あのう、明日でちょうど1週間なんですが愛は枯れていませんか?

仲瀬 充

あのう、明日でちょうど1週間なんですが愛は枯れていませんか?

 暮れなずむ初夏の夕暮れの風に時おりレースのカーテンがゆらぐ。ミツ江さんは小皿のケーキをフォークで口に運んでいる。一人息子の謙介さんが一昨日持って来て冷蔵庫に入れたお見舞いの品だ。ミツ江さんは今日が私の誕生日だと覚えていて一緒に食べるよう勧めてくれた。イチゴがちょこんと上に載っているこれはイチゴのショートケーキで間違いないだろう。私はつい最近まで小さく切り分けたケーキは全てショートケーキと言うのだと思っていた。後輩の若い看護師たちはスイーツや花の名前にやたらと詳しい。というより私がうとすぎるのかもしれない。スポンジケーキとシフォンケーキ、ツツジとサツキの違いもよく分からない。


「ああ美味しかった」

70過ぎのミツ江さんは乳がんの末期でホルモン療法とモルヒネによる緩和ケアを施している。それなのに今日は珍しく食欲が旺盛だった。

「せっかくのお見舞いを私まで頂いて」

「いいのよ、謙介がたくさん買って来たからあなたの誕生祝いにもなってよかったわ。今日あたりまた何か持って来るんじゃないかね」

ミツ江さんは皿とフォークを床頭台しょうとうだいに置いてちらと私を見た。謙介さんは私と同じ40代半ばだけどバツイチの私と違ってずっと独身を通している。なぜそうなのか聞いたことはないが私たち看護師や医師と接する様子を見れば想像はつく。たぶん、いい人過ぎるのだ。誠実だけど、いやむしろ誠実すぎるから人付き合いが不器用でぎこちないのだろう。


 ケーキを食べ終わるとミツ江さんの予想どおり謙介さんが病室に姿を現した。

「金本さん、これを」

急いでやって来たのか赤らんだ顔で彼岸花の花束を私に差し出した。

「母の花瓶に挿しきれなかったら適当に処分してください」

挿しきれないも何も一目で花瓶1個には余ると分かる。それに彼岸花はきれいだけど病気見舞いとしては不吉な花だ。でも言うわけにはいかないから私は花の色に注目した。

「紫色のは初めて見ました。きれいですね」

謙介さんは少し驚いた顔をした。

「白いのもありますがアガパンサスは紫が普通じゃないんですか?」

今度は私がうろたえる番だった。彼岸花じゃないのか……、そう言えば彼岸花は秋のお彼岸頃ごろの花だった。


 謙介さんが帰るとミツ江さんは思い出話を始めた。

「入院していた夫に謙介を抱かせたらいきなり我が子の余命宣告をしたのよ」

旦那さんは謙介さんが生まれて間もなく27歳の若さで亡くなったそうで最期の日の話だと言う。

「この子はあと70年くらいの命だな」

「え?」

「だって男の平均寿命は70ちょっとじゃないか」

「ひどいわ、生まれたばっかりの自分の子なのに」

「じゃ親父にあと10年ちょっとだねって言うのは問題ないのかな。とにかく誰でもいつかは死ぬものなんだ」

「そんなこと言ったってあなたは……」

「僕は若すぎる? そりゃ手遅れの胆管ガンって知った時はショックだったよ。でも長生きするってそんなに素晴らしいことなのかな。30、40、50と生きる喜びは大きくなるんだろうか。そんなことを親父やお袋に確かめるのは逆に可哀そうだって思うくらい僕は落ち着いている」

「 …… 」

「悟りきったようなこと言ってるけど心残りはあるんだ。一つはこの謙介、物心ついたら父親のいない寂しさを味わうだろう。それと今後の君と謙介の生活だ」

「 …… 」

「けどだいじょうぶ。その二つを解消する一石二鳥の策がある」

「 ? 」

「君がなるべく早く再婚すればいい」

「あんまりだわ、そんなこと言うなんて」

「でもね、例えば親とか親友とか大切な人が亡くなることを想像してごらん。悲しいには違いないだろうけど一生片時も忘れないで生きていくなんてできゃしないよ。それは薄情とかじゃなくて自然な移ろいなんだ。それにね、君の再婚は実は一石三鳥なんだ」

「 ? 」

「僕があっちで待ちくたびれなくてすむ。君は長生きしそうだから。ハハハ」


「金本さん、夫は笑いながらそんなことまで言ったのよ。しゃくにさわるったらありゃしない」

口調とは裏腹にミツ江さんの表情は穏やかだが一旦言葉を切って遠い目をした。そして「優しい人だった……」と呟いた。

「今思えば夫の憎まれ口はみんな私の気持ちを楽にするためだったみたい。死を前にしての不安や未練を語られていたら夫を思い出すたびに辛くなったと思うわ。最期まで優しい人だった、人は生きてきたように死んでいくのね」

