第一章「呱呱」 第09話
「む。なぜだ?」
アーシェに言葉を遮られ、お姉様は不満げに少し鋭い視線をアーシェに向けるが、彼女は怯むこともなく、むしろ呆れたようにお姉様を見返してため息をつく。
「なぜって……シルヴィ様、もうすぐ学校が再開されるじゃありませんか」
普段は王都で学校に通っているお姉様が今、実家にいるのは、成人の儀式前後に設けられている学校の休業期間だから。学校が再開されれば、お姉様は再び王都に赴くことになる。
アーシェに指摘されるまでもなく、お姉様も忘れてはいないはずだが、それでも不満そうに口を尖らせ、抗議するように私を抱きしめる腕に力を込める。
「まだ日はあるじゃないか。それにルミのためなら、学校など辞めてしまっても――」
「それはダメですよ、お姉様。学校を卒業できることは、一応貴族の誇りなんですから」
それをふいにするなんてとんでもない、と止める私を見て、お姉様は失笑する。
「ふふっ。一応と言っているあたり、ルミの本音が出ているではないか」
「うっ……」
王都にある王立学校は貴族専用であり、学費は高く、入試も存在する。そのため、学校を卒業した人は貴族社会で一目置かれるんだけど……その価値があるかどうかは、疑問なんだよねぇ。
だって、寄付金の
けれど、そんな張りぼてでも価値を持ってしまうのが貴族社会。
逆に言うなら、退学してしまうと汚点になってしまうわけで。
「でも、お姉様は特待生ですから……」
「所詮は勝手に与えられた資格でしかないがな。たまたま高ランクの
「確か
「あぁ、こちらの事情もお構いなく、な。それでいて断れば――」
「上から目線で『選んでやったのに無礼だ』とか、難癖を付けてきますよね、絶対」
「あぁ、絶対にな。こちらは頼んでもいないのに、何様のつもりなのか!」
「面倒ですよね、貴族って」
「まったくだ。
「人脈作り以外の価値があるんですか? あの学校に」
「ない。鍛えたいなら、ウチの騎士団に入る方が余程良いし、学業の内容もさほど高度ではない。休業も多く、その間はお茶会やら、ダンスパーティーやら……本当に貴族は……」
ため息と共に貴族をディスり、二人して盛り上がる私とお姉様。
アーシェはそんな私たちに呆れ気味の視線を向け、「お二人とも、その貴族なんですけどね。しかも、かなり高位の」とか呟いているけれど、それはそれ、これはこれ、なのだ。
そもそも私、あんまり貴族って自覚がないし。
「とにかく、私はルミと一緒に
少し真面目な表情で付け加えられたお姉様の言葉で、アーシェも眉をひそめる。
「……そういえば、そろそろ魔物が氾濫してもおかしくない時期ですね」
それは数年ごとに起こる、魔物が大量発生する事象。
堅牢な防壁のおかげで町の中は安全だが、街道を移動するときの危険性は格段に高まる。
シンクハルト家が管理する
「私もお姉様が一緒に来てくださるなら、安心ではあります」
「むぅ、お嬢様がそう言うのであれば、私は何も言えませんが……でも、シルヴィ様。旦那様の許可や他のメイドへの説明はお願いしますね? 私が文句を言われるのは嫌ですよ?」
私の言葉でアーシェは諦めたようにため息をつき、お姉様は笑顔で頷く。
「もちろんだ! 予定はどうする? 明日からで良いか?」
「いえ、準備が必要ですし、さすがにそれは……。私も防具が必要ですよね?」
お姉様が
そう言う私に、しかしお姉様は不思議そうに小首を傾げる。
「うん? 必要ないだろう? ルミの外出用ドレスは下手な鎧よりも防御力があるんだから」
「……え? 何ですか、それ。初耳なんですけど」
「知らなかったのか? ルミは結構活発に出歩くからな。お父様たちが安全性を考えて、
「気付きませんでした。それでは、かなりお金が掛かっているのでは……?」
見た目が綺麗で肌触りも良いので、高品質の布を使っていることは理解していたけれど、それに加えて防刃性能まで有しているとなれば……値段を聞くのがちょっと怖いかもしれない。
「安くはないですが、他の貴族のお嬢様方と比べると、衣装代は少ない方だと思いますよ? お嬢様は服を使い捨てにされませんし、無駄に高価な装飾品も着けませんから」
「それはそうだよ。お母様が作ってくれた大事な――あぁ、それもあるのか」
私のドレスを作るのはお母様の趣味。一人で一から一〇まで作るわけではないけれど、私の持っているドレスの多くは、かなりの部分にお母様の手が入っている。
その分、仕立代は節約できるし、あまり成長しない私は、背が伸びて服が着られなくなることもない。更にアーシェの《清浄》もあるので、服は非常に長持ちするのだ。
「そもそもルミの衣装代は、ルミがそれを着ることで十分に元が取れる。気にする必要はないぞ」
「元が取れる……? あぁ、宣伝費とか、そういう感じでしょうか?」
前世では自社製品を無料で有名人に提供し、それを宣伝に使う企業は一般的だった。
それと同様に考えれば、私を使った宣伝はシンクハルト領で非常に効果が高い。
私の服作りはお母様主体だけど、それに協力した仕立屋という看板は、それなりに重いのかも?
「ちなみにですが、私のメイド服も同じ素材だったりします」
「あ、そうだったんだ。なら、ちょっと安心だね」
普段の様子からはあまりそうは感じないけれど、アーシェの本来の役目は私の護衛。
考えたくはないけど、万が一の場合には、身を挺してでも私を守ることになるわけで……。
「それじゃ、本当に準備はあまり要らない感じなのかな?」
「はい。食料など、他に必要な物は私が用意致しますので、お嬢様の心構えさえあれば明日でも」
「どうだ? ルミ、行けそうか?」
やや心配そうに確認するお姉様の言葉の裏に、私への気遣いが感じ取れる。
それはおそらく、結果次第で私の望みが潰え、厳しい現実を目の当たりにすることになるから。
しかし私はそれも呑み込んだ上で、「もちろんです」と深く頷いた。
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