第一章「呱呱」 第06話

 アーシェが人差し指を立ててドヤ顔で話し始めるが、それを遮るようにノックの音が響く。

 一転、不満顔になった彼女に私は小さく失笑、「どうぞ」と応えると扉が開き、そこから顔を覗かせたのは私の二つ年上の姉、シルヴィ・シンクハルトだった。

 日課の剣の修行を終え、湯浴みをしてきたのだろう。その顔は火照りを帯び、まだ湿り気の残る髪はポニーテールに纏められてスポーツ少女っぽく、可愛さと凜々しさが同居している。

 身長はアーシェよりも高い一七〇センチ前後。私と並ぶと大人と子供ほどの差があるけれど、いつも私を可愛がってくれる素敵なお姉様である。

「――っ、おはよう、ルミ。調子はどうだ?」

 魔導書グリモアを持ってベッドに座る私を見て、お姉様は一瞬動きを止めるが、すぐに笑みを浮かべて私の隣に腰を下ろし、私をひょいと抱え上げて自分の膝の上に座らせた。

「はい。体調は問題ありません」

「体調は、か。やはり、魔導書グリモアのことがショックだったか?」

 私の顔を覗き込んで尋ねるお姉様に、私は曖昧に頷く。

 魔法が使えないことが残念なのは当然だけど、それによってシンクハルト家への恩返しがやりにくくなったことが一番のショック。ただ、この目的は両親にも、お姉様にも言ってはいない。

 アーシェだけは知っているけれど、きちんと口止めはしているから――

「お嬢様はシルヴィ様の〝貴族の義務〟を代行したかったようです」

 ぺろっとあっさり漏らされた。

「アーシェ、なんで言うの!?」

 私が思わず声を上げるとアーシェはスッと目を逸らし、お姉様は驚いたように私を見る。

「そうなのか? ルミ」

「えっと……はい。そうできれば、と」

 貴族の義務。それは王国から、すべての貴族家に対して課せられる義務。

 ちなみに、すべての貴族家であり、すべての貴族でないところがミソ。

 具体的に言うなら、襲爵ごとに一度――つまり、代が変わるごとに一族の誰かが義務を果たさなければ、爵位の継承が認められないという決まりとなっている。

 義務の内容は『王国に一定以上の貢献をすること』という結構曖昧なもので、一般的には前線で一定期間軍務に付くことが推奨されるが、それ以外の功績や金品などでも代替可能。

 なので、お金がある家は金銭で賄ったり、そうでない貴族は傍流の子供や適当な人物を養子として、実子の代わりに軍務に送り出すことも行われていたりする。

 当家なら私が行くのが順当だけど、お父様たちはまずそんなことを要求しないし、戦いが苦手な私が行くと言っても認めないだろう。ましてや、魔法が使えないなら尚更だ。

 だからこそ、別の手段で功績を挙げたかったのだけど……魔導書グリモアがこれ。

 どうしたらよいのかとため息をつく私とは裏腹に、お姉様は少し困ったように笑う。

「ルミ、ウチに関して言えば、貴族の義務はあまり関係ないぞ?」

「……そうなんですか?」

「うむ。本来の貴族の義務は、魔物をたおすことだ。軍務に就くのはそのためであり、どこに配属されるかは王宮次第だが、一般的には一番危険な最前線――つまり、当家のような領地となる」

「えっ……?」

 シンクハルト領って、思った以上に修羅の国だった……?

 危険な場所に強制赴任させられるイメージだったけど、その『危険な場所』って、ここ?

「基本的に配属先の希望は通らないが、例外的に危険な場所への志願であれば、それはほぼ間違いなく通る。――逆に安全な場所を望むなら、色々と小細工が必要みたいだが」

 お姉様は肩をすくめ、苦々しげに言葉を付け加える。

 その表情の理由は、王宮の腐敗や貴族の怠慢への憂慮か。

 しかし、今の私はそれを気にするよりも先に、予想外の情報に混乱をきたしていた。

「えっと、つまり……私たちにとって貴族の義務は、お父様やお姉様が日常的に行っている魔物の討伐や領地の防衛にすぎないってことですか?」

「そういうことだな。危険がないとは言わないが、領地貴族にとっては当然の行為だな」

「……ねぇ? アーシェは知ってた?」

 恐る恐る確認するように尋ねると、アーシェはとてもあっさり頷く。

「はい、知ってました」

「言ってよ!? 知ってたなら!」

「いえ、お嬢様のやる気がアップするなら、別に良いかなぁ、って」

 うっ。確かに恩返ししたいという思いがあったから、頑張れたことは否定しないけどっ!

「なんか、釈然としない……。アーシェは勝手に喋っちゃうし?」

 私は非難の視線をアーシェに向けるが、彼女はしれっとした顔で、むしろ堂々と口を開く。

「私はたとえナイフで脅されようとも、みだりにお嬢様の秘密を漏らすことはありません」

 滅茶苦茶あっさり漏らされたんだが?

「……つまり?」

「私にとって最も大切なのはお嬢様です。御身を守るためであれば、お嬢様との約束を破るという苦渋の決断をすることはもちろん、お嬢様の足を舐めることすらいといません!」

「前者ともかく、後者は厭え。――というか、なんで私? そこは敵じゃないの?」

「誰とも知れぬオッサンの足を舐めるのはちょっと……。そんなことをするぐらいなら、私は命懸けで三本目の足を噛み千切ってやりますよ?」

「…………」

 その篤い忠誠に感動すれば良いのか、敵がオッサンとは限らないと言えば良いのか、それとも微妙に下品な発言を注意すれば良いのか。

 言葉に迷い沈黙する私にアーシェは真面目に続ける。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る