第20話 アイドルドライバー和美と浩の役所

 ある日の和美の業務中、どうも同じ車がしばらくのあいだ後ろについて来る。

 平日の昼間から乗用車で暇な輩だと思ったが、どうもドライバーの和美を若い女性だと認めたようである。

 いわゆるナンパ目的で付きまとっていたのだ。


 結婚したと言え21歳の女性だ。外へ出れば若い男にとって目立つ存在だ。


 片2車線になる国道の信号待ちで止まったとき

、その車は横に並び、寒いのに窓を開けて何やら叫んでいる。何か異常でもあるのかと和美が窓を開けると、彼は和美がいつ業務を終えるのかとか、名前まで聞いて来る。


 ナンパだとわかると大声で一言返した。

「わたし、結婚してんだー!」

 

 この声を聞いてナンパ主の男は

「あはは…失礼しました~」

 と言って和美の車から離れた。


 こんな出来事があって、それで話が終わるかと言えばそうでなかった。

 2日に一回はそんな車に出くわすようになった。


 どう見ても既婚の営業車の中年男性まで和美を覗き込んで見たりする。


 片2車線の国道の信号のあるところでは、それ以外に回避する道がないので、必ず一日一回そこを通るが、何日かに一回和美の評判を聞き付けたと思しき態度をとるドライバーがいる。

 物品を納入するときにも声がかかるようになった。


 すっかりアイドルドライバーと化した和美がローカルメディアにまで認知されるまで、そう時間はかからなかった。


 和美いわく、こんなに男の人に持てたことなかったと。


 地元のローカルラジオ局やローカル新聞まで取材にくるようになった。


 真冬も終わり雪融けシーズンになると、和美の会社にローカルメディアのスタッフが来た。

 この町は小さいとは言え、大都市を中心とした2局の民放のローカルラジオがあった。

 大都市からの取材はなかったが、NHKの支局がこの町にあり、この町の独自の番組は限られているが、その番組の出演依頼が来たのである。


 そしてローカル新聞もこの町にあった。この新聞局のローカル欄に載せる取材の依頼も来た。


 先述の民放ラジオ局はほぼ大都市かその周辺の話が占めていた。


 和美は少し迷っていたが、出演してみたらと言うと依頼を受けることにした。


 和美より美人の人はこの町にいると思うが、配送ドライバー限定なら珍しかったのだろうか。

 もう半年以上顔を合わせているのだから客観視できない。

 結婚と言うのは女性をそんなふうに変えるのだろうか。


 新聞の方は和美の言った話が大部分当たり障りのない文章に変えられていた。

 和美は路上ナンパは事故のもとだとして、わきまえるよう言ったのだが、皆様の応援もあって励みになる旨に変えられて拗ねていた。

 まあ、文章を誰が見ても当たり障りを無くしたり、恥ずかしくないものにするのが我々役人の仕事の一部なのだが。


 ラジオの方は10分くらい話したと思うが、1分くらいにうまく編集されて、これまた当たり障りのない面白くない内容に変えられたとか。


 こうしてアイドルドライバーと化した和美は町で顔と名前が知られるようになり、結婚していることも知られた。

 それから声が多くかかるようになったが、ナンパは激減した。(結婚しているのをわかってナンパする輩は何なのか?)


 個人情報の保護とか叫ばれる昨今だが、犯罪者でもない一般の市民が個人情報をこのように公開される時代だった。


 町の有名人となった和美は、町やドライバー業務の中でも、佐藤さん、佐藤和美さんと声をかけられるようになった。たまに和美ちゃんとも。

 ただ、それは何ヶ月も続かないのである。



 さて俺の業務はと言うと、1985年4月に3年目の勤務に入り、部署が変わったが、業務は同じである。

 初級で地方公務員の身としては、扱う業務も限られている。


 当時まだ終戦直後にこの職についている人がいて、その時は定年近かったが、その世代で大卒で入ってくる人は少なかった。

 終戦当時の大卒と言うのは旧軍がらみのものが多かったため、公職になかなか就けなかったし、その後1950年代になって大学に進学する人は田舎では一つの高校に1人いたかいないかと言う程度だった。


 そう言うことで、大卒で入ってくる世代はその後となるので、年配の公務員よりも年若い幹部職の人がその組織の管理に就くと言うことだ。


 1985年と言う年はワープロ普及になる頃である。

 それまでは和文タイプライターが書類作成の要だったが、税収の潤沢な自治体の役所では、もう何年も前に導入されているとの噂があった。

 1970年代には数百万円もするものが開発されていたが、そこまでの予算をとれる団体はそんなになかった。1982年にCDプレーヤーが20万円したのと同じで、開発初期の機器はなんでも高かっただろう。