ミツ江さんは私に顔を向けた。

「でね、夫は話し疲れたみたいで抱っこしていた謙介を私に戻して外の景色を見てたんだけど春の陽気が気持ちよかったのかしら、『いいお別れ日和だね』って言ってそれっきり。ごめんなさいね、40年以上も前の話なんか聞かせて」


「そろそろお休みにならないと」

ミツ江さんも今日は長く話したので疲れたはずだ。私はバケツに漬けておいたアガパンサスの根元を水の中で1本1本斜めに切って花瓶に挿した。それから花瓶の中に10円玉を1枚入れて窓辺に置いた。銅製の10円玉は水中の細菌の繁殖を防ぐ効果がある。花の種類にはうとくてもこんな雑学は年の功で聞きかじっている。少量のサイダーか小さじ1杯の砂糖を入れれば養分になるけれど今回は省略しよう。

「余った分は頂いて帰ってもいいですか?」

「もちろんよ。そんなにたくさん、誰に持って来たんだか」

ミツ江さんはちらと私を見て微笑んだ。夜勤明けの翌朝帰宅した私は疲れていたのでアガパンサスをひとまとめにして突っ込むように花瓶に入れた。スマホで検索してみるとアガパンサスはヒガンバナ科の花だった。私の勘違いは当たらずといえども遠からずだ。


 ホスピス病棟の担当になってから私は「お迎え」というのは本当にあるんだなと思うようになった。赤ちゃんのエンゼルスマイルと同じように、微笑んで空中に手を差し伸べることがある。一時的に元気になったり饒舌じょうぜつになったりするのもよくある兆候だ。私に旦那さんの思い出を語って聞かせた2日後の昼下がり、ミツ江さんの容体が急変した。謙介さんに電話するとすぐに職場から駆け付けてきた。

「金本さん、母は?」

ドアを開けるなりの大声でミツ江さんがうっすらと目を開けた。

「ああ、謙介。一人かい?」

謙介さんは息をのんで体を固くした。ミツ江さんは意識が朦朧としているようだ。ミツ江さんがうとうとと目を閉じると謙介さんは椅子に腰をおろして力なく肩を落とした。

「嫁や孫の顔が見たいんでしょうね。望みをかなえて親孝行してやりたかったんですが」

「ミツ江さんはじゅうぶん感謝していますよ、こんないい病院に入れてもらえてっていつもおっしゃって。私が言うのもなんですけど」


 ミツ江さんがまた目を覚ました。

「謙介、お父さんは私を待ってくれてるだろうかね」

「当たり前じゃないか。再婚もせずに女手一つで僕を育ててくれたんだもの、よく頑張ったってほめてくれるさ」

「そうかね」と微笑んだ後ミツ江さんは真顔になって私に言った。

「金本さん、お化粧をお願いしたいんだけど」

一瞬浮かんだ「死に化粧」という言葉を私は頭の中から追い払った。

「お化粧、ですか?」

「だって40数年ぶりに会うんだもの。お父さんは若い時に亡くなったからこんなお婆さんを見たらがっかりするわよ。せめてお化粧くらいしなくちゃ」

私はロッカールームから自分の化粧用具を持ってきた。ファンデーションを塗って薄く白粉おしろいをはたく。眉を引いて口紅を塗り仕上げに髪を櫛でとかした。手鏡を渡すとミツ江さんは少女みたいにはにかんだ。

「これで安心」とミツ江さんは手鏡を置いて外を見た。

窓は開け放してありレースのカーテンごしでも初夏の緑がまぶしい。

「ああ、お父さんが亡くなった時とおんなじようにいいお別れ日和だねえ」

気持ちよさそうに目を細めた後ミツ江さんは私たちに顔を向けた。

「金本さんお世話になりました、ありがとう。謙介、それじゃ行くからね」

ミツ江さんはそう言って目をつぶり眠りに落ちた。


「行くんですね……」

謙介さんがぽつりと呟いた。

「金本さん、母は僕と別れて父に会いに行くんですね」

ああ、そうなのだ、お別れ日和は再会日和でもあるのだ。ミツ江さんは半時間ほどして息を引き取った。主治医が臨終の時刻を確認し謙介さんに短く悔やみの言葉をかけた。主治医が病室を出ると窓から突然、風が勢いよく吹き込んできた。レースのカーテンが大きくふわりと天井近くまで翻った。風はその一吹きだけでぴたりと止んだ。謙介さんと私は顔を見合わせた。

