第一章「呱呱」 第05話

 私は小さくため息をつくと、彼女の顎に手を添えてゆっくりと顔を寄せていく。

 だがアーシェとしては、私のそんな行動は予想外だったらしい。

 大きく目を見開き、焦ったように両手をわたわた。

「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと、待ってくだ――!?」

「待、た、な、い」

 私がニヤリと笑って更に顔を近付けると、アーシェは慌てて私の手から抜け出して距離を取る。

「じょ、冗談ですよ!? ほ、本気にするなんて、お、大人げないですよ?」

「ふふっ、大人だからだよ」

 自分の胸を押さえて頬を染めるアーシェに、私は小さく笑う。

 こちとら前世を含めれば、アーシェの数倍は生きているのだ。

 男相手ならまだしも、同性にキスの真似事をしたぐらいで照れたりするはずもない。

「……もぅ。お嬢様はすぐにそうやって、私を弄ぶんですから。悪女ですか?」

「悪女じゃないけど、人生経験は豊富だよ? そのことは知ってるでしょ?」

 そう。実はアーシェ、私に前世の記憶があることを知っている。

 当初こそ秘密にしていたものの、四六時中一緒にいる彼女に隠し続けることは、さすがに不利益の方が多いと判断、事情を説明した上で秘密にしてもらっているのだ。

「お母様たちにも話してないんだから、私にとってアーシェが特別なのは間違いないかな」

「そう言われると、悪い気はしませんね。ふふん、それじゃ見せてあげます。――顕現」

 満更でもなさそうなアーシェの宣言に応え、橙色オレンジ魔導書グリモアが表れる。

 ふわりとアーシェの手の上に浮かび、わずかな光を放つそれはとても幻想的だけど――。

「むむっ、装丁は私の方が豪華に見えるのに……。ページ数は二九だっけ?」

「はい。あと二ページ多ければ赤色レッドになったんですが……残念です」

 私の魔導書グリモアをチラリと見て、アーシェはわざとらしくため息をつく。

「はっはっは、よくぞ言った! ゼロページの私の前で!! 私に分けろ~」

 乾いた笑いと共にアーシェの魔導書グリモアに手を伸ばすが、残念ながら他人の魔導書グリモアには触れられない。

 私の手は宙に浮かぶそれを突き抜け、その奥にあったアーシェの豊満な胸を鷲づかみにする。

「ちょ、ちょっと、お嬢様、分けられませんって! も、魔導書のページも!」

は要らないけど、魔導書グリモアのページは欲しい! ――もみもみもみ」

「言行不一致じゃないですか!? 私のを揉んでもお嬢様のは増えませんよ!?」

 胸と背丈はなくとも今の身体は気に入っているので、欲しいと思っていないのは嘘じゃない。

 でもそれはそれとして、柔らかなお胸は触り心地が良い。

「もみもみ。なんか、癒やされる」

「お嬢様、そ、そんな、激しく――んんっ」

 一頻ひとしきり柔らかさを堪能し、アーシェが微妙に艶めかしい声を漏らしたところで私は手を引く。

「ふぅ。すっきり」

「はぁはぁ……。もー、『すっきり』じゃないですよ。私が目覚めちゃったらどうしてくれるんですか? 責任取ってくれるんですか? ただでさえお嬢様は可愛すぎて危険だってのに!」

 少し赤らんだ顔で胸を押さえ、潤んだ瞳で私を見るアーシェ。

 そんな表情をされると、私の方が目覚めそうだからやめてほしい――原因は私だけどね?

「私悪くない。煽るようなことを言うアーシェが悪い。良い魔導書を授かっておきながら!」

「良いと言っても、八段階の内の五番目ですけどね」

「でも大半の人は黄色イエロー以下じゃない。知ってるでしょ?」

 魔導書グリモアのランクは上から紺色ネイビー青色ブルー紅色カーマイン赤色レッド橙色オレンジ黄色イエロー白色ホワイト灰色グレーに分けられる。

 ただし、表紙の色味は個人差が大きく、色による分類は便宜的なもの。

 より重要なのはページ数で、二〇ページ以下が黄色イエローとされているのだが、実際の平均値は一〇ページ前後であり、アーシェの二九ページはかなり優秀な部類なのだ。

「紫色が見えた時は、期待したんだけどなぁ。青色ブルー紅色カーマインの間ぐらいかなって。ねぇ、実は私、まだ未成年だったりしない? だからページがないとか……ないかな?」

 私の年齢一五歳は公称設定。拾われた私の正確な年齢は誰も知らない。

 ちゃんとした魔導書グリモアを授かれなかったのはそのせいかも、と儚い希望を口にしてみるけど、それに対するアーシェの反応はやや困ったような微笑みだった。

「それはないと思いますよ。未成年の場合は、そもそも祝福が与えられないそうですし」

 神様から授けられる魔導書グリモアはすべての人に対する祝福であり、孤児であってもそれは同じ。

 その中には年齢不詳の子もいるわけで、発育の早い子が成人前に儀式に挑む事例も当然あった。

「つまり、祝福を授かった私は、少なくとも成人以上の年齢、と」

「だと思います。でも、お嬢様の魔導書グリモア灰色グレー以下というのは、普通に考えてあり得ないんですよねぇ。魔導書グリモアの外観的にも、お嬢様のこれまでの行動的にも」

「……そうなの? 私、お祈りはしてても、そこまで信仰心に篤いわけじゃないよ?」

 だから神様に嫌われちゃったのかも、と考えていたのだけど、アーシェはそれを笑い飛ばした。

「そんなの、大半の人がそうですよ。欠かさず祈るだけでも立派です。そもそも本当に神様の不興を買ったのであれば、少なくとも灰色グレー魔導書グリモアより見窄らしい装丁になるはずですから」

灰色グレー魔導書グリモアって、私は見たことはないんだけど、そんな感じなの?」

「私も成人の儀式で見ただけですが、表紙の色はくすんだ灰色、装丁も簡素でした。対してお嬢様の魔導書グリモアの装丁は上品で精緻、表紙も凄く綺麗な色をしています」

「うん。ページがないこと以外は、私も気に入ってる」

「なので、私の予想としては――」

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