうになるが、証拠もなしに糾弾はできない。

 関わるだけ無駄と、無視して進もうする私たちの行く手にディグラッドが立ち塞がった。

「こんな所で会うとは奇遇じゃねぇか、出来損ない」

 奇遇さなどまったく感じさせず、ニヤニヤと感じの悪い笑みを浮かべる男の姿に、アーシェから静かな怒気が漏れ、私の顔も引きりそうになるが、これでも私は貴族である。

『コイツ、ぶっ殺してやろうか?』なんて気持ちは胸の内に隠し、表情を笑顔で固定する。

「ディグラッド様、なぜこのような所に? 既にお帰りになったと思っていましたが」

「あぁ、《火弾》の魔法は覚えたし、いつ帰っても良かったんだが、折角こんなド田舎まで来たんだ。魔法も使えないのに無駄な努力をする愚か者を、もう一度見ておこうかと思ってな?」

 ふむ。つまり、私にマウントを取りたいが故に待ち伏せしていた、と?

 ――この男、致命的に愚かなだけじゃなく、暇なのかな?

「まぁ。愚か者の顔がご覧になりたかったのですか? それならば、自領に戻ってから存分にご覧になればよろしいのでは? ――ただ鏡を覗き込むだけで良いのですから」

「……? ――っ、おっ――」

 どうやら頭の回転はあまり速くないらしい。

 私の皮肉をすぐには理解できなかったようで、ディグラッドは数秒間考えるように眉根を寄せ、ようやく顔を赤くして口を開くが、私はそれを遮って言葉を続ける。

「ところで、《火弾》の図書迷宮ライブラリの副祭壇が使えなくなったようなのですが、ディグラッド様は何かご存じではありませんか?」

「――っ、知らねぇな。どうせ俺の後に入った平民が破壊して、壊れていたと嘘をついているんだろ。まったく、ハーバス子爵は平民の躾ができてねぇな」

 機先を制されてディグラッドは言葉に詰まるが、私の問いかけに余裕を取り戻す。

 そして、こちらを馬鹿にするような笑みを浮かべたのだけど――

「私は、使と言っただけで、破壊されたとは言っていないのですが?」

 私が頬に手を当てて小首を傾げると、簡単に焦りを顕わにした。

「お、俺ほどの天才なら、その程度を推測するぐらいは簡単なんだよっ」

「そうなんですか? であれば、図書迷宮ライブラリを破壊した豚の名前も教えて頂きたいですが……」

「ぶっ――そ、それを調べるのはハーバス子爵の仕事だっ」

 軽くあおられただけで感情を顕わにする。

 子供であればまだ可愛げもあるけれど、貴族としては致命的である。

 ――いや、仮に子供でも可愛げはないか。やっていることが最低なので。

 私が呆れ気味にため息をつくと、突然、背後にいたミカゲが一歩前に出て口を開いた。

「神が造った図書迷宮ライブラリを破壊することは許されない。そのような者には神罰が下る」

 その声は平坦で冷たく、とても静かだった。

 しかし、普段ミカゲと一緒にいる私たちですら、ドキリとするような威圧感に満ちていて、それを直接向けられたディグラッドは怯んで一歩下がり、慌てたように声を上げた。

「ク、クソがっ! 後悔することになるぞ!」

「先日も同じ言葉を聞きましたが……そのままお返しします。あなたこそ後悔されませんように」

 ディグラッドは歯ぎしりして唸るように私を見るが、私が冷笑と共に手を振ると、荒々しい足取りで歩き出し、少し離れた場所で待機していた柄の悪そうな男たちの集団に合流。

 そこからもう一度、こちらを睨み付け、彼らを引き連れて街門から出て行った。

「……アイツらで囲んで脅してこないあたりは、多少マシなのかね?」

 小馬鹿にするように笑って肩を竦めるラルフに、私は首を振る。

「そこまでしたら、完全にシンクハルト家への敵対行為です。そうなれば身の破滅であると理解するぐらいの頭は持っているのでしょう。ここはハーバス子爵領ですしね」

 図書迷宮ライブラリの破壊容疑や言葉の応酬だけならまだしも、公衆の面前で暴力による脅迫は言い逃れができないし、『シンクハルト辺境伯令嬢を守る』という正当な理由が生まれれば、ハーバス子爵も爵位を気にすることなくディグラッド伯爵家と対立することができる。

 そんな紛争の原因を作ってしまえば、普通の貴族家であれば廃嫡はいちゃく待ったなし。

 貴族の地位を笠に着る彼には、耐えられないことだろう。

 私は小さく「ふぅ」と息をつき、後ろで控えていたハーバス家の馭者を振り返る。

「送迎、感謝します。先ほどのり取りを一応、ハーバス子爵にお伝え願えますか?」

「かしこまりました。確かにお伝え致します。ルミエーラ様、そして皆様。お気を付けて行ってらっしゃいませ。旅のご無事をハーバス家一同、祈っております」

 うやうやしく頭を下げ、馬車に乗って戻っていく馭者ぎょしゃを見送り、私はミカゲに目を向けた。

「ところでミカゲ、神罰は本当に……?」

「神が直接何かすることはあまりない。けど、神罰がないわけじゃない」

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