第15話 実験

 それから五分ほどして戻ってきた。

 その手には小さなねずみが捕獲されていた。


「その鼠は?」


「これは魔鼠まそだね。王都の下水道とかにもいるでしょ?」


「あぁ……確かにいるようだね。駆け出しの冒険者が処理してくれてるから、目にする機会は少ないが……」


「森にもいっぱいいるけどすばしっこいから、行商人とかの旅でも見る機会は少ないかな」


「というより、普通の鼠と魔鼠との違いはパッと見では分からないんだ。君はどうやって」


「私は見れば魔力があるって分かるんだけど……確かにこれくらいの量の魔力じゃ感じられないかもね」


 魔鼠は、魔物であるから魔力を持ってはいるものの、非常に微弱な力しかないため、感知能力がよほど高くないと分からないのだ。

 事実バーグは魔鼠を凝視し、しかし十数秒で諦めてため息をついた。


「うーん……やはり、私には分からないね。殺して解体してしまえば、魔石が小さくてもあるだろうから、分かるのだろうが」


 魔物は共通して体内に魔石を持つ。

 だから解体すれば確実なのだ。


「あとで確認してみても良いかもね」


「あぁ、そうだね……それはともかくとして、そんなものを捕まえてどうしたんだい?」


 魔鼠だということは分かっても、捕まえてきた意味は分からない。

 バーグがそう思って尋ねると、ミラは答えた。


「これを、今から人工的に魔脈硬化症にしてみてから《風灯草》を投与するの」


 この提案に、バーグは驚く。

 普通に考えれば、生き物を人工的に特定の病気にする手段など、あるわけがないから当然だ。

 だから叫ぶように言う。


「そ、そんなことが出来るのかい!?」


「うん。魔脈硬化症の発症の原因は、体内の魔力バランスの乱れと、ちょっとした刺激を与えられることにあるから……。ただ流石に人間を人工的にそうするのは無理なんだけどね」


 これは嘘だった。

 ミラはやろうと思えば人間に対しても、これが可能である。

 ただ、ことさらにバーグを怯おびえさせる理由はないために、そう言ったのだった。

 バーグも、もしかしたら、とはどこかで思ったが、今はそこは重要ではないと考え、ミラに言う。


「つまり、実験できるということか……だが、《風灯草》はこれしか」


 バーグは自分の手に持った《風灯草》を見る。

 確かに実験できるというのなら願ってもないが、使える素材が少ない。

 ここで使ってしまって、もしもこれが効く素材であることが判明した場合には問題だろう。

 もう一つ見つかるかどうかも分からないのだから。

 そう思っての言葉だったが