第三章「禍機」 第04話

 私の問いにそう答えたミカゲは少し考え込み、やがて小さく「うん」と頷いた。

「本当はもうちょっと成長してから伝えるべきこと。でも、お姉ちゃんは昔から頑張ってるし、状況的に問題ないと判断する。お姉ちゃん、あの男に対して『督促《火弾》』と念じる。急いで」

「え……? う、うん」

 ミカゲが指さすのは、門の外、遠くに見えるディグラッド。

 唐突に言われ、戸惑いしかなかったけれど、ぺしぺしと背中を叩くミカゲに急かされ、私は言われるまま、ディグラッドの背中を睨むようにしてそれを実行する。

「『督促《火弾》』……あれ? 今、ディグラッドが光った?」

 気のせいか、身体全体がぼんやりと光を発したように見えた。

 しかし、アーシェとラルフは不思議そうに顔を見合わせ、揃って首を振る。

「私には何も見えませんでしたが……」

「俺も同じだ。見間違い――って、こともないのか?」

「見えたのはお姉ちゃんだけ。これは司書の能力の一つ。指定した魔法の効果を制限できる。対象者は神によって監視され、盟約を守っていないと見なされれば『回収』が可能となる」

「……ミカゲ、その『回収』って?」

「言葉通り。対象の魔法が記された魔導書グリモアのページを回収する。当然、魔法は使えなくなるし、空きページも戻ってこない。ついでに『回収』が繰り返されれば、魔導書グリモア自体も失われる」

 なかなかに衝撃的な情報に私たちは息を呑み、アーシェが恐る恐る尋ねる。

「ミカゲさん、それはとんでもない能力なのでは?」

 魔法が重要な意味を持つ貴族社会で、魔法を消す能力を持つという事実は大きい。

 それこそ、下手に知られれば命を狙われかねないのだが、ミカゲはちょっと考え首を振る。

「そこまででもない。『督促』してから一定期間は改善する猶予が与えられるし、問題ない相手に『督促』を繰り返せば、それをした方の魔導書グリモアが失われる」

 そもそもの前提として、対象とできるのは盟約を守っていない人物のみ。

 魔法を悪用したり、図書迷宮ライブラリを破壊したりしなければ『回収』にまで至ることも少なく、更に本祭壇で授かった魔法であれば、即座に制限を受けることもないらしい。

 もっとも、行動に問題があれば、本祭壇でも『回収』されることに変わりないそうだけど。

「でも、盟約の内容が不明なんですよね。現在の弛んだ貴族相手であれば、十分に対象になりそうな気もしますが。ミカゲさん、司書の能力は他にもあるんですか?」

「もちろんある。でも秘密。今回は特別。あまりにも司書がいなさすぎる」

 図書迷宮ライブラリを壊されたから、制裁が必要だと判断したってところかな?

 しかし、今の発言や以前の『子供用』などの発言、諸々考え合わせると……。

「もしかして司書の役割って、盟約を守らない人には強力な魔法を使わせないこと?」

「本来の役割は持ち主――お姉ちゃんの手助け。でも、神は案外忙しい」

 ミカゲは私の問いに明確には答えず、小さく笑った。


    ◇    ◇    ◇


図書迷宮ライブラリの研究〟の著者が住む町はハーバス領から、領地を一つまたいだ先にあった。

 ポルローズ。それは湖畔に存在する風光明媚な町の名前として、私も記憶していた。

 しかし所詮は噂話。実際にはどれほどのものかと懐疑的だったのだけど……。

「綺麗……。まさか、噂通りだとは思いませんでした」

 見えてきたのは、澄んだ水を湛えた大きな湖だった。

 湖面には若緑の山々が映り、渡る涼やかな風は、汗ばんだ身体を心地好く冷ましてくれる。

 その湖畔に造られた町はそこまで大きくはないものの、整然とした街並みと白っぽい色で統一された壁材も相まって清潔感があり、計画的に造られたことが窺えた。

「避暑地として有名な場所ですからね。湖の波も穏やかなので、船遊びなども盛んなようです」

「だからでしょうか、町の傍でも水は綺麗です。きちんと統治が行き届いているようですね」

 文明が未発達だから、綺麗なのは当たり前――と思っているのであれば、それは大間違い。

 化学的な汚染はないかもしれないが、屎尿などの生活排水はもちろん、冶金や炭焼き、食品の生産でも汚染源となる物は排出されるし、それなりの規模の町となればその量も多い。

 それらを適切に処理しなければ綺麗な湖を保つことは難しいし、仮に仕組みを作ったとしても、統治者が無能なら、すぐにお座なりになってしまうことだろう。

「良い町です。時間があれば、のんびりと滞在してあちこち見て回りたいほどに。できれば著者の方を招聘したかったのですが……難しそうですね」

 辺境にあり、魔物の脅威にさらされるスラグハートと、風光明媚なこのポルローズ。

 どちらに住みたいかと問われれば、おそらく九割九分の人はこの町を選ぶ。

 ――故郷じゃなければ、私もこっちを選ぶし。

 もちろん実際に住んでいれば不満点もあるだろうけど、この町を離れるだけの魅力がスラグハートにあるか、それも外部の人にアピールできるようなものが、と問われると厳しいからねぇ。

「まぁ、一般受けはしないだろうなぁ。俺はシンクハルト領が好きだが」

「領民であるラルフがそう言ってくれるなら、嬉しいですね」

 この中で一番普通の領民に近いのはラルフであり、彼がそう感じるのなら、私も領地開発を頑張っている甲斐があるというもの。私が微笑むと、アーシェも慌てたように手を挙げた。

「同じ! 私も同じですよ、お嬢様! お嬢様がいるだけで、そこは楽園ですっ!」

「うん、それはあんまり嬉しくないかな。町が関係なくなってるし」

 ――逆に言えば、どこでも良いってことになるよね?

 私がそれを指摘すると、アーシェは気まずそうに目を逸らした。

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