第一章「呱呱」 第19話

「『私の意志は盟約と共にあり、それを成し遂げることを誓います。知の女神イルティーナ様、お力添えくださるならば、どうか私に魔法をお与えください』。――っ!」

 祈りが終わるや否や、まるで待ちかねていたかのように祭壇が光を放った。

 直後、私の魔導書グリモアが宙に浮かび上がると、パタリと開かれ、何もない中身が曝された。

 しかし、まるで魔導書グリモアを授かったときのように、その上に光が集って球体を形成し……。

「やった! ――はぁぁぁぁ」

 ゆっくりと私の手元に戻ってきた魔導書グリモアには、確かに新たなページが生成されていた。

 それはわずかに一ページ。されど一ページ。私は喜びと、それ以上の安堵を込めて息を吐く。

「おめでとう! ルミ!!」

「はい、ありがとうございます、お姉様。ご心配を――ぐえぇぇぇ」

 感極まったようにお姉様が私を抱きすくめる――が、私とお姉様の身長差は三〇センチ近い。

 必然、私の顔はお姉様の胸に埋まることになり、その柔らかさを感じるよりも先に息が詰まった私の口からは、女の子としてはちょっとアレな呻き声が溢れ出た。

「あ、とと、す、すまない! ルミ、大丈夫か?」

「だ、大丈夫です。ちょっと苦しかっただけで……喜んでくれて嬉しいです」

 慌てて身体を離すお姉様に微笑み返し、私は改めて手の中にある魔導書グリモアを見る。

「はぁ……。感無量――というか、安堵しました。これで私も魔法が使えるんですね」

「おめでとうございます、お嬢様」

「うん、アーシェもありがとう。――けど、さすがは神の御業みわざ。凄く神秘的だね」

 一歩離れて私たちを見守っていたアーシェにもお礼を言い、私は改めて祭壇に目を向ける。

 未だ淡い光を放ち続ける祭壇はとても美しく、光に照らされるイルティーナ様の像は神々しい。

 これはもしかして、本祭壇まで足を延ばした人へのご褒美なのかな……?

 ――と思ったのだけど、アーシェとお姉様はいぶかしげに眉根を寄せていた。

「いえ、普通はこんなことはない、はずなんですが……」

「お姉様、そうなんですか?」

「あぁ、私が魔法を授かった時も、光はすぐに収まったぞ? こんな現象は――っ!」

 まるで私たちが一息つくのを待っていたかのように、光がイルティーナ様の像の前に集束。

 青白く光る球体が現れ――それが突如、私に向かって飛んできた。

「お嬢様っ!!」

 私と球体の間にアーシェが割り込む。

 その動きは素早く、確実に私を庇う位置に立っていたが、起きた現象は目を疑うものだった。

「えっ――!?」

 速度を緩めることなくアーシェにぶつかった球体は彼女の身体を透過、そのまま私に迫る。

 私は衝撃を覚悟して思わず目を瞑るが……何もなし。

 後ろを振り返ってみても……目を丸くしたお姉様がいるだけで、やっぱり何もなし。

「……あれ? 今、ぶつかりましたよね? 光の球はどこへ?」

 私の問いに、お姉様とアーシェが顔を見合わせる。

「私の見間違いでなければ……ルミの胸の中に吸い込まれたな」

「私にもそう見えました。申し訳ありません、お嬢様」

「別に謝る必要はないけど……。えっと、本祭壇ではたまに起きること、だったりは……?」

 たぶんないだろうな、と思いつつ一応訊いてみるけれど、やはり二人は首を振る。

「少なくとも私の時には起きませんでしたし、そういう話を聞いたこともありません」

「う~ん、そっか。よく判らない現象だけど……ま、いっか」

「えぇ!? ず、随分あっさり受け入れますね?」

「うん。あんまり不安は感じないし」

 得体の知れない洞窟に潜っていたのならまだしも、ここは神様の造った図書迷宮ライブラリである。

 魔法を授かることも含めてすべては神の御業であり、先ほどのことを不安に思うのなら魔法を授かる方を不安視するべきだと思う。だって、魔法が使えるように身体が変化するのだから。

