第二章「伴侶」 第18話

「……ふん。肖像画など、どうせ美化されたものだと思っていたが、実物も見られる顔をしているじゃねぇか。以前は無礼にも俺様の申し出を断りやがったが、お前が頭を下げて頼むなら、婚約してやっても良いぜ? 魔法も使えない落ちこぼれなど、どうせ結婚もできねぇだろ?」

「――まぁ。貴族たるもの、一度決めたことを覆すことは致しませんわ」

 あまりにも意味不明な発言に一瞬思考が止まるが、これでも私は貴族である。

 ニヤニヤといやらしい目付きで私の(とてもスレンダーな)身体を舐め回すように見るヨーダンを前にしても、きちんと笑みを貼り付けて明確に告げる――というか、この男がそういう趣味だと困るので、ラルフに後ろ手で指示し、ミカゲを背後に隠させる。

 私が合法ロリなら、ミカゲは違法ロリ。

 こんな気持ちの悪い視線にさらすのは可哀想だもの。

 しかし、お父様が婚約を却下した理由が一瞬で解るのも、ある意味で凄いかも?

 私としては『普段からとても一貫した行動をしているんだねぇ』と面白みすら感じたけれど、ジゼルとしては我慢できなかったようで、あからさまに顔をしかめてディグラッドを睨み付けた。

「ディグラッド様、辺境伯家のご令嬢に対して、あまりにも失礼ではありませんか?」

 それは半ば詰問するような口調だったが、ディグラッドは馬鹿にするように鼻で笑う。

「事実だろ? 王都では有名だぜ? コイツの魔導書グリモアは平民以下、魔法も使えない欠陥品だと」

 あらら。どうせ噂になるとは思っていたけど、やっぱり有名人になっていたらしい。

 ま、私は社交界にはほぼ出ないので、あんまり気にならないけど。

 ただ、王都で暮らすお姉様に悪影響が出ていないか、それだけが気になる。

 もし不利益をこうむっているなら、お父様たちとも相談して、私が魔法を使えることを公開すべきかもしれない――と、無言でそんなことを考えていると、ディグラッドはジゼルにも目を向けた。

「お前も付き合いを考えた方が良いんじゃねぇか? 魔法を使えてこそ貴族。魔法が使えない貴族なんて、まともな貴族とは言えねぇんだからな!」

 なるほど。ディグラッドの言葉は悪いけれど、それはある面では事実である。

 義務を果たすことがこの国の貴族の証であり、そのために必要なのが魔法。義務の方は形骸化されつつあるけれど、魔導書グリモアと魔法が貴族の間で重要視されていることは変わっていない。

 しかし、ディグラッドにそう言われても、ジゼルはきっぱりと首を振った。

「関係ありませんわ。お姉様は努力されていますし、たとえお姉様が魔法を使えなかったとしても、私の尊敬するお姉様であることに変わりはありません!」

「――っ、ふんっ、馬鹿が。無駄な努力だな」

 ジゼルの強い言葉と視線に、ディグラッドは怯んだように目を逸らして私を見る。

「ルミエーラ、気が変わったら言え。愛人ぐらいにはしてやる」

 おっと。婚約から愛人に格下げされちゃった。まったくどうでも良いけど。

 しかし、気持ち悪い笑みと共に私の顔に伸ばされる彼の手は、どうでも良くない。

 嫌悪感が湧き上がる――が、私が何かする前に、その手はアーシェによって阻まれた。

「……たかがメイドが俺の邪魔をするなど、どういうつもりだ?」

 アーシェに掴まれた手首を見て、ディグラッドは顔を顰めて振り払おうとするが、それはまったく動かず、アーシェは平然と言葉を返す。

「私はお嬢様の護衛です。お嬢様の許しも得ずに触れようとすれば、誰であろうと阻止します」

「くっ、ぬっ、ルミエーラ、メイドのしつけがなっていないんじゃないか?」

「ディグラッド様、彼女は私の最も信頼する護衛。彼女の言葉は私の言葉と思って頂いて差し支えありません。つまり、私に触れようとするな、ということです。ご理解頂けましたか?」

 私のその言葉にアーシェが微笑み、軽く押すようにしてディグラッドの手を離すと、彼は蹈鞴を踏んで下がり、私とアーシェを睨み付けた。

「主が無能ならメイドも無能ということか。シルヴィ・シンクハルトは天才という話も聞くが、妹が無能なんだ。どうせ誇張された噂、同じように無能なんだろうな!」

「――は? 叩き潰すぞ?」

 私のことは別に良い。しかし、お姉様を侮辱するのは許されない。

 口から自然と漏れた低い声に、ディグラッドがビクリと震え、視界の隅でジゼルとラルフも目を丸くする。対して平常運転なのはアーシェ。澄まし顔で私に苦言を呈した。

「お嬢様。お言葉が汚いです。せめて『ぶち殺して差し上げますよ』ぐらいになさってください」

「あら、失礼。少々口調が荒れてしまいましたね」

 思わず漏れた前世の言葉遣いに、私は口元を押さえる。

 ――もちろん前世だって、普段からそんな口調だったわけじゃないけどね?

「では改めて。ご希望とあれば、下半身の害悪を取り除いて差し上げましょうか?」

 私がさり気なく腰の細剣レイピアに手を置くと、ディグラッドは焦ったように目を泳がせるが、この場は完全にアウェイ。私の背後に控えるラルフや厳しい表情のジゼルを見て歯ぎしりをする。

「ク、クソがっ! 後悔することになるぞ!」

 それは完全な負け惜しみ。顔を歪めて吐き捨てたディグラッドは荒々しい足取りで屋敷を出て行き、それを見送った私たちは揃って息を吐いた。

「はぁ……。お姉様、申し訳ありません。不愉快な思いをさせてしまって……」

「気にしないで。悪いのは完全にあの男、ジゼルは全然悪くないんだから」

 むしろ、因縁があったのは私の方。ここで出会ったのは運が悪かったと言うしかない。

「でも、なんであの男がここに――あ、話せないことなら、無理には訊かないからね?」

 貴族同士の付き合いには、他家には言いにくいことも色々ある。

 聞いちゃダメなことかもしれないと付け加えたのだけど、ジゼルはすぐに首を振る。

「いいえ、お姉様であれば別に。ですが、まずは場所を移しましょうか。ここはお話をするのに適した場所ではないですから」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る