第一章「呱呱」 第11話

 シンクハルト領唯一の図書迷宮ライブラリは、スラグハートから徒歩で半日ほどの距離にある。

 その傍には図書迷宮ライブラリに来る人向けの小さな宿場町も存在し、私たちが最初に目指すのもこの町。

 事前に魔物の動きが少し怪しいと聞いていたこともあり、警戒していたのだけど、私たちは魔物と遭遇することもなく、目的地近くまで辿り着いていた。

 そして見えてきたのは、学校の校庭ほどの広さしかない小さな町。

 しかし、防壁は町に規模に比して立派であり、これもやっぱりご先祖様の遺産である。

「あれが宿場町ですか。思ったよりも小さいですね」

「あまり人気がない図書迷宮ライブラリですから。でも、魔物とは遭遇せずに済みましたね」

「この辺りはウチの騎士団も頻繁に巡回しているからな。街道で襲われる危険性は低い」

 魔境に面して複数の砦を持っているシンクハルト家にとって、兵站へいたんの維持は至上命題。

 必然、街道の管理には力を入れていて、主要街道を外れなければ比較的安全なのが実情である。

 もっとも、そんな日常が崩れるのが、氾濫の時期なんだけど。

「さて、時間的にはこのまま図書迷宮ライブラリに行っても良さそうだが、どうする?」

 お姉様が問うように、私とアーシェを見る。

 まだ日は高く、私の体力も残っているので、まだまだ大丈夫そうだけど……。

「いえ、お嬢様にとって徒歩での旅は初めてのこと。今日は宿を取りましょう」

「アーシェがそう言うのであれば、そうしましょう」

 私は素人だし、場合によっては私以上に私のことを把握しているアーシェの言葉。

 反対する理由はなく町へと向かうと、私たちの姿を認めた門の兵士が大きく目を見開いた。

「ルミエーラ姫――!? と、シルヴィ様!」

 まさか私たちが来るとは思ってもいなかったのか、固まってしまう兵士たち。

 そんな彼らにお姉様が「ご苦労」と軽く手を上げて挨拶し、私も微笑みかけて門を通る。

 何か手続きが必要かと思ったんだけど……領主一族にそれはないか。慌てて敬礼してるし。

「むぅ、お嬢様たちに対して敬意が足りませんね。兵士の質が低いのでしょうか?」

 そんな対応にアーシェは少し不満そうだけど、お姉様は気にした様子もなく笑う。

「ははっ、そう言ってやるな。私たちが歩いてくるなど、想定していないさ。少し待てばそれなりに大袈裟な対応をしてくれるだろうが、ルミ、それを望むか?」

「いえ、こちらの方が気楽ですね。普段の町の様子が見られますし。でも少し予想外です」

 率直に言って当家の図書迷宮ライブラリは人気がない。そんな場所にある宿場町だけに、長閑のどかな町を想像していたのだけど、目の前の光景はその予想を裏切り、ごみごみと建物が密集していた。

「ここまで二階建て、三階建ての家が多いのは意外です。スラグハート以上ですね」

「元々この場所は、図書迷宮ライブラリに入る前のキャンプ地だったから、土地が少ないんだ。ご先祖様が壁を造ったことで安全を求めた人が集まり、このような町になったらしい」

「そうだったんですか。でも、仕事はどうしているんでしょう?」

 ここで得られる魔法は《強化》。人の能力を一時的に一割ほど上げられる魔法である。

 たかが一割。されど一割。仕事の効率が一割上がれば、収入も一割増えるわけで。

 実際にはそう単純でないにしても、覚えていれば確実に便利。お父様が図書迷宮ライブラリを自由に解放していることもあり、魔導書グリモアを得た領民はここに来ることがお決まりとなっているらしい。

 しかし、汎用性の高い《強化》の魔法も、外に目を向けると少し事情が変わる。

 この魔法は見方によってはとても地味であり、見栄えを重視する貴族にはあまり好まれない。

 逆に興味を持ちそうな平民は、余所よその領地にある図書迷宮ライブラリまで旅をする余裕がない。

 結果としてこの宿場町の商売相手は、非常に限られる――はずなんだけど。

「主な産業は宿ではなく、狩猟らしいぞ? ここは安全なキャンプ地として使えるからな」

「……あぁ。ここの周辺は自然豊かでしたね」

 町として開拓したわけではないので、この周辺は拓けていない――というか、森の中。

 門を出ればすぐに狩り場という状況だし、万が一、危険な獣や魔物に追いかけられたとしても、ここまで逃げてくれば堅牢な壁の中に避難でき、兵士にも助けてもらえる。

「そう考えると、猟師をやるにはかなり良い場所? 実は宿場町じゃなく猟師町、と」

「お嬢様、猟師以外にも、腕っ節で名を挙げようと考えている人などが、ここで鍛えたりするそうですよ? 少し足を延ばせば魔物もいますし、必要な物はここで補給できますから」

「それは、いわゆる傭兵とか? ウチでは雇ってないけど、そういうお仕事もあるんだよね」

 幸い私には縁がなかったけど、前世でも傭兵や民間軍事会社は存在したし、お仕事で危険な場所に出張する人なんかは、お世話になることもあると聞いた。

 こちらでは魔物や盗賊などのリスクがより身近なだけに、需要も多いだろう。

「ありますね。腕っ節に自信がある自惚れ屋か、何の取り柄もない人が就く職業です」

「……なんか辛辣だね? 悪意が籠もってない?」

 需要があるということは、必要な職業なんだと思うけど……。

 大丈夫? さっきの話からして、周囲にはその『自惚れ屋』がいる可能性があるんだよね?

「事実ですから。腕っ節に自信があれば兵士になって上を目指せば良いのに、あえて野垂れ死ぬ危険性の高い傭兵を選ぶなど、現実を見ていない夢見がちな愚か者がやることです」

 何か嫌な思い出でもあるのか、アーシェの言葉がトゲトゲである。

「で、でも、人に使われたくないとか、そういう人もいるかも?」

 起業家的に。しかしそんな私の反論も、アーシェには鼻で笑われた。

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