「父が迎えに来たんですね」

「ええ。お父様、よっぽど待ち遠しかったみたい」

謙介さんはミツ江さんの額を撫でた。

「母さん、よかったね」

そう言った謙介さんの笑顔が崩れて口元が細かく震えだした。

「……金本さん、母と父の再会を祝福してやりたいんですが少しだけ泣かせてください。僕は一人ぼっちになってしまいました」

謙介さんは椅子に座ったままミツ江さんの手を握ってベッドに顔をうずめた。別れはいつも残される者が悲しい。私は化粧用具を持ってそっと病室を出た。


 たまたまテレビで目にしたCMの映像が頭を離れない。何のCMかは忘れたが若いOLが自宅マンションのダイニングテーブルで夕飯を食べていた。印象に残ったのは彼女がグレーのスーツ姿だったせいだ。通勤着と思われる服装のまま一人ほの暗い部屋で黙々と箸を動かしていた。後ろ姿の映像だったので表情は分からない。それでも独り身の孤独というものを目に見える形で示されたように感じた。今日のシフトは日勤なので気になるCMを追体験してみよう。スーパーで総菜を2パック買って帰った。部屋着に着替えずにご飯が炊きあがるのを待つ。それにしてもあのCMのシチュエーションはよく分からない。どうして着替えていなかったのだろう。ごく普通のOLふうだったから夕食後に出勤とは思えない。食事と風呂をすませてパジャマを着るルーティンなのだろうか。あれこれ想像しているとご飯が炊けたので総菜をパックごとレンジで温めた。ここからがCMの映像の再現だ。ダイニングの照明を少し暗めにして椅子に座る。背筋を伸ばし膝から下もそろえてまっすぐ立てる。

そうして箸を手に取ったけれど食べ進めるほどに気が滅入ってきた。CMの彼女の姿から受けた寂しさを身をもって感じた。くつろいでこその我が家なのだ。一緒に食べてくれる人がいればなおさらに。


 箸を置いて顔をあげると隣室のリビングのアガパンサスが目に入った。テレビの横の花瓶に生けていたが少ししおれている。花瓶をキッチンに運びアガパンサスを引き抜いてシンクに横たえた。明日はゴミの収集日だからちょうどいい。この花をおすそ分けでもらった日はちょうど私の誕生日だったことを思い出した。あの日病院にお見舞いに来た謙介さんはミツ江さんでなく私に花束を手渡した。もちろんミツ江さんの花瓶に挿してくれということだったのだろうが気になって詳しく調べてみた。するとアガパンサスはあの日、私の誕生日6月11日の誕生花だった。しかも花言葉は「恋の訪れ」。これらは偶然だろうか、急に謙介さんのことが気になりだした。ミツ江さんが亡くなって数日たつけれどどうしているだろう。食事はちゃんと食べているだろうか。あのCMのように謙介さんも寂しい思いをしてはいないだろうか。仕事帰りに私が日勤の日だけでも寄ってくれれば一緒に食事を……。スマホの電話帳の画面で「謙介さん」の欄をタッチした。呼び出し音が鳴り出したけれど反応がない。椅子に座って待とうとした時ダイニングテーブルに目が留まった。皿に移しもせずパックに入ったままの食べかけの総菜が二つ。私は電話を切った。いらぬお世話だ、ずぼらな私より謙介さんの方がずっと料理上手かもしれない。自嘲の笑いが浮かぶのを自覚しながらリビングに移った。


 服を着替えてソファーに腰を落とすとスマホが鳴った。

「金本さん? 電話をもらったようだけど風呂に入っててごめんなさい。何か?」

「あ、いいえ。どうしていらっしゃるかと思って」

「そうですか、ありがとう。こっちもアガパンサスが気になって電話しようと思ってたんです」

「アガパンサスが?」

「はい、あの、実は……」

謙介さんは母親のミツ江さんに私への思いを打ち明けていたのだった。人見知りで不器用な謙介さんらしい。さらに聞けば、ミツ江さんが亡くなる前日に謙介さんは一か八かの賭けに出るようミツ江さんに尻を叩かれたと言う。その日は夜勤明けで私が休みだった日だ。

「切り花の日もちは長くて4、5日なんだそうです。『恋の訪れ』の花言葉を持つアガパンサスが1週間枯れなかったら金本さんを訪れるよう母に言われました。花を大切に世話できる人ならお前のことも大事にしてくれるだろうって。あのう、明日でちょうど1週間なんですが……」

「ちょっと待ってください、見てきます!」

スマホを置くや否や私は脱兎だっとのごとくキッチンに急ぎ、シンクに放り出してあるアガパンサスを花瓶に戻した。それから大慌てで財布を探って10円玉を2枚花瓶に放り込み、調味料入れの砂糖を大さじで2杯すくって入れた。そのあとリビングに駆け戻ってテーブルのスマホを取り上げた時、左足の小指をテーブルの脚に思い切りぶつけてしまった。私は悲鳴を上げるのをこらえる代わりに歯をきつく食いしばった。

「もひもひ? だいじゃぶです、枯れてまへん!」

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