第9話 和美の苛立ち

 父親の軽快なノリに明るくなるが、和美の部屋にまた2人で入る。

 この日は前よりも少し涼しく、窓を開けたが、戸は閉じた。

 しかし、下に父親の存在があるので、前のように裸になってイチャイチャするのでないと思っていた。

 和美が風呂に入るので、1人で和美の部屋でカセットテープを見ようとしていると、一階から父親がきた。


「浩君、和美風呂に入っているから君も入ったらどう?」


 この言葉に、まったくこの人は精神状態が高校生のままなんだな、と思った。

照れ臭そうに何も言えないでいると、また言う。


「青年よ、勇気を持て!…まさか童貞なのか」


 その返答に隠しもせず、肯定した。

「そうです」

 彼は少し驚いた様子で、また答える。


「ま、第一歩が大切だ。一階の奥の突き当たりが風呂場だから裸の和美に会ってやれよ、下着なら俺のがある」


 潔癖ではないが、他人の下着を身につけるのには唖然としたが、考えてみると和美の父だ、それもアリだとも考えた。しかし、本当に風呂場には行かなかった。


 実際浴室に入ってどうするのだろう。俺は出掛ける前に水浴びしたばかりだ。


 そうこうしていると和美が戻ってきた。濡れた黒髪を頭上でまとめあげた姿も新鮮だ。


 湯上がりのシャンプーと石鹸の香りしかしない。

上下あのジャージを着ている。

和美は父親の言動を見透かしたように言う。


「パパ来たでしょ。わたしの裸見に風呂場行けだとか言って」


 少し笑った。


「はっは、当たりだよ。言ってた言ってた、でも和美の裸見たもんな」


 和美は突っ込んでくる。


「見たか?全裸になってねえだろ、お前はパンツの中まで見たことあるのか」


 挑発的なその発言に少し参ってくる。そして答えた。

「いや、ない。エロ本もそんなの写ってないし」

 和美はその事を知っていて、答えた。

「外国のエロ本見てないのか、あれなら全部見えるぞ。でもあんなんじゃない。わたし、男の人のあそこ見たことない」


 好きな人との会話と言え、いい加減品が無さすぎてあきれてきた。あの父親だとこうなるのも納得がいくが、そんな気にもなっていないのに、この話はキツすぎた。

 そのうち、お前が見せるんだったら、わたしのも見せると言い出しかねない雰囲気だ。

それで言った。


「下半身見るだのエロ本だの、また下ネタかい。姉妹血(筋)は争えないなあ」


 外国のエロ本は、どんなルートで手に入れるのかわからないが、確かにこの田舎でも持ってるやつはいた。

 高校時代に学校に、それを見せにきたクラスメートがいたのだ。

 昼間からそんなものを見て、その気になる者はいなかった気がするが、皆気持ち悪いと言いながら、その本を皆全ページを開いていた。

 俺は少し遠巻きに見ていたが、言うとおり、気持ちの良いものではなかった。

 今考えてみると、裏本というものが国内で、闇で流通していたようだが、実際には手にしたことはなかった。今ではその類いの写真がネットに溢れているが、ネットの無い時代でも非合法でそんなものが出回っていたのだ。

 普通、よほどの好みの人がモデルとして写っていない限り、そんなものは見たいと思わないだろう。


 濡れた髪をしている和美の前で、なんだか妙な気分になって困惑して黙り込んでしまい、和美の机に向かって、椅子に座ったままでいた。

 和美は濡れた髪をタオルで拭きながら話す。


「お前は女の子が男の裸見たいと思っているのか?」


 この言葉を聞いて考え込んでしまった。そう言えば男のヌードという話は、そんなに聞いたことがなかったからだ。

 そこで答えた。

「で、どうなの。女の子って、(男のヌード)見たいの、見たくないの?」

 和美はあきれて口のなかで呟く。

「やっぱり、わかってないんだね」


 品を無理に取り戻すのでないが、ちょっとまともになりたいと思って言った。

「でも、和美は可愛いし、好きだよ」

 この場に、とって付けたようなコメントに和美は少し苛立つ。

「可愛いかったらどうするの?好きなだけで満足するのか」


 この日の和美は刺があるように感じた。あれだけの感情の爆発を起こした不満は残るのだろう。

でも、今すぐどうにかしてやれるものでもない、と感じていた。

 彼女は求めているのだ。


 ここで面と向かって、じゃあどうして欲しいの、などと言えるはずもない。そんなことをすれば、また怒り、今度は喧嘩になる。

困った。今日は会話にならない。


 こういうことをカミングアウトするのも恥ずかしい事だが、エロ本を見る時女性のどこを見ると言うと、下半身になる。下品な10代の若者の雑談から、それは男の子の共通した欲求のように思えた。

 和美の全裸を思い浮かべても、エロ本のそれと大きく異なった世界にいるように思えた。

 見たいから見せてくれ、と言う思いでもなかった。エロ本のグラビアを1人個室で見る時の感覚なぞ、もう思いもつかなかった。


 それをこちらから、このように突っ込んだところで、この険悪な空気は変わらない、そう思うと恐ろしくて、もう口もきけない状態になった。


 一階のステレオから石原裕次郎の歌が流れだした。

 太陽にほえろのボスが歌っている。当時彼のイメージは、その印象が一番だ。

「ああ、ボスが歌ってる。下のステレオの音でも彼だとわかるね」

 そう言うと、少し空気がゆるんだ。

 和美は答える。


「パパ、(聞く音楽)演歌って言ったけど、石原裕次郎とかね、館ひろしとかね。あと、上田正樹も聴くの、あれは少しロックっぽい」


「ふうん、なるほど。上田正樹、聞いたことあるような、ないような」

 そう俺が言うと、和美は答える。

「たしか、上田正樹はミュージックライフでも出たことあるよ、なかなか良かったりして」


 80年代は資金も限られていたこともあり、日本のロックにまで手を伸ばせなかった。と言うより、目を向けなかった、と言ってもよかった。

 上田正樹が本当にミュージックライフに取り上げられたかどうか別として(この雑誌が取り上げたとすると、それはサウストゥサウスのアルバムだろう。これは、ロックそのものだ。)

 どことなく外国ロック専門に目を向けていたのだ。

 学校の授業があって、宿題があって、試験があって、就職試験があって、それからロックのアルバムを理解するほど、それらを再生する時間もそんなになかった。

 テレビなどからの影響で、文化的に閉塞感を日本の作品からなんとなく感じていたためか、日本人による作品を敬遠していた、と言うこともあった。

 実際日本のロックの人の歌は、東京の貧乏暮らしを想起させる感じがしていた。


 和美が素直な態度をしだしてくれて少し安心した。でも、キスくらいはした方がいい、俺はしたいと思っていた。

 和美のつばの味が甘かった。本当は甘くはないが、これも性とか愛と言うものなのだろう。

 それをズバリ言ってみた。


「和美キスしようか、和美いきなり舌を口の中に入れてくるんだもの、たまらない」


「わかったする、お前は背が高いからイスに座ってて、わたしが立っていれば合う」

 そう言って、そのまま近づいてきたが、立っている和美ほど、俺の座高は高くない。

 和美の首辺りが目の前にある。和美のジャージの薄い汗臭さと、石鹸の香りが身体から発しているのがわかった。

 そこでふざけて和美の首に軽く噛みついてみた。

「おわっ、お前は吸血鬼か」

 和美がおどけてそう言った。

 そして和美は膝をかがめて積極的にキスしてきた。

 ちょっと苦しそうなので、立ち上がって抱擁しながらキスをした。和美の舌を舐め、舌と舌をからませて、息を荒げはじめた。

 そのまま和美のベッドで抱き合ってキスをし続けた。昨日より冷静だったが、互いの唇を求めて上になり、下になり、最後は和美が俺の腹の上に乗っかったままキスを続けた。

 和美が上なので、時々彼女の唾液が流れてくる。

 すると、一瞬和美が顔を上げてキスをやめた。

 戸の方を向いて和美は言う。


「やだ、パパ何見てるの!恵子の時もそんなんなの」


 ドアの外に父親が立っていて、ドアを少しだけ開けてこちらを見ていた。


 和美をなだめるためにはじめたキスだが、何か少し興奮していた。

 残念と思うか、助け手が来たと思うか、どうでも良かったが、見られるのでなくとも、それとなくそれを気付かれたことだろう。

 父親の方を向いて謝った。

「お父さん、すみません、いやぁ」

 父親が言った。

「洋一だっけか、いや、ヒロシ君だ。やるもんだね、和美をよろしくね。やるんだったら父さん出掛けるぞ」

 まだそんなに夜はふけていない。

 恵子は夜の勤めなので、夕方にはもう出勤しててもういない。

 経営者であの性格だ、田舎と言えども出掛ける先はいくらでもあるのだろう。

 和美は少し怒って言う。

「パパ、出掛けんでもいいよ。こいつ童貞だからそこまでしない。でもキスだけはわたしよりも上手い…服も着たままだし」

 父親は答えた。

「じゃあ無理だろう、出掛けるぞ。明日の予定は会社だからテキトーにしてるよ」


 和美の家には車庫があるが、そのシャッターは閉まっている。

 酒好きの父親はタクシーばかり使うのだろう、その後、本当にタクシーを呼んで出掛けてしまった。


 和美の父親は「明日は会社だからテキトー」と言うからには、社長不在でも、従業員が通常の業務ならすべてこなしているのだろう。

 あの様子なら、接待でも相手を友人のように自分のふところにまで抱え込むようにして、仲間に引き入れていくのだろう。それも自然に

 会社の外との交渉も、そんな才能で丸く収めていると推測できる。

 ただ、役人の俺には、その娘である和美の不満に応えるすべを知らなかった。

 今日のキスにしても、とって付けたようなもので、父親のふざけた覗き見がなかったなら、時間と共にしらけてしまったことだろう。

 この時は父親のことで、和美をしらけさせたのだが、俺には恋愛をどう持っていくにしろ、堅実すぎたようである。


 俺は言った。

「お父さん、ああなんだね。うちのオヤジは真面目で、まぁ、息子の部屋なんて来ないし」


 和美は答える。

「そんなもんでしょ、友達と話してると、パパみたいな父親の話誰もしないし、いい歳して独身の人の話もないし」


 俺は答えた。

「でも、楽しいじゃん。嫌じゃないでしょ、あんな人少ないと思うよ…ところでカセットテープ一杯あるから何か聴かせてよ」


 和美はまた何かふくれてる。

「ロックはいい、お前キスしててパパ来なかったらどうするの?」


 それまで、俺にとってここまで深入りしたキスをしたことがない。

 中学生の頃2~3人のクラスメートの女の子に追いかけまわされたことがあった。

 その首謀者の女の子1人が、ある日俺を追い詰めキスをせがんで来た。

 その女の子には入れ込んでもせず、好みでもないが、2人きりの空間で青春の昂揚を感じてしまい、キスをしたのだ。いわゆるドキドキ体験と言うやつである。

 そこではさすがに、口の中に舌を入れるほど成熟したものがなかった。唇に触れ、頭がまっ白になったのだ。

 和美はどんなだろうと思いめぐらせた。

そして和美にこの件について聞いた。


「和美はどうなの?キスくらいしたことあるだろ」


 和美は答える。

「あるよ、中学で1回、高校で2回だ」


 気持ちちょっと焼けたが、どうだったか知りたくて聞いた。

「その3回のキスどうだった、舌入れたのか?」


 和美が怒る。

「うるせーよ、何でそんなことお前に言わなきゃなんねんだよ」


「ごめん、俺1回あるよ。中学生だったんで、頭がまっ白になった」と答えた。


 和美が言う。

「ふーん、そう言えば中学の時わたしもそうだった。あまり好みでもないヤツがいてね、付きまとうから1回くらい良いかなって思って、そしたら…」

「そしたら…」


 和美が一瞬沈黙したことを追求した。また少し怒らせる。

「うるせーよ、頭がまっ白になったって言っただろう」

 俺は嫌らしく追求する。

「それで、高校時代はどう、イモ時代の和美でも舌を口の中に…」

 これを言うと左頬にビンタされた。バシッと。


 和美の小さい掌は少し汗ばんでいたが、痛いどころか、気持ち良すぎてうっとりとする程だった。

 一瞬その感覚に酔いしれて、言った。

「もう一回殴って、ホレ」

 これを言って頬を和美の前に突き出した。

「バーカ、変態。童貞のこじれたの、何考えてんだよ。舌がどうの、ビンタしてくれだの、キモチワリィンだよ」

 そう言いながらも、そう嫌そうな態度でもなかったことに少し安堵した。


 しかし、和美の促されるままに、2人で大人の関係になってしまう事だけは、どうしても避けたかった。

 この先の事をするにも避妊具すらないし、それをどこで手に入れるかも知らなかった。

 若すぎる身で、子供が出来てしまうなどと言う暴挙になど出るつもりもなかった。


 実のところ結婚と言ったが、つい先頃まで高校生だった身で父親になるなどと言うことが現実的でないのだ。

 それでも、和美との関係は絶対断ち切らないと決意していた。その事を正直に関係に話すことにした。


 当時若い人の男女恋愛でのスラングで、Aがキス、Bが愛撫、Cがセックスだった。

「和美、なんかどうもCしたがってるみたいなんだけど、子供出来たらどうするの?コンドームもないし」


 和美は、現実と堅実と欲求の間に挟まれて少々混乱していた。

 和美は小さい声で話す。

「お前結婚って言ったよな、結婚したけりゃすれば良い。わたし母になるのか。そんなの信じられない。でも、ただそんなことしたって…」


 俺との別れを何も想像していない覚悟も同時に持っている気がして、嬉しい気持ちになった。

この気持ちを正直に答えた。

「結婚はしようよ、でも恵子さんのようにはならない方が良い。恵子さんと同じになる和美は信じられない」

 欲望と趣味談議、若い青春の中に現実に待ち受ける大人の世界の入り口で、迷い苦悶する。

 一軒家で欲望の障壁となるものが何もないなかで、暗く、重く、深い淵の中で沈み込んでいた。


 和美は暗く言う。

「でもね、恵子が妊娠したって話知らないの。あんだけ遊んで歩いて、どうにかなるって、どこか頭の中にあるみたいね。わたし役所の人の妻になるのね、そういうことなのね」


 あの父親に、あのような妹、堅実な世界とは無縁のような和美に突き付けた現実とはそういうことだった。

 思いのまま、望むままに生きる人を見ていて、自分にも当てはめていた和美にとって、彼女にとって俺のその異様な世界に入ると言うことがようやくわかってきたのだ。

 若い者にとっては、現実を受け止めて自分が変わって行くと言うことが簡単のようで、実はそうではない。

 若いほど逆に保守的なのだ。


 人の脳が本当に完成されるのが、30歳くらいの年齢だと最近知られるようになったが、その脳に達してようやく理性的に考え、行動し、周囲の環境に適応したり、受け入れられないことを拒んだりして成熟していく。

 大人になった段階で、自らをかえりみて柔軟に自分を変えていくのはその頃なのだ。

 若い人が社会人になって、自分を抑え込んで我慢しなければならない未熟さというのがまだまだあるのだ。そうでなければ、嫌われ者として社会で角の立つ存在となる。

 何も家庭を持って子供も出来たのだから自然に丸くなる、と言うわけではない。


 そんな堅実で真面目な話になり、2人は少々胸が満たされはじめた。

 公務員になると言うのは、夢や野望のため人生で一花咲かせたい、と言う思いとは無縁の世界である。

 少なくとも当時はそうだった。

 それでも、老後までの視野が開ける職業である。生活もおのずと堅実になっていく。

 和美はその型にはまらなければ、この恋を成就させることは出来ないのだ。

 この痛みを受け止め支えてやるのが俺の役割なのだ。

 もうここで、俺は10代最後の数ヶ月、若さを理由に気後れも、後戻りも出来ないのである。

 ただ、この若いカップルが収入の面で安定はしても、人格的に不安定な青春の境界線にいる中、上手くこの恋を成就させられるのかどうかである。

 心の痛手をともなう強烈な試練を乗り越えなければ難しいことだろう。

 それでも、はじめて異性と交際した2人にとって、この一週間で成長した姿は目覚ましいものがあった。


 和美のベッドに2人で腰掛けて寄り添い、肩を抱くだけで、頭だけあい人生のことについて語り合う。


 そんな素敵な2人の夜に、酔いしれはじめた。








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