第一章「呱呱」 第17話

 それはまるで、人の愚かさを象徴するかのような戦争。

 魔物との戦いだけではなく、その戦火でも歴史は焼かれ、口伝は途切れたと言われている。

 魔物が存在するのに、人同士で争うなんて馬鹿としか思えないけど……馬鹿なんだろうねぇ。

 貴族の義務とは本来、そんな過去を反省し、魔物の脅威を忘れないために作られたはず。

 しかし、現在の弛んだ中央貴族を見るに、その理念すら既に危うそうだ。

「お父様も現状を憂えているが……。なかなか難しいようだな」

 私よりも戦いの現場に近いだけに、お姉様はより実感しているのだろう。

 憂鬱そうに首を振ると、気分を変えるように笑顔を作り、開いた扉の先を指さした。

「さて、この先からが本番だ。ルミは試練の内容を知っているか?」

「魔物と戦うための訓練ですよね? 影魔シャドウというものが出現すると聞いています」

 それは魔物を模した不思議な存在で、図書迷宮ライブラリ内に自然と湧き出す。

 種類は多様であり、魔物と戦う前の実戦訓練として神々が作り出したと言われているが、決して安全なものではなく、試練で命を落とすことも普通にあるらしい。

「そうだ。この図書迷宮ライブラリ影魔シャドウはそこまで強くないが……私が見本を見せようか?」

 不安そうに私の顔を窺うお姉様に首を振り、私は腰の細剣レイピアを抜いて前に出た。

「いえ、やります。大怪我をしそうなら助けてください」

「そうか。気を付けるんだぞ? 冷静にやれば、ルミなら問題ないからな」

 私も実戦は始めて。緊張しつつ扉を抜けて歩き始めると、程なくしてそれは現れた。

 喩えるならば、鼠の形をした黒い塊。

 影魔シャドウという名前の通り、光を反射しない影のような物体が一つ、こちらへと駆けてきた。

 大きさは小型犬ぐらいだろうか。想像以上に素早いその動きに少し驚かされるが、私は自分を落ち着かせ、それをしっかり見据えて、斜め前に一歩踏み出しながら剣を一閃。

「ふっ!」

 手に感じたのはわずかな手応え。生き物を斬ったにしては軽すぎる感触と共に、私の横を抜けた影魔シャドウは二つに分かたれ、空気に溶けるようにして消えた。

「お見事です、お嬢様! さすがです!」

 アーシェが笑みを浮かべて大袈裟なほど手を叩き、お姉様も満足そうに頷く。

「うむ! 問題はなさそうだな。――お、葉晶リーフが落ちているぞ。幸先が良いな」

 影魔シャドウが消えた場所からお姉様が拾い上げ、私の手のひらの上に置いてくれたのは小さな結晶。

 葉っぱのような形で大きさは小指の先ほど。半透明の緑色は一見するとエメラルドにも見えるけれど、内側から輝くような美しさはそれ以上。図書迷宮ライブラリ影魔シャドウたおすとたまに落ちる物らしい。

 ゲームなら、これを売ってお金に換えられるのだろうけど、残念、この世界の葉晶リーフはそんな都合の良い物ではなく、諸般の事情で買い取ってくれる所もほとんどない代物である。

「これが葉晶リーフですか。話には聞いていましたが、想像以上に綺麗ですね」

 手のひらの上で葉晶リーフを転がして私がため息を漏らすと、アーシェが大袈裟に目を瞠った。

「なんと! お嬢様にも宝石を綺麗と感じる感性が!?」

「あるよ!? それにお金を使うのはもったいないと思っているだけで」

 私はほとんど宝飾品を身に着けないけれど、貴族として最低限は持っているし、興味もないわけじゃない。それでも欲しがらないのは、単純に優先度の問題である。

 辺境にあるシンクハルト領は決して裕福ではないし、領地の開発だってまだまだ途上。

 領民が苦労しているのに私が贅沢をするとか、どう考えても悪徳貴族だもの。

「なら、葉晶リーフは持っておくと良い。たまにしか落ちないから、それなりに貴重だぞ?」

「眺める以外の使い道がないので、売ることはできませんしねぇ」

 お姉様の言葉に同意するように頷き、アーシェも肩を竦める。

「これだけ綺麗なら宝石としても一級品だと思うんだけど、加工できないんだっけ?」

「はい。非常に硬くて脆いので加工は難しく、影魔シャドウを斃した人以外が身に着けていると、短期間で曇ってしまう性質もあるそうで。さすがは神が創られた物といったところでしょうか」

「試練を乗り越えた褒賞みたいな物かな? 図書迷宮ライブラリで手に入る物だし、他にも何か用途はありそうだけど……。これもまた、人の愚かさによって失われた知識かも」

「可能性はありますね。お嬢様、お預かりします」

 アーシェの申し出に私は頷き、持っていた葉晶リーフを差し出しつつ尋ねる。

「他人が持っていても大丈夫なの?」

「持っているだけなら。宝飾品のように見せびらかすとダメみたいですけど」

 なるほど。やっぱり図書迷宮ライブラリには不思議が多い。

 でも逆に言えば、多くの可能性が残っているということでもあり。

 私はアーシェの手に葉晶リーフを載せると、気合いを入れ直して図書迷宮ライブラリと対峙した。

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