不幸平

小狸

短編

 がっかりした。


 僕は、とても落胆していた。


 それは、ある人の小説の作風の変化によるものである。


 僕は、あの人の陰鬱な小説を好んでいた。


 実像的な陰鬱と不条理をぐちゃぐちゃに塗りつぶしたような、どうしようもなく救いようもない人々の物語。


 そういう物語を書く人であった。


 僕は、そういう物語が――もっと言えば、そういう文章が好きだった。


 ああ、その人というのは――職業作家ではない。


 ただ、ネット上に小説を投稿している方である。


 二年ほど前にぽっとアカウントを作り、それから断続的に短編小説を投稿し続けて、もう百作を越えたと言っていた。


 個人情報、というか、僕の落胆が共感されないように、実名は伏せておく。


 しかし、ここ数週間で、その人の作風は変わっていた。


 今までずっと陰鬱で陰惨で、それだけが個性だったその人の作風が、明るくなったのである。


 なんだよ。


 陰鬱でいろよ。


 陰惨でいろよ。


 不幸であれよ。


 何幸せになってんだよ。


 救いようがなかった物語に、最後に救いの手が差し伸べられるようになったのである。


 否、変わったのは、作風ではなく、その人、なのだと思う。


 実際、Ⅹでの投稿も、自己批判的というかネガティブなものが大半であったが、作風が変わってからというもの、その人の負の投稿は、ぱったりと止んだ。


 それを見て、ああ、と。


 僕はがっかりした。


 将来の不安や、これから先の不明瞭さ、苦しさ、辛さ、そういうその人の個性は、失われてしまったのだ、と。


 多分、恋人か何か、それとも承認してくれる誰かができたのだろう。


 僕はとても落胆した。


 いや、それどころか、許せないと思ってしまった。


 今まで魅力だった文章が、そんな陳腐な承認欲求みたいなもので掻き消されてしまうなんて、思わなかったからである。


 僕は、『そんな自分でも良いんだ』『駄目な自分でも良いんだ』と、その人に己を認めてほしかった。


 その人が持つ文章の個性を保ったまま、前向きになれないままの自分を、認めて欲しかったのだ。


 きっと承認してくれる対象がいなくなれば、その人はまた前を向くことができなくなるに決まっている。


 所詮、誰かの手助けによって救われるだけの、それだけのちっぽけな悩みで解消するようなものだったのだ――とは、思いたくなかった。


 勿論、僕は大人である。


 その人に対して、直接DMを送るような真似はしない。


 だけど、それでも。


 恋愛とか、承認とか。


 そんなちっぽけなもので満たされる程度のものだったんだ、と思って。


 再三になってしまうが、僕は落胆したのだ。


 大学時代の先輩と、飲みに行く機会があったので、僕はこの話を先輩にした。


 普段は温厚であり、サークルでもOBのまとめ役となっているような人である。うんうんと頷きながら、僕の話を聞いてくれた。


 先輩はしばらく考え込んだ後、こう続けた。


「君さ、誰かにどういう風にあってほしい、って、相当傲慢な考え方じゃないかい。総理大臣でも、大統領でも、人の在り方、思考を強制することは許されない。『自分で自分を認めて欲しい』って、何だい。君は結局、君の考え方を、ただ他人に押し付けているだけだ。しかも、直接会ったことのない他人に、だ。勝手に期待して、勝手に落胆しているのは、君じゃないか。君は人の在り方や文章にどうこう言えるくらい、偉いのか? 他人の変化に敏感になっている時は、自分に余裕がない時だ。君、仕事はどうだい? プライベートは?」

 

 てっきり。


 同意してもらえると思っていたので、僕は言葉を失った。


 それに、図星だったからである。


 仕事は嫌な上司に当たって毎日が苦痛の連続だし、交際相手などいるわけがない。家庭との関係も、大学時代、祖父の葬式を欠席したせいで、ほとんど絶縁状態である。


 先輩は、口を開いた。


 もう、やめて欲しかった。


 それでも、先輩は続けた。


「少し厳しいけれど、後学のために言わせてくれ。。絶対にだ」


 それから先、僕が先輩と何を話したのかは、記憶していない。酒が進んでいたけれど、さっと醒めてしまった。そして気が付いたら電車に揺られていた。

 

 家に帰って、電気を付けた。


 迎え入れてくれる人はいない。


 家族とは、ほぼ縁を切った。


 靴を乱雑に脱いだ――今になって、先輩に言われたことに腹が立ってきたのである。


 どうしてあんな風に言われねばならないのか。


 悪いのは僕ではないのではないか。


 そもそも、勝手に幸せになっているあいつが悪いんじゃないか。


 そう思って、手を洗ってネットに書き込もうとして。


 ――して。


 手を洗っている最中。


 僕は、鏡を見た。


 そこには、果たして。


 中年太りで、肌が汚く、髪もべたつき、口角の下がった、気持ち悪い、今にも泣きそうな表情の。


 かわいそうな男がいた。


「うわぁっ」




 坂内ばんない幸平こうへいが、己を見失ったのは。

 

 令和れいわ6年の、2月26日のことである。




《Unequal Happiness》 is the END.

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不幸平 小狸 @segen_gen

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