 1985年にワープロが数万円になったが、即導入なる組織はさほどなかった。

 それは和文タイプライターを打ち込む資格を持った技術者がたくさんいたからだ。


 役所の書式は定められたものは、定められた書式から1ミリも動かせないものもあった。


 家庭用ワープロのプリンターで打ち出された書式を公的書類にすると言うことに対する管理職の決済は出しにくいのではないかと思う。

 書式が自由な場合は民間の人がワープロで打ち出した書式を利用しやすいだろう。手書きでも良い場合でもこれで自身を持って提出できる。


 役所だから、タイプライターの技術者を余す心配はそんなになかったと思うが、技術革新も少しずつ受け入れて行くことになる。


 俺は金額の計算は電卓で行なっていたが、そろばんを使う人も多かった。

 学校でそろばんを習わなかった気がするが、当時そろばん塾は多かった。


 役所は利用者から業社との金銭のやり取りも多い。決まった予算の中から決済が下りてから金銭のやりくりになる。

 決まった予算と言ったが、予算が足りませんから出来ませんでは行政は上手くいかない。

 大抵予算が余るように設定する。

 年度末に余った予算を消費するのに何らかの出費を考えることもあった。例えば公園のベンチだとか公衆便所などもこの予算から作られることもある。

 昨今の緊縮財政ではそんな緩い予算はなかなか決められなくなったが。


 下っ端の俺は、これらの話を噂話程度で聞いたことに由来するにすぎないのだが。


 この4月数名の職員が入ってきた。やや遠方の実家から受験をしてここだけ採用された人がいた。はじめから公務員宿舎に入っての赴任である。

 浪人して入った人もいた。


 当時好景気だと思うが、若い人の就職先の少ない田舎ではバブル前もその最中でも、公務員試験を受ける人が多かった。

 俺より一廻り年上の年代の人なら高度成長時代を謳歌しようと、人生を役所へと捧げる雰囲気はまるでなかったと言うが。


 日程が重ならないかぎり、近隣を含めていくつもの役所を受験する者もいた。


 1980年代でもこの田舎では倒産する企業の話もよく聞いてきて、それが公務員志望へと導いていた。


 今考えると企業経営の能力のある人も少なかったのだと思う。(自分の周囲では)

 バブル崩壊後の1990年代田舎では公務員志望者はさらに増えた。

 都会ではまだバブル崩壊の深刻さが伝わっていないのか、公務員志望の増加は統計ではなかったようだ。


 公務員試験日一覧表と言うものがあったかどうかわからないが、映画館をハシゴするように、自分の希望する役所を軸に受験ハシゴをし、採用されたものの中から希望に一番近いところへ入る、そう言う事をしていた人が多かっただろう。



 結婚して8ヶ月過ぎた。

 新婚の頃よりは落ち着いたと思うが、我々のラブラブ振りはまだまだ続いていた。

 和美を服の上から触ると言うことは結婚当初からあったが、そんな生活も相変わらずだ。

 昼間からそれをし過ぎて、その気になってしまいそうになる。

 和美の胸は小さいが感度は高い。


 春と言ってもまだまだ寒い、スパイクタイヤもそのままだ。

 年によってゴールデンウィークに積雪することがあり、峠道が封鎖されることもあった。

 ゴールデンウィーク前も夏タイヤにする人がいたが、それでは峠道の走行が不安だ。


 ただ、平地は4月上旬で大体は雪が無くなる。

北国の中でもまだ雪の融けきらない地域はあるが、我々の町は日陰を除いて雪の姿は無くなる。


 学生の入進学時期だが、風は冷たく、震えあがるほど寒い。

 春の陽光が眩しいのと対象的だ。

 学生服でこの時期上着なしに歩けないが、式などで外に制服だけですごすとその印象がある。


 それから新しい環境に慣れて行き、ゴールデンウィークを迎えるが、若い頃の春は徐々にに冷たい空気が気にならなくなり、冬も忘れて行く。

 長袖やジャンパーは着るが、もう気候の厳しさも覚えていない。


 そんな中和美は22歳になった。

俺との歳の差は1年半あるので、また満で2歳差になる。


 ゴールデンウィークになると、この辺りは雪が消えただけで緑が見られることはない。

 僅かふきのとうが見られるだけだ。

 常緑樹のあるところでも茶色と黄土色が目立つ荒涼とした景色が広がる。

 最近の地球温暖化によっても、これはあまり変わらない。

 山頂の雪についても春の残量は最近の方が多かったりする。ただ、植物の繁茂の範囲は変わっている。当時山頂とか植物が殆ど繁っていない区域にも、最近は繁茂しているところがあるのだ。


 ゴールデンウィークは和美にとって復活の季節だと言えるだろう。

 心が外に向き、前向きになり活動的だ。

 ただ、それを実感として感じたと言うわけではない。

 真夏に会って、真夏に結婚した。不安定な秋の新婚時代を経て、和美の性に翻弄されたが、それについて行って、今では魅了されている。


 和美の生理の時まで、少し気まずい愛撫をしたりする。

 女性はそんな身体的状況の時別の形のぬくもりを求める。距離を置く涼しさだったり、甘いものや美味しいものをほしがったりする。

 和美はそんなときにもキスや愛撫を喜ぶ。嫌だったら拒絶するだろう。


 2人で大人になったと言う意味での春は来ているのだが、季節も春だし、人生も春だ。夏と言えるかも知れない。


 もうこれ以上新婚夫婦がちちくりあっているさまを描写して人を不快にさせられないので止めておくが、人は良縁に恵まれることがあるし、過酷な人生を送る人もいる。


 その原因は縁としか言いようがない。

 本人になんの過失が無いのに不幸になってしまうのだ。


 我々が幸福になったと言う成功の要因は、自分の身の程をわきまえたと言うことである。


 人は人生で能力を伸ばせるだけ伸ばしたいと思うものだし、夢があったら実現させたいと思うだろう。

 ただそれは必ず限度と言うものがある。


 先に何度も述べた公務員試験などについてもそうであるように、何年も何年も学業に就いたり、浪人を繰り返したりして若い人生を多く費やす。

 最終的にその目標が達成されれば良いことだが、必ず達成できるともかぎらない。


 若い陽光を浴びたい時期に収入もなく、親に頼りきっては卑屈になる。

 ただこれははっきりした学歴や試験合格と言う形で一定の突破すべき壁があるだけ良い。


 大学卒の学歴が必要なら受験に合格した大学に入って卒業に向けることができる。

 その先に大卒の資格を得て就職先を決めていけば良いのである。

 ただ人格形成上長い浪人は普通の人には勧められない。

 浪人と言えどもただの無職である。無職の若者を叩くだけ叩くと言う日本の慣習はあるが、浪人だととたんに大人なしくなるような気がするが。

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