第一章「呱呱」 第04話
「ん……」
微かに目を開けると、視界に入ったのは私に覆い被さるような黒い影。
でも、どこか安心できるその気配に、私は小さく呟く。
「……アーシェ?」
「はい。お目覚めですか? お嬢様が誰よりも愛するアーシェですよ」
「あぁ、その軽口は間違いなくアーシェだね」
軽く目を
四六時中一緒にいる彼女は、ある意味で家族よりも近しい関係だし、もちろん親愛もあるけれど、『誰よりも愛する』はさすがに大袈裟。いうなれば……一番の親友かな?
――私を見るアーシェの目が時に怪しく見えるのは、きっと気のせい。
「ここは……私の部屋? えっと……」
身体を起こして見回せば、目に入るのは見慣れた自分の部屋。
とても安心できるその空気に、私はホッと息を吐く。
「……そっか。あれは夢だったんだ」
「いいえ、お嬢様。お嬢様は間違いなく成人の儀式を受けて、盛大に失敗されましたよ?」
「ぐはっ! ひ、酷い……」
さすがは専属メイド。
「ついでに言えば、成人の儀式があったのは何日も前のこと。私たちは儀式の翌日には王都を離れ、昨日スラグハートに戻ってきたところですね」
「げふっ! ぐぬぬぅ……そんな、詳細に話さなくてもぉ……」
突き刺さる言葉の痛みに、私は胸を押さえて
「お嬢様が間違っていれば正すのが、私の仕事ですから」
「ありがとう、いつも助かってる! ……でも、たまには現実逃避もしたくなるよね?」
具体的には赤ん坊なのに森に捨てられたときとか、一〇年間の努力が無駄になったときとか!
「ぐぬぬ、こんなはずでは……。将来設計が狂いまくり」
魔法の素質は
でも! ゼロというのは、さすがに予想外すぎるよ!!
もしかして、私が前世の記憶持ち――転生者であることが影響してたりする?
だとしたら、絶望なんですけど。努力でなんとかできることじゃないし。
前世の社会人時代に鍛えた忍耐力と、そこで得た知識や経験は今世でも生きているけど、その代償がこれというのなら、さすがに釣り合いが取れてない気がするよ……。
「……はぁ。取りあえず、起きようか」
「お手伝い致します」
凹んでいたところで、物事は一ミリだって進まない。
私がベッドから起き出すと、アーシェが着替えを用意してテキパキと私に着せていく。
別に一人でも着られるんだけど、それがアーシェの仕事だし、手伝ってもらった方が楽なので、拒否はしない。私の普段着、なんというか……フリフリのドレスだから。
それに合わせて髪もアレンジすることになるので、実際、結構な手間である。
「いつもありがとね、アーシェ」
「いえ、私も好きでやってますから。さすがに奥様のような洋裁技術はありませんが」
「お母様、自作のドレスで子供を着飾らせるのが夢だったみたいだからねぇ。お姉様が生まれる前からデザインを考えて、腕を磨いていたみたいだけど……」
しかし残念ながら、お姉様でそれを楽しめたのはわずかな期間だけ。両親に似たお姉様はすくすくと身長を伸ばし、お父様の真似をして剣を振る、凜々しい女の子になってしまった。
必然、いつまでも背の低い私は、お母様の格好の標的になるわけで。
ついでに言うと、この趣味はお姉様も引き継いでいたりするわけで。
さながらお人形遊びのように、二人して普段から私に可愛い服を着せて楽しんでいる。
「まぁ、楽だから良いんだけどね」
正直に言えば、前世での私は、自分を着飾ることを面倒臭いと思うタイプの人間だった。
可愛い服は好きだし、たまにはお洒落もしたけれど、毎日喜んでやろうと思うほどではない。
そんな私からすれば、全部任せておけば可愛く整えてくれて、アーシェやお母様たちも喜んでくれるこの人生に、文句などあろうはずもない。
私に必要だったのは、ドレス姿でも支障なく活動できる技術を身に付けることだけ。
自分で言うのもなんだけど、素材だけは良いみたいだから、可愛い服が似合わなくて見苦しいってことはない――というか、かなり似合うみたいだし?
「はい、お嬢様、できましたよ」
「ありがと。それじゃ、現実を見ますか。――顕現」
私はベッドに腰を下ろし、右手を前に出して小さく呟く。
やり方は授かった時に自然と理解した。
ただそれだけで、あの時に見た不思議な雰囲気を持つ本が出現する。
表紙の紫色は重厚さと共に気品を感じさせ、立派な装丁は心躍るほどに素敵なデザイン。
「ほほぅ、これがお嬢様の
「うん、見た目はね。でも、中身は……やっぱり、ないよね」
儀式の後、
「本当に表紙だけですね。空きページはもちろん、初期魔法もなしですか」
「信じられない――いや、信じたくないことにね」
成人の儀式で授けられる
前者は本人の素養に応じて神様が与えてくれる魔法であり、後者が今後覚えられる魔法の余地。
初期魔法が多ければ成人直後から魔法を活用でき、空きが多ければ方向性の自由度が高まる。
私としては『できれば、空きが多い方が良いかも?』とか思っていたけれど……うぅ。
「空きページとか、以前の問題になるとは……ねぇ、アーシェの
「えー、
「はいはい。特別、特別。わー、嬉しい」
無駄にもったいぶるアーシェを適当にあしらいつつ促せば、彼女は不満そうに口を尖らせる。
「お嬢様が連れない。これはもう、見せるためには対価が必要ですね!」
なんか、面倒臭いことを言い出した。
「お給料アップなら――」
「いえ、お給料は十分に。ただ、お嬢様にとって私が特別なことを示して頂ければ!」
「……具体的には?」
ジト目で尋ねる私に、アーシェは自分の唇を指さす。
「やだなぁ、お嬢様。特別と言えば決まってるじゃないですか。さぁ、ここに!」
「アーシェ……。はぁ、仕方ないなぁ」
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