第一章「呱呱」 第04話

 まぶた越しの柔らかな光と、ほほを撫でる温かな手を感じ、私の意識が浮上する。

「ん……」

 微かに目を開けると、視界に入ったのは私に覆い被さるような黒い影。

 でも、どこか安心できるその気配に、私は小さく呟く。

「……アーシェ?」

「はい。お目覚めですか? お嬢様が誰よりも愛するアーシェですよ」

「あぁ、その軽口は間違いなくアーシェだね」

 軽く目をこすり、改めて瞼を開けば、そこにいたのはやっぱり私専属のメイドさん。

 四六時中一緒にいる彼女は、ある意味で家族よりも近しい関係だし、もちろん親愛もあるけれど、『誰よりも愛する』はさすがに大袈裟。いうなれば……一番の親友かな?

 ――私を見るアーシェの目が時に怪しく見えるのは、きっと気のせい。

「ここは……私の部屋? えっと……」

 身体を起こして見回せば、目に入るのは見慣れた自分の部屋。

 とても安心できるその空気に、私はホッと息を吐く。

「……そっか。あれは夢だったんだ」

「いいえ、お嬢様。お嬢様は間違いなく成人の儀式を受けて、盛大に失敗されましたよ?」

「ぐはっ! ひ、酷い……」

 さすがは専属メイド。かすかな希望にすがった私に、ずどーんと指を突き付けて宣言する。

「ついでに言えば、成人の儀式があったのは何日も前のこと。私たちは儀式の翌日には王都を離れ、昨日スラグハートに戻ってきたところですね」

「げふっ! ぐぬぬぅ……そんな、詳細に話さなくてもぉ……」

 突き刺さる言葉の痛みに、私は胸を押さえてうめくが、彼女は「ふっ」と笑って肩をすくめる。

「お嬢様が間違っていれば正すのが、私の仕事ですから」

「ありがとう、いつも助かってる! ……でも、たまには現実逃避もしたくなるよね?」

 具体的には赤ん坊なのに森に捨てられたときとか、一〇年間の努力が無駄になったときとか!

「ぐぬぬ、こんなはずでは……。将来設計が狂いまくり」

 魔法の素質は魔導書グリモアのページ数に比例する。幼い頃とは違って魔導書グリモアがすべてとは思っていないし、仮に使える魔法が少なかったとしても、そこは努力でカバーするつもりだった。

 でも! ゼロというのは、さすがに予想外すぎるよ!!

 もしかして、私が前世の記憶持ち――転生者であることが影響してたりする?

 だとしたら、絶望なんですけど。努力でなんとかできることじゃないし。

 前世の社会人時代に鍛えた忍耐力と、そこで得た知識や経験は今世でも生きているけど、その代償がこれというのなら、さすがに釣り合いが取れてない気がするよ……。

「……はぁ。取りあえず、起きようか」

「お手伝い致します」

 凹んでいたところで、物事は一ミリだって進まない。

 私がベッドから起き出すと、アーシェが着替えを用意してテキパキと私に着せていく。

 別に一人でも着られるんだけど、それがアーシェの仕事だし、手伝ってもらった方が楽なので、拒否はしない。私の普段着、なんというか……フリフリのドレスだから。

 それに合わせて髪もアレンジすることになるので、実際、結構な手間である。

「いつもありがとね、アーシェ」

「いえ、私も好きでやってますから。さすがに奥様のような洋裁技術はありませんが」

「お母様、自作のドレスで子供を着飾らせるのが夢だったみたいだからねぇ。お姉様が生まれる前からデザインを考えて、腕を磨いていたみたいだけど……」

 しかし残念ながら、お姉様でそれを楽しめたのはわずかな期間だけ。両親に似たお姉様はすくすくと身長を伸ばし、お父様の真似をして剣を振る、凜々しい女の子になってしまった。

 必然、いつまでも背の低い私は、お母様の格好の標的になるわけで。

 ついでに言うと、この趣味はお姉様も引き継いでいたりするわけで。

 さながらお人形遊びのように、二人して普段から私に可愛い服を着せて楽しんでいる。

「まぁ、楽だから良いんだけどね」

 正直に言えば、前世での私は、自分を着飾ることを面倒臭いと思うタイプの人間だった。

 可愛い服は好きだし、たまにはお洒落もしたけれど、毎日喜んでやろうと思うほどではない。

 そんな私からすれば、全部任せておけば可愛く整えてくれて、アーシェやお母様たちも喜んでくれるこの人生に、文句などあろうはずもない。

 私に必要だったのは、ドレス姿でも支障なく活動できる技術を身に付けることだけ。

 自分で言うのもなんだけど、素材だけは良いみたいだから、可愛い服が似合わなくて見苦しいってことはない――というか、かなり似合うみたいだし?

「はい、お嬢様、できましたよ」

「ありがと。それじゃ、現実を見ますか。――顕現」

 私はベッドに腰を下ろし、右手を前に出して小さく呟く。

 やり方は授かった時に自然と理解した。

 ただそれだけで、あの時に見た不思議な雰囲気を持つ本が出現する。

 表紙の紫色は重厚さと共に気品を感じさせ、立派な装丁は心躍るほどに素敵なデザイン。

 魔導書グリモアは実際のページ数が外観に影響しないことも相まって、閉じた状態では私の魔導書グリモアも普通の魔導書グリモアと同様に――それこそ、数百ページはありそうに見える。

「ほほぅ、これがお嬢様の魔導書グリモア。初めて拝見しましたが、とても綺麗ですね」

「うん、見た目はね。でも、中身は……やっぱり、ないよね」

 儀式の後、魔導書グリモアを開くのはこれが初めて。『あれは何かの見間違いだったのでは?』なんて微かな希望に縋ってみたけれど、やっぱりそこには何もなし。見事なまでに虚無である。

「本当に表紙だけですね。空きページはもちろん、初期魔法もなしですか」

「信じられない――いや、信じたくないことにね」

 成人の儀式で授けられる魔導書グリモアは通常、初期魔法のページと空きページで構成される。

 前者は本人の素養に応じて神様が与えてくれる魔法であり、後者が今後覚えられる魔法の余地。

 初期魔法が多ければ成人直後から魔法を活用でき、空きが多ければ方向性の自由度が高まる。

 私としては『できれば、空きが多い方が良いかも?』とか思っていたけれど……うぅ。

「空きページとか、以前の問題になるとは……ねぇ、アーシェの魔導書グリモアも見せて?」

「えー、魔導書グリモアはあんまり人に見せる物じゃないんですけど……お嬢様だけ、特別ですよ?」

「はいはい。特別、特別。わー、嬉しい」

 魔導書グリモアを見れば魔法の素質が判るし、中身を見れば使える魔法も判る。だから『人に見せる物じゃない』というのは本当だけど、私は既に何度もアーシェの魔導書グリモアを見ているわけで。

 無駄にもったいぶるアーシェを適当にあしらいつつ促せば、彼女は不満そうに口を尖らせる。

「お嬢様が連れない。これはもう、見せるためには対価が必要ですね!」

 なんか、面倒臭いことを言い出した。

「お給料アップなら――」

「いえ、お給料は十分に。ただ、お嬢様にとって私が特別なことを示して頂ければ!」

「……具体的には?」

 ジト目で尋ねる私に、アーシェは自分の唇を指さす。

「やだなぁ、お嬢様。特別と言えば決まってるじゃないですか。さぁ、ここに!」

「アーシェ……。はぁ、仕方ないなぁ」

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