第21話 浩のロックに関する愚痴
※ 作者注
これは浩の主観丸出しの愚痴なので不快に思われるかも知れません。
浩に怒られてるのは私です。
当時田舎でプロの音楽活動すると言う話は聞いたことがなかった。
洋楽を聴いて憧れ、ミュージシャンになるとか言う話は学生の身分では良くあることだったが。
中には具体的な演奏能力が皆無なのにそれを言う者までいた。
軽音楽と言われるロックだが、これを学ぶための学校は日本にはなかったように思う。(あるにはあったが、卒業して演歌のレコーディングミュージシャンになったとかの広告くらい)
楽譜の読み書きの出来ないアーティストもいるとされるが、そのような人は五線譜に書き込まないまでも自分の演奏するべく音楽が身体に備わっている。感覚的に音楽の理論が体得しているのである。プロの人はそれがかなり緻密なまでに持っている。
楽器の演奏したことも無いのに、ミュージシャンになって有名になって持て囃され、大金持ちになるとまで言う者もいた。(言論だけは自由)
一体何を持って彼は音楽に携わるのだろうか。
尤も10代の若者は夢だけで生きている部分はある。それから勉強したり、訓練したりすれば良い。
幼い頃親からもらうお小遣いは安く、あまり思った物を買えない。
中学生くらいから新聞配達をして小銭を稼いで思った物を買った時の喜びを覚えている。何も大金持ちになる必要は無いと。
憧れと言うものもあるが、自分の身近な存在の中でそんな大成した人がいるか冷静に見極めるところに、大人としての道理を得る一つの要因を見出だせるかも知れない。
大人になって考えると、有名なミュージシャンと言うのは演奏や歌がかっこいいのだが、身の丈も高く、長足長腕で美しい顔立ちをした人ばかりだ。
完全にダイエットしたとしても人並みに及ばない背丈の者がステージで持て囃された記憶はあまり無い。バンド全体としての作品が良ければ例外的な人はいくつかいたが。
先にも言ったように40年前の日本人の男性の平均身長は170cmあったかないかだ。
アーティストは大抵身長は180cm以上あり、長足だ。キャラで売る人ですらその要件を満たしている。(例外もあるが、1990年代以降のロックジャンルの多様化以前はそんな感じ)
本当に音楽が好きならプロデューサーなり、作曲家なりとあるものだが、夢と憧れだけで身長170cm以下の短足の田舎の若者がスーパースターを夢見たりする。
フロントに立って歌うのなら芸能事務所に入って芸能人になる方が早い気がする。
それを言うととたんに彼は黙るだろう。おそらく自分の努力でそれを目指すのでないと思っているのだろう。
声一つとってみても、その音域をこなせないのにロバートプラントだとかイアンギランだとか言う。
そして裏声を張り上げてレコードの原キーのまま拙い英詩で歌う。
情報の限られた時代とはそんな理解だったのである。
洋楽に目覚めなかったら、アイドルになりたいと言う願望を持つ。あるいはフォーク歌手だったり、演奏歌手だったり。
もしそんなことに人生を賭けて、これらの夢に挑戦するのなら相当の覚悟が必要だ。安定した収入や安寧な生活など無い。恋人と恋の成就も好きな車も無い。
そもそも日本にはこの業界を振興している自治体や行政は無い。
最近では韓国が行政を上げて行なっているが、アメリカだと個人や有志だったり、富豪だったり。イギリスも振興している都市はいくつかある。
北欧の福祉スタジオは1980年代から盛んになったと思う。
スウェーデンのアバやネオンローズが1970年代にいたように、もともと音楽活動のしやすい環境にあったようだ。(今ではスウェーデンの人口は1000万人を越えたが当時は700万人台だったと思う。埼玉県程度の人口だ)
北欧で1980年代初頭からアマチュアバンドが多く出てくるようになり、かなり拙い英詩や楽曲のものまで出ていた。
これがヨーロッパやイングウェイマルムスティーンが活躍して、その後1990年代には数多くのバンドが多くのファンを日本でも獲得するようになる。
これは、福祉スタジオの機材の向上もあるだろうが、北欧の人の勤勉さもある。
彼らは譜面の読み書きもするし、英詩も自分で書いて歌う。
決して夢を見る事なく、従来のプロのバンドの楽曲と遜色のないものを作る。ただ、英詩の発音についてはまだ、ネイティブのように洗練されてはいないが。
人は生きて行くために妥協が必要だと言うことだ。
何と妥協するかは、自分の能力と環境と夢と望みのバランスの中でだ。
北欧の人が優れた音楽を作り出しても、それで生計を立てられると思っている人はいないのではないか。収入になれば税務申告が面倒になると思うくらいだ。
1990年代にニルヴァーナがヒットしてから従来の多くのロックバンドが契約を得られなくなった。
そこで彼らはレーベルと契約を得るためにトレンドの音楽を作成し始めるのだが、当時あまりトレンドの音楽の方法論を知っている感じではなかった。
プロのバンドでもこうである。
1988〜89年当時のバブル全盛期から30数年過ぎたが、未だにその気分でいる人がいると言う。
大卒の人はたくさんいるだろうが、高年収や楽をして生きることを望んでいるらしいのだ。海外旅行だとか、子供を留学させるだとか言う。
デフレの日本で先祖(まだ一世代だが)が一時期得られた生活を望むと人生失敗に至る。
その時代を見極める力が必要だ。
それについても努力が必要だが。
バブルの時代の独身女性の希望する婚姻相手に対する条件と言うのがあったが、その子供たちが同じことを言うのは時代が合わないのである。(1989年当時で年収1000万円以上の次男、そして美男子で清潔とか…)
不動産の売買を繰り返すだけで巨額を稼げた時代の金は悪銭だと言えるだろう。
この例外的収入の時代が本当の時代だと思う人に言いたい。
あなたは楽器の演奏の出来ない短足の田舎の兄ちゃんがミュージシャンになって大金持ちになると言っているのと同じである。
結婚の適齢期を過ぎているのにお世辞を真に受け、自分は天下の美人と誇示したり、平均でまず得られるはずのない収入の人を望んで見たりする結婚相談所に来る女性。
高額の収入を獲得するため手段を選ばないで海外逃亡したり、刑務所行きになる人。
家事など家族としての義務を放棄してもなお豪奢な生活を望む人。
結婚して子供や配偶者の問題に向き合わず、離婚や別居と言う形で放棄する人。
幸福になるにはどの道を通ろうとも努力が必要である。
努力と時代を見誤らない目、自分と言うとるに足らない者の能力がどんなものかを冷静に判断する諦念。
壮年になっても、年配になっても自分の能力を伸ばし続けるんだと言う覚悟。
夢は朝には覚めるものだと思うこと。
縁と言う自分にはどうすることも出来ない悪魔と共存すること。
その他生きると言うことは無限の障壁と可能性があると言うことを認識する必要がある。
これらを避けるととてつもない孤独への道が待っているのだ。
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