かつての暗殺者は来世で違う生き方をする

丘野 優

第1章 死と転生

第1話 暗殺者の最後

「あー……まずったなぁ……!!」


 口から血を吐きながら、それでも明るく笑みを浮かべ、楽しげにそうつぶやいて森の中を走る女性がいた。

 衣服の腹部もまた血で赤く染まっており、かなりの重傷を負っていることは明らかだというのに、である。

 そんな彼女が、まるで滴る血のように赤い髪を乱しながら、後ろをしきりに気にしているのは、たった今、《仕事》を終えてきたからだった。

 ……いや、失敗して逃げているところ、というのが正確かもしれない。

 失敗したら逃げなければならない、彼女の職業、それは世界中のあらゆる人間から嫌悪され、憎まれ、疎まれる闇の仕事を生業なりわいとするもの。

 決して人が自由にすべきではない、神聖なるものを、金銭を対価にして権利なく奪うもの。

 つまりは……。


「……今回の暗殺、うまくいかなかったなぁ! まさか古代魔道具を準備してるなんてねぇ……面白かったけど!」


  闇の手、魔手、死神のかいな……そう、暗殺者。

  それこそが、彼女の職業であり、天職であった。

 しかし、彼女が一人呟くように、彼女は今回の《仕事》を完遂することが出来なかった。

 この世界でも腕利きとして知られる……いや、最強の暗殺者とまで言われる《万象》《ばんしょう》のミラ・スケイル。

 そんな彼女ですらも、出来なかった《仕事》。


「…… 流石さすが、王サマの警護は厳重すぎるほど厳重ってことねー! 次はもっとしっかり、確実に息の根を止められるように頑張らなきゃ! じゃないと……」


 そこまで呟いたところで、一条の光が、ミラの背後から襲いかかってきた。

 気配に気づき、直前で横にけると、前方にあった木々にその光が命中する。


「!? これは……氷? ってことは……」


 光が照射された場所が、気づけば完全に凍りついている。

 それに気づいた直後。


「ミラ・スケェェェイルゥゥ!!!」


 と、背後から叫び声が聞こえてくる。

 見れば、後ろから大剣を振りかぶって物凄ものすごい速度で迫ってくる、よろいまとった少女の姿がそこにはあった。

 それを見て、ミラは妖艶に笑う。


「ふふっ。やっぱり来たわねぇ、アンジェラ!」


 彼女の顔を、ミラはよく知っていた。

 むしろ、彼女の名前と顔を知らない者の方がこの国では少ないだろう。

《氷の騎士姫きしひめ》アンジェラ・カース。

 いまだ十代でありながら、その腕は国一番とまで言われるほどの豪の者だ。

 あんなものが、怒り狂いながら追いかけてくるなど、誰であってもおびえ、恐れ、諦める……そんな状況だ。

 しかし、ミラは普通とは違った。

 それも大幅に。

 全く怯えることなく、むしろ口笛を吹きながら楽しそうに腰に差された二本の剣を抜いて、迎え撃つ。


 ──ギィィィィン!!


 と、アンジェラの振り下ろした大剣が、二本の剣をクロスさせたミラによって受け止められた。

 そのまま、ギリギリと鍔迫つばぜいが始まり、二人の顔が近づく。


「……ミラ・スケイル、貴様……陛下の寝所に忍び込むなど……何をしたか分かっているのか!!」


 アンジェラが怒り心頭、といった様子で叫ぶ。

 しかし、ミラの微笑ほほえみを崩すには至らない。

 ミラにとって、アンジェラの言葉は自明だからだ。

 何をしたか?

 そんなものは、はっきりしている。

 なぜって、ミラの《仕事》は人殺しなのだから……残念ながら、失敗してしまったけれど!

 だからミラは答える。


「うーん、本当ならちゃんと殺してあげたかったんだけどねぇ! 貴女あなたのところの陛下、準備が良すぎない? 古代魔道具があったんだけどぉ! そのせいで私こんなだよ、こんな!」


 口から滴る血を見せびらかしながら、ヘラヘラと笑うミラに、アンジェラは意外な反応を見せた。


「……通りでいつもの勢いがないわけだな。ミラ・スケイル……お前のことは、敵ながら尊敬すべきところもあった。その腕、その力……暗殺者だというのに、いつも真正面から挑んでくる馬鹿みたいなやり方……」


「えぇ、ひどすぎない? 馬鹿って。私結構賢いんだけどなぁ!!」


「確かに馬鹿にはそれだけの魔術を多重励起など出来んだろうよ。だがその生き方は、馬鹿だ。しかし今日ばかりは違う──なぜ、汚い手で陛下の命を狙った!? 貴様は……貴様は!!」


 なぜか、殺しにかかってきているアンジェラの方が、よほど泣き出しそうな表情をしている。

 そのことにミラは困惑しつつも、言う。


「暗殺者に期待しすぎだってぇ! いつもだって真正面からやっても簡単だからそうしてただけだし? 今回はちょっと難しかったからさぁ!!」


「そんなはずはない……貴様は……貴様は……」


可愛かわいい可愛い、アンジェラちゃん、敵である貴女が私の何を知ってるのかなぁ……? ま、でもそんなに敬ってくれるんだったら、今日は見逃してくれてもいいのよぉ? そうすれば……次こそは王サマの暗殺を成功させるけど、ねっ!!」


「……所詮は、暗殺者、か……私の目が曇っていたのかもしれん……であれば……」


 ──ガキィン!


