第2話 新たなる人生

  ──あぁ、暗い。


 深く暗い闇の底に、今自分がいることをミラは自覚した。

 死は救済だとか解放だとか、そう教えられて三十年近くを生きてきた自分である。


 けれどもこうして実際に体験してみると、それがいかに心細く、つらいものかを少しだけ理解できた気がした。

 しかしそれと同時に、確かにここにはある種の救いがあるかもしれないとも思う。

 生まれたその時から暗殺一族の人間として育てられてきたミラにとって、人生はその瞬間から決まっていたようなものだった。

 人を殺して生きていくことが。

 そのために必要なありとあらゆる技術がミラにたたまれたことは感謝している。

 お陰で生きていくことそのこと自体にはさほどの苦労はなかったからだ。

 ミラには才能があった。

 どんな相手であってもその力でもって倒しきる能力が。

 しかし問題があったとすれば、才能がありすぎたことかもしれない。

《指令》に従って仕事を一つ一つ、確実にこなしていくミラは、暗殺者としてそのまま順調に評価されていった。

 気づけば《最強の暗殺者》と呼ばれるようになり、ありとあらゆる要人から恐れられる存在となっていたのだ。

 そのことに多少の達成感がなかったとは言えない。

 ただそれでも、今この場で考えてみるに特にミラは、人殺しが好きだったというわけではなかった。

 戦うこと自体は好きだったけれど、何の手応えもない相手の命を奪っていくことには何かむなしさのようなモノがあったように思う。

 あれは……。

 いや、ことここに至って思い出しても仕方がないことか。

 それにもう自分はあんなことを繰り返す必要はないのだ。

 自分は死んだ。

 永遠に《仕事》に精を出す必要がない存在となった。

 そのことは、確かに救いに他ならない。

 出来ることなら、もっと別の救いがあってくれてもよかったな、と思わないでもないが今更なことだ。


 そんなことを考えながら一体どれくらいの時間がっただろうか。

 何も見えない暗闇の中でずっと、まるで水の中に沈んでいるようだった。

 しかしそんな自分が急速に何かに引き上げられるような感覚を覚えた。

 やめてくれ。

 私はもう終わった人間なのだ。

 だからずっとここにいる……触れないでくれ。

 そう願い、あらがおうとしたものの全くの無駄で、意志とは異なり引き上げられていく。

 暗闇の中が徐々に光へと近づいていく。

 まぶしい。

 あれは死んだ自分にとっては触れるべきではないものだ。

 あの中にはたくさんの善きものがあって、それを自分はひたすらに奪い続けてきた。

 戻る資格などない。

 そんな気持ちが自然に浮かんでくる。

 だが、それでもどうにもならなかった。

 光は徐々にミラの視界を真っ白に染め上げていき……。


 ◆


「……ミラ。ミラ……!」

 自分の名前を呼ぶ声がする。

 それはとても優しく、穏やかなものであった。

 少なくとも今まで生きてきた三十年近くの間に聞いたことは数えるほどしかないもの。

 それも、ミラ自身をそのように呼ぶ声など、まずなかったというのに、今確かに自分はそう呼ばれていた。

 だから、何か返事をしなければ。

 そう思って喉に力を入れてみると……。

「あぁ……おぎゃあ……おぎゃあ……」

 言葉にならないそんな声だけが喉から発せられた。

 他に何か言おうとするも全くの無駄で、これは一体どういうことかと不思議に思う。

 そういえば、どうにも体が重いというか、自由に動かないような気がした。

 今まで三十年近く、体を鍛え上げることに血道をあげてきたというのにその修練が裏切るはずもない。

 なのにおかしいと思う。

 そんなことを考えていると、ふわりと自分の体が持ち上げられたのを感じた。

 そんな馬鹿な。

 ミラの体は確かにそこまで重くはないだろう。

 同年代の成人女性と比べるとあれだが、少なくとも成人男性と比べれば相当に軽い方だ。

 けれどもだからといってそう簡単に持ち上げられるような体重をしてはいない。

 にもかかわらず、たった今自分の体を持ち上げた人間には一切の力みが感じられなかった。

 それに、おかしい。

 自分の体は今、その人物の胸元に抱えられていて、ゆっくりと揺すられている。

 若い女性のようで、優しげな微笑みをミラに向けながら、心地よくなるような歌を歌っている。

 あぁこれは……そうか。

 子守唄だ。

 はるか昔にどこかで聞いた覚えのするような節だ。

 それを聞いているうち、少しずつまぶたが重くなっていき、ミラの意識は暗闇へと沈んだ。

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