「お嬢様の護衛としては、大きな失態なんですが……」

「いやいや、あれは無理でしょ? アーシェは身を挺してまで庇ってくれたんだから」

 私としては、そこまでして庇われることに不満もあるけれど、私とアーシェは友人でありつつも雇用関係であり、それが仕事と言われれば、元社会人としては尊重するしかない。

「それでもお守りするのが、私の役割なのですが……何か変化はありませんか?」

「う~ん、それは難しい質問だね、アーシェ。魔法が使えるようになったわけだし?」

 それはとても大きな変化。万能感とまでは言わないけれど、これまでの自分とは違うことがはっきりと判る。それと間を置かずして光の球が当たったのだから、何か違和感があったとしても、それが魔法を得たことで齎されたのか、それとも光の球が原因なのか、区別は難しい。

「確かにルミの言う通りだな。だが、何か不調があればすぐに言うんだぞ?」

「はい、解りました。そして改めてお姉様、アーシェ、支えてくれてありがとうございました」

 万感の思いを込めて私が微笑むと、お姉様は私をもう一度優しく抱き寄せ、少し涙を浮かべたアーシェもまた、私とお姉様をまとめて抱きしめたのだった。


    ◇    ◇    ◇


 帰宅した私たちを出迎えた両親の喜びは、大変なものだった――ちょっと面倒なほどに。

 盛大にパーティーをしようとするお父様を制止し、苦しいほどに私を掻き抱くお母様をなだめ。

 家族や屋敷にいる使用人を集めて、少し豪華な食事会をした日の夜。

 私はベッドで布団に潜り、顕現させた魔導書グリモアを何度も確かめていた。

「ふふふっ。ふふ、やった、やったぁ。私の魔導書グリモア、私の魔法……!」

 もう一度魔導書グリモアを開いてみれば、そこには確かに《強化》と書かれたページが一枚。

 現状ではとても本と言えるようなページ数ではないけれど、それは確かに前に進んだ証。

 他の図書迷宮ライブラリに潜ればページはまた増えるのか、それが可能ならば、限界は何ページなのか。

 まだまだ疑問点は多い。でも、努力が実るのであればこれからも頑張れる。

「そしていつか、私だけの魔導書グリモアが完成したなら……」

 未熟な身体に引っ張られている感はあるけれど、私の精神は成熟した大人のもの。

 魔法で無双したいとか、誰かに自慢したいとか、そんな気持ちはまったくない。

 ――と、言い切ってしまうと嘘になるかな?

 私たち地方貴族が、文字通りに血と汗で安全を購っているのに、それに守られている中央貴族が暢気に権力争いに明け暮れているのを見ると、見返してやりたいとは思ってしまうから。

 でも、私の一番の目的は、家族と領民の安全。

 その目的への道が閉ざされなかったことが、今は素直に嬉しい。

 思えば魔導書グリモアの存在を知ってから、常に時間に追いかけられているような感覚があった。

 一区切りになるかと思っていた成人の儀式でも、授けられた魔導書グリモアは特殊な物。

 アーシェとお姉様のおかげで立ち直りはしたものの、それでも本当に魔法を得られるのか不安は大きく、正直に言うなら、あまりよく眠れない日々が続いていた。

「でも、こうして……うん。間違いなく、ある」

 それは、たった一つの魔法。

 普通の人なら魔導書グリモアを授かった時点で初期魔法が一つか、二つあることを考えると、ようやくスタート地点に立ったにすぎないけれど、ゼロと一では大きく違う。

 私は改めてそれを噛み締め、魔導書グリモアを胸に抱いて久し振りに幸せな眠りに就くのだった。


 ――翌朝、アーシェの悲鳴によって、強制的に覚醒させられるその時まで。



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第一章はここまで。明日からは第二章です。

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