 とミラは吹き飛ばされる。

 そして、アンジェラの纏った雰囲気が変わった。

 彼女の体から強力な魔力が噴き出す。


「本気ってわけ……!? ならこっちも……」


 同時に、ミラの体にも恐ろしいほどの力が集約されていく。

 しかし……。


「……げ、げほっ……」


 膨大な魔力の集約は、体に巨大な負担をかけた。

 その結果、かろうじて血が止まりつつあった腹部の怪我けがが開く。

 喉に血が絡み、集中力がわずかに落ちる。


「ミラ、お前は私が考えていたような人間ではなかったのかもしれない。ただそれでも……。こんな決着の付け方は、望んではいなかった……」


 アンジェラの方は何の問題もなく、魔力の集中が終わる。

 大剣が、あおく輝く魔力光に包まれていた。

 魔剣術の極致と言われる技術である。

 体が万全の状態であれば、ミラにも使えるものだ。

 むしろ、昔ならアンジェラは使えず、ミラがそれをもってアンジェラの追撃を軽くあしらってきた。

 それが今や……。


「……さらばだ、ミラ。お前の名前を私は忘れることはないだろう」


 どことなく敬意すら感じる表情でそう言い切ったアンジェラ。

 そんな彼女に、何かうれしく思ったミラは言う。


「ふ、ふふ……言うねぇ!! いいよ。来な……さいな!!」


 しかし、ミラにはもはや、一切の余裕はなかった。

 それでもうそぶいてみせることが、ミラの暗殺者としての矜持きょうじだった。

 それが、自らが望んでもいない矜持だとしても。

 そして、アンジェラが駆け出し……大剣がひらめき、決着が訪れる。


「……ぐ、ぐふ……」


 口から大量の鮮血が吐き出される。

 もちろん、ミラの口からだ。

 体に巨大な切り傷を刻まれ、ミラはそのまま崩れ落ちる。

 空を見上げたような状態で。

 しくも、目の前にあったのは美しく輝く星空だった。


「…… 綺麗きれいな夜空」


 そこに。


「……最後に見る景色としては上々だろう。ミラ・スケイル……」


 アンジェラの美しい顔が視界に入り込んでくる。

 彼女の黄金の髪が流れ、そこに星空の光が映り込み、幻想的な美しさを醸し出していた。

 まるで天使のようだった……ミラにとっては、死の天使でしかないわけだが。


「アンジェラちゃん……そうだねぇ……確かにそうかも。それにしても、強くなったんだねぇ……」


 死を前にすれば、全ての憂いは解き放たれる。

 だから惑うな。

  お前の手は、人の憂いを解き放つために役に立つのだから。

 昔から教えられてきた、その言葉が事実だったことを、ミラは死の間際になって感じていた。

 口からスラスラと、素直な気持ちが吐き出される。

 今まではアンジェラのことなど、あおりに煽って生きてきたというのに。


「……ミラ。お前、何を……」


「別に? 思ったより悪くない最期だからさぁ……仕事の失敗だけはいただけないけどぉ……」


 こんなに穏やかに死ねるのだとしたら、それこそ上々だろう。

 星空の下、人生最大の好敵手であった死の天使に見送られながら、安らかに暖かな闇が迎えてくれるのだ。

 今まで数え切れないほどの罪なき人々を、自分のために冥界に送ってきた悪人の最期としては、最上の終わりだと言える。

 けれど、そんなミラを気遣わしげに見つめ、アンジェラは絞り出すように尋ねる。


「……何か、ないのか。恨み言とか……」


 面白いことを言うな、と思った。

 そんなもの、自分に言う資格などない。

 誰の遺言もまともに聞かなかった自分には。

 ただ、口は思っても見なかったことに、勝手に動く。


「ないない……あ、でも……あれかな……」


「なんだ」


 身を乗り出すように尋ねるアンジェラ。

 その言葉は思ったよりも素直に口から吐き出された。


「暗殺者になんて、生まれたくなかったなぁ……」


 言って、あぁ、そうなのかぁ、とミラは自分でも思った。

 いや、本当は気づいていた。

 昔から。

 暗殺者の一族に生まれ、才能を認められて研鑽けんさんを重ね、そして最上の腕を持つ暗殺者として名を知られ……。

 それでもなお。

 自分が望んだ人生は、これではなかったのだと。

 ただそれを口にすることは、思いを形にすることは、自分には許されていなかっただけで。

 周囲から頭がおかしいと言われるほどに適当なことばかりしゃべってきた自分だったが、それだけは言えなかった。

 何が好き勝手に生きる狂人なのだろう。

 むしろ雁字搦がんじがらめで、自分の意志なく生きてきただけの、愚か者だ、これでは……。

 しかし意外なことに、そんな思いを込めたミラの台詞せりふに、誰よりも驚いたのはどうやらアンジェラの方だったらしい。


「……なんだと?」


 それが、ミラの最後に聞いたアンジェラの言葉だった。

 いや、厳密に言うなら、アンジェラの叫び声のようなものがいくつも聞こえた気がする。

 肩をつかまれるような感覚も。

 ただ、死の間際の鈍い知覚では、それも揺り籠のように心地いい揺れに過ぎず……。


(もしかしたら意外に悪くない人生だった、かもねぇ……)


 視界全てが真っ暗闇に染まる直前、ミラはそう思ったのだった。

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