第二章「伴侶」 第19話

 街門がいもんに迎えを寄越すと同時に、準備を始めていたのだろう。

 招かれて入ったジゼルの部屋には、既にお茶の準備が整っていた。

 私は彼女に勧められるまま椅子に座り、ミカゲもその隣へ。アーシェとラルフが私の後ろ、少し離れた位置に立つと、ジゼルは自らお茶を淹れて私たちの前に並べた。

「改めて、お姉様。ご迷惑をおかけ致しました」

「さっきも言った通り、気にしなくて良いんだけど……ジゼルの立場だとそうもいかないか。はい、謝罪は受け入れます。でも、原因は私たちの方にありそうなんだけどね」

 仲の悪い貴族が顔を合わせないように調整するのもホストの役割だけど、それもきちんと連絡をしていればこそ。突然訪問した私たちにも責任はある。

 ただそれでも、迎えの馬車で調整することはできるし、トラブルになれば仲裁する責任もある。

 そしてそれは本来、ジゼルではなくハーバス子爵の役割なんだけど……顔を出さなかったのはあえて、かな? 辺境伯の娘である私と、ディグラッド伯爵家の息子であるあの男。どちらに味方をしても角が立つし、下手をすると貴族家同士の争いとなりかねないから。

 でも、爵位を持つ子爵本人がいなければ、何かあっても子供の喧嘩で収めることもできる。

 最善とは言えないけれど、子爵家の当主としては悪くない選択だろう。

「お姉様は悪くありません。あの男、非常識にも先触れもなく、突然訪ねてきたんですよ!?」

「あはは……それで言うと、私たちもだけどね?」

「一緒にしないでください! 私とお姉様は竹馬ちくばの友、いつ何時なんどき来られても大歓迎ですが、当家とディグラッド家にはまともな交流もないんですよ? まったく非常識です!」

 凄く不満そうに頬を膨らませ、鼻息も荒いジゼルである。

「だよね。辺境には見向きもしないような家だし。そんな伯爵家が何で?」

「要求自体はよくあることです。『《火弾》の図書迷宮ライブラリを使わせろ』と」

「あぁ、貴族には人気だもんね。――え、今更いまさら? あの人、私より二、三歳は上だったよね?」

 貴族は魔導書グリモアを授かるとすぐに自身の方向性を決め、数年ほどで定番の魔法を覚える。

 そして、火系攻撃魔法を主体とする人なら、《火弾》は最初に覚えるような基本の魔法である。

 もちろん空きページに余裕があれば、別系統の魔法を覚えることもあるのだけど……。

「ディグラッド、実はとても優秀だったり?」

「私が調べたところ、あの男の魔導書グリモア白色ホワイトと判明しています」

「あんな男に高ランクの魔導書グリモアは授けられない」

 アーシェが苦笑して首を振り、それに同意するようにミカゲも深く頷く。

「だよね。少なくとも平均以下だろうとは、思ってた」

 小太りで鍛えられている様子もなく、お父様が問答無用で却下するほど素行が悪い。

 あんな男にも良い魔導書グリモアが授けられてしまうなら、私が努力した意義を見失うところだよ。

「そんな人物が今更ですか。なんだか嫌な感じですね。あの品性ですし……」

 やや不安げにジゼルが眉をひそめ、申し訳なさそうに私を見る。

「それでお姉様、大変申し訳ないのですが、図書迷宮ライブラリに入るのは、少しお待ち頂けますか?」

「うん、やっぱりそうなるよね」

 一組しか入れないほど図書迷宮ライブラリが狭いというわけじゃない。ただ、それなりに爵位の高い貴族が入る場合には、無用なトラブルを避けるために貸し切りにしてしまうことはよくある話。

 特にディグラッドのように素行が良くない人物だと、安全策を採るのは当然のことだろう。

「本来であれば、お姉様の方を優先すべきなのですが……」

「急いでいるわけじゃないから、気にしないで。あの男が本祭壇まで潜るとは思えないし、数日程度のことでしょ? 身体を休めるのにはちょうど良いよ」

 侯爵に匹敵するとも言われる辺境伯ならまだしも、子爵と伯爵では分が悪い。

 下手に要求を突っぱねるより、先に入らせて、さっさとお帰り頂く方が面倒も少ないだろう。

「よし! 嫌な奴の話はもう終わり! 折角、ジゼルに会えたんだから」

 楽しい時間を不愉快な話で浪費するのはもったいない。

 私がポンと両手を合わせると、ジゼルも気を取り直したように笑顔になった。

「ですね! お姉様、久し振りにお会いできて嬉しいです」

「私もだよ。最近は成人の儀式に絡んで、ちょっと忙しかったから」

 私としてそれは、何も考えずに漏らした言葉。

 しかし、ジゼルの顔は一転曇り、彼女は視線を下に落とした。

「あっ……、お姉様、この度のことは、その……何と言えば良いか……」

「うん? もしかして私の魔導書グリモアのこと、何か聞いてる?」

「えっと……はい。宮廷の雀はなかなかにかまびすしいようで。私の所にまで……」

 私が王都で成人の儀式を受けてから、それほど日は経っていない。この世界の情報伝達速度やハーバス領と王都の距離を考えれば、必然的に各種噂話が耳に入るのも遅くなるはずで。

「う~ん、あの男も何か言ってたけど、思った以上に広がってるねぇ。ちなみにどんな噂?」

「そ、その……」

 言いづらそうに口を濁すジゼルに「別に怒らないから」と促すと、彼女は重い口を開く。

「要約すると、お姉様の魔導書グリモアは『魔法を一つも覚えることができない欠陥品』と」

「そっか、そんな話に。ホント、下らない噂話が好きだよねぇ、貴族って。暇なのかな?」

 他人の弱みが大好物な貴族社会とはいえ、私の情報なんて大した価値もない。

 私がため息混じりに言葉を漏らすと、ジゼルは苛立たしそうに組んだ両手に力を込める。

「まったく無責任に……。魔法を得たいというお姉様のお気持ちは知っていましたので、当家の図書迷宮ライブラリに入りたいというお話も、どのように捉えるべきか悩んでいたんです」

「あぁ……、そうだよね。その噂を聞いていたら、困るよね」

 噂が本当なら、図書迷宮ライブラリに入る理由なんてない。でも、私は入る許可を求めていて。

「もしかして、噂は嘘だったのでしょうか? そうであれば嬉しいのですが……」

「嘘というわけでもないんだけど……。ジゼル、ここだけの話にしてくれる?」

「もちろんです。私がお姉様との約束を破ったことなど、ありませんよね?」

「ないね。一度も」

 それが他愛ないものであっても、私との約束事は必ず守るのがジゼルという人物。

 その点にいては、アーシェよりも信頼度が高いかもしれない。

 もっともアーシェは自身の判断で柔軟に対応してくれるので、それが悪いわけではないのだけど。

「えっとね、私の魔導書グリモアにページがなかった、というのは本当なんだけど――」

 私の事情を簡単に話すと、ジゼルは困惑したように私とミカゲを見比べた。

「司書、ですか? あのミカゲさん、触れても良いですか? ――普通の人にしか見えません」

 頷いたミカゲの手を握ったり、揉んだり、髪を撫でてみたり。

 違いが判らず首を捻るジゼルに私も頷きつつ、顕現させた魔導書グリモアをミカゲに差し出す。

「うん、解る。でも、これを見れば納得できるかな?」

「それがお姉様の魔導書グリモア――え!?」

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