第一章 呱呱

第一章「呱呱」 第01話

 今世での記憶の始まりは、赤ん坊の泣き声だった。

 ぼやけた視界の中、甲高く響く声は動物の鳴き声にも似ている。

 ――いったい、どこから聞こえてくるのかな?

 そう考えた直後、それが自分から発せられていたことに気付いて驚愕し、バタバタと動かした手脚が赤ん坊の物だったことに再度驚き、私が自我を持っていることに三度みたびびっくり。

 唖然とすると同時に押し寄せる、怒濤のような前世の記憶。

 私はその奔流に弄ばれつつ、内心『ふむ』と頷く。

 ――そっか。これが生まれ変わり。いわゆる転生。……なるほど?

 …………。

 ………………あるよね~、そういうこと!

 私はさらりと現実逃避、気持ちを落ち着かせようと周囲を観察する。

 目に映るのは緑色。香るのはせるような草木の匂い。聞こえるのは梢を揺らす風の音。

 察するにここは……森の中?

 視界がぼやけているのは、たぶん赤ん坊だから。つまり、今の私は生後一年未満。

 更には、私の呼び掛け泣き声に応えてくれる保護者はなし、と。

 ……え? これ、詰んでない? 私、捨てられちゃった?

 誕生というリスタートを切ったと思ったら、いきなり死亡というゴール目前。

 今回の人生は、短距離コースですか?

 そのまま森の動物たちに、フルコースをご提供ですか?

 だがしかし、捨てる神あれば、拾う神あり。

 自分の口から無意識に溢れる泣き声が、自然と弱々しくなった頃。

 冷え切った身体が柔らかく温かな感触に包まれ、私は安堵と共に眠りにいた。


    ◇    ◇    ◇


 あれから十余年。ルミエーラ・シンクハルト、一五歳。今日も元気に生きています。

 あの時、森に打ち捨てられていた私の人生は、すんでの所で拾い上げられた。

 お母様である、カティア・シンクハルト辺境伯夫人の手によって。

 ――そう、お母様。何の因果か今の私、『姫様』とか呼ばれちゃう立場なのです。

 もしかして、捨てられたというのは私の勘違いで、元々お母様の子供だった?

 なんて考えたこともあるけれど、あの森の記憶は今も鮮明だし、凄く優しいお母様が自分の子供を森に放置するなんて絶対にあり得ない。わずかな可能性として『赤ん坊の時に誘拐されて、森に捨てられた』なんてことも考えたけれど、諸々の状況からこれもないと却下した。

 つまり、私が拾われっ子で、お母様の実子でないことは、ほぼ確定。

 そんな子供を貴族として受け入れて大丈夫なのかという心配はあるけれど、その恩恵を受けているのが自分である以上、文句などあろうはずがない。私、利己的なので!

 わーい、やったね! 人生終了間近から勝ち組貴族への昇格プロモーション。今世では楽ができるかも?

 ――などと、喜んでいられたのは数年間だった。

 言葉を覚え、この世界のことを知るにつれ、私は普遍の真理を思い知らされることになる。

 そう。『世の中、そんなに甘くないぞ?』という真理を。


 私が生まれ落ちたこの世界。

 今を以て薄れる気配もない前世の記憶を基に考えるなら、明らかに別世界だった。

 それは貴族制が残っているとか、科学が未発達とか、単純な時世的なものではない。

 人の生存を脅かす、魔物という脅威。

 それに対抗するように、神様から与えられた魔導書グリモアという奇跡。

 この世界の人々はその魔導書グリモアによって魔法を行使し、貴族は魔物を退ける義務を負う。

 私が生まれたのはそんなファンタジーな、しかし今の私にはリアルで危険な世界だった。

 更に言えば、私が拾われたシンクハルト家の領地は、そんな現実の最前線。

 グラーヴェ王国という国の南端、魔物が多く生息する〝魔境〟に隣接して存在し、王国への魔物の侵入を阻止する防波堤としての役割を担っている貴族の一人だった。

 そんな事実を知ったことで、私の目標は決まった。

 魔物に対抗できるだけの力を身に付ける――つまりは、より良い魔導書グリモアを手に入れる。

 私の命を助けてくれた優しいお母様と、格好いいお父様、私を凄く可愛がってくれるお姉様。

 愛情を注いでくれた、素敵な家族に恩返しをしたいという想い。

 危険が身近な世界で、自分を守れる力を手にしたいという願い。

 それらを叶える現実的な手段として、私は魔法という非現実的な手段を選んだ。

 もっともその頃には私も魔法を目にしていたし、お父様たちが持つ魔導書グリモアも見ていたので、魔法が実在することは理解していたんだけど……なかなか信じられないよねぇ?

 前世の記憶とそこで獲得した常識が、まだまだペルソナの大部分を占めていたわけだし。

 けれど、その常識と目の前の現実との折り合いを付ける理性も、また持ち合わせていたわけで。

 だからこそ私は『より良い魔導書グリモア』を手に入れようとしたわけだけど……ここで問題が一つ。

 ――それって、どうやったら手に入るの?

 あまりにも意味不明な存在である魔導書グリモア。身近な人に訊いてみても、『神様がお決めになることであり、その人に相応しいものが自然と授けられる』ということしか判らない。

 自分で調べようにもインターネットはもちろん、本すら簡単には入手できない状況では、『過去の優れた人物は、優れた魔導書グリモアを持っていた』程度の情報しか得られなかった。

 正直、『優れた魔導書グリモアを持つが故に、名を残せたんじゃ?』とも思ったのだが、他に手掛かりがない現実を前に、私は成人の儀式をゴールと定め、〝優れた人物〟になるべく動き出した。

 最初に始めたのは、魔導書グリモアを授けてくださる知の女神イルティーナ様へ祈ること。

 ――え? いきなり神頼みなのかって?

 言いたいことは解る。でも、神様が実在する世界では信仰心の意味も変わってくるし、真摯に祈るだけなら誰でもできること。少しでも良い影響があるなら、やらない理由なんてないよね?

 当然、自らを高める努力も忘れない。文武両道、それを為してこそ優れた人物だもの。

 ――って、思ったんだけど、残念ながら私に〝武〟の才能はなかった。

 前世では縁がなかっただけに、意欲的に取り組んでみたものの、お姉様と比べて私の上達は明らかに遅く、体格にも恵まれなかったため、〝武〟は程々にして、私は〝文〟に力を入れた。

 幸いこちらの方は、前世の知識というアドバンテージもあって順調だった。

 多くの学問は前世の知識との擦り合わせをする程度で済んだし、貴族の常識や礼儀作法、語学、歴史などに関しては優しいお母様が丁寧に教えてくれた。

 難点は未成熟な身体のせいで夜ふかしができないこと。

 それと、家族が『頑張りすぎだ』と、隙あらば甘やかそうとすることぐらいかな?

 社会人として働いていた記憶を持つ私からすれば、朝から晩まで働くことに違和感はないけれど、年齢を考えれば異常であることも事実なので、家族には適度に甘えて気分をリフレッシュ。

 メリハリを付けて学習に励むことで、幸か不幸か、齢一〇を待たずして領内に師事できる相手がいなくなり、〝文〟を高めるにも限界が見えてしまっていた。

 前世では学ぶ手段はいくらでもあったのに、ここでは本を手に入れることすら一苦労。

 独習するには限界があるし、国の端という土地柄、教師を招くことも難しい。

 ――結構頑張ったし、このぐらいで満足しておくべきかも?

 そんな考えも頭をよぎったけれど、ここで手を緩め、儀式の場で後悔するのは絶対に嫌。

 焦燥感にも似た思いに背中を押され、私が次に取り組んだのは――。


    ◇    ◇    ◇


 私の住むスラグハートの町はシンクハルト領の領都であり、領内唯一の大きな町である。

 分類するならば、一応は城塞都市になるのかな?

 町全体が長大で堅牢な石壁に囲まれていて、魔物の脅威から住人を守っている。

 ただし、町の中に目を向けると、『都市』という言葉に違和感を覚えることになるだろう。

 多少でも都市っぽいのは領主の屋敷がある中心部のみ。大半の場所は草原であり、そこに小さな家と農地が存在するだけの長閑のどかな光景が広がっているから。いうなれば、城塞農村?

 常識的に考えれば、この造りは明らかに非効率であり、コストの掛け方を間違っているのだけど、スラグハートがこんな町になったのには、ご先祖様の強い思いが関係している。

 記録によると、昔の街壁は今よりもずっと貧弱で、多少なりとも守られていたのは町の中心部にあった居住区のみ。町全体を囲んでいたのは木の柵でしかなかった。

 必然的に魔物の侵入を許すことも多く、領民に犠牲が出ることもまた少なくなかった。

 この状況に心を痛めたのが、何代か前のご先祖様だった。

 幼い頃から何度も悲劇を目にしてきた彼は、魔導書グリモアを授かると攻撃魔法の習得はスッパリと諦め、土木工事に適した魔法に全振り。自分の生涯を費やして街壁を完成させたらしい。

 魔物をたおすことだけが、領地を守ることではない。

 前世の記憶を持つ私であればそのことも理解できるけれど、尚武しょうぶの気質が強いシンクハルト家に生まれた一五歳の少年が、戦いを諦める決断をするまでにはどれほどの葛藤があったのか。

 残念ながら、彼の家中での立場や扱いについての記録は残っていなかった。

 でも、私のお父様やお母様のように、優しく理解のある人に囲まれていたと思いたい。

 もっとも、そのご先祖様って、無駄に立派なウチのお屋敷や領境を守る複数の砦も作っているので、実のところ、建築自体が好きだったんじゃないかって気もするんだけどね?

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