第3話 擬態

 ──不思議なことがあるものね。


 あの時から、ミラ・スケイルは何度も深くそう思った。

 いや、厳密に言うとそうとすら言えないのかもしれない。

 なぜなら、今の自分はミラ・スケイルですらないからだ。

 こんなことを言われれば大抵の人間はミラの頭がどうかしてしまったのかと思うかもしれない。

 だが紛れもない現実としてそう言うしかないのだから仕方がない。


 つまりどういうことかというと、ミラは生まれ変わったのだ。

 ミラ・スケイルから、ミラ・スチュアートとして。

 なんの因果か同じ名前になったが、ファミリーネームは異なるから別人としてだ。

 母の名前はクロエ、父の名前はレイモン。

 家は生活にはなんとか困らない程度の地方貴族家で、爵位は男爵らしい……。


 要するに貴族とは言っても、生活としては普通の村人に近いようだった。

 青き血のあるじとして豪奢ごうしゃの限りを尽くしているみたいなことは全くなく、母であるクロエは自らの手で家事をするし、父も書類仕事はそれなりにあるようだがそれでも村人と一緒に作業をすることの方が多い。

 つまりはその程度の貴族ということだ。

 領地だって小さな村が一つとその周辺の土地くらいだ。

 ただ、この周辺の土地というのが意外に面白く、広さだけなら伯爵領にも匹敵する広大なものだという。

 どうしてそんな土地を貴族というよりもはや平民に等しいスチュアート家が持っているのかと言えばこれも簡単な話で、それが全く活用のしようがない土地だからだ。

 ラムド大森林と呼ばれるそこは、その名の通り広大な森林であり、開拓すればそれだけで多くのリターンが得られそうに思うが、実際にはそれは不可能だと言われているらしかった。

 というのもラムド大森林の中には強力な魔物が大量に跋扈ばっこしており、通常の人間などとてもではないが足を踏み入れることすら出来ない魔境だからだ。

 スチュアート家はそんな魔境の端っこを、かつて曲がりなりにも開拓したという実績でもって今のミラの祖父の代に男爵に任じられ、それ以来ここを領地にしているということらしい。

 そういった話を、ミラは転生して十年の間に両親や村人達から聞いて育った。


「しかし、平和なもんだなぁ……前世の血と泥にまみれた生活がうそみたい」


 聞かれてはまずい独り言を誰にも聞かれないように静音結界を張りながら村を歩きつつ、ミラはそんなことを呟いた。

 この十年、自分の状況についてありとあらゆる意味で把握してきた。

 もちろん、可能な限り目立たずにだ。

 流石にどうやら生まれ変わったらしいこと、スチュアート家の子供だということはすぐに分かったものの、それ以外のこと……自分が死亡してからどれくらいの時間が経っているのかとか、昔の知り合いがこんな風になった自分を探していないかとか、そんなことも含めて知るべきことは山ほどあった。


 一番重要なのは当然、前世における知り合いのことだろう。

 言うまでもなく、ミラ・スケイルは暗殺者だった。

 それもその腕は最上と言われるほどのもの。

 奪った命は数知れず、そしてそれだけに知っている秘密は恐ろしいほどにある。

《組織》としてはミラがはっきり死んだと確認できない限りは心配だろうし、そうである以上探し続けるに決まっている。

 とはいえ、ミラは自分がアンジェラに確かに殺されたことを覚えている。

 だからこそこうしてミラ・スチュアートとして生まれ変わっているのだろうし、その意味では見つけられる心配など無用かもしれない。

 ただ、そもそも影の者として生きてきたミラの生死が果たして正確に《組織》に伝わっているのか、というのが心配だった。

 アンジェラがミラの死体を持ち帰り、確かに死んだと報告し、その情報を《組織》が得ていればそれでいいのだが……。

 そうでなければ、《組織》はミラを探し続けるだろう。

 悩ましいところだった。


 とはいえだ。


「悩んでも仕方ないか。それにせっかくこうして生まれ変わったんだし、前は出来なかったことを沢山したいなぁ」


 ミラは一人、そう呟く。

 そう、以前出来なかったこと。

 暗殺者として生きている以上、望むことすら許されなかったことだ。

 ミラは生まれてからこの十年、考え続けた。

 その中の大部分は、前世にまつわる心配事が占めていたが、十年も経つと流石に思う。


 流石にもう、大丈夫ではないか?


 そういうことを。

 そもそも生まれ変わりという考え方はこの世に存在しているが、それを実際に確認したなんていう者は、それこそ宗教の経典の中にしか存在しない。

 つまり真面目にそんなことが起こると信じている者など、ほとんどいないと言っていい。

 仮にいたとしても、そんな奇跡が降りてくるのはよほどの聖人・聖女の上にであって、そんなものとはまるで正反対の生き方をしてきた罪深いミラが生まれ変わりなどするとは、それこそ、その仕事ぶりを評価してくれていた《組織》ですら信じないに違いない。

 だから、もう気にしないで生きていって良いのだと、そうミラは思いつつあった。

 であれば、そろそろ好きに生きる、そのために動き出しても良い時機だろうとも。 


 この十年、とにかく《組織》に嗅ぎつけられることを避けるため、普通の子供として擬態しながら暮らしてきた。

 言葉遣いも以前のものとは変えているし、魔術などについてもあまり使わずに過ごしてきた。

 武術・暗殺術の訓練だけはしなければ感覚がなまるため、早起きして、可能な限り人目につかない場所で行ってきたが、その程度だ。

 そしてそれでも、あまり根を詰めすぎて異様な筋肉の付き方にならないように気を遣ってきたから、たとえ脱いでも普通よりは引き締まった体をした子供かな、と思われる程度に抑えられている。


 だが、流石にもういいだろう。

 実力をセーブすべき期間はもう過ぎた。

 ここからは望むように、好きなように生きていいはずだ。

 ミラはそう思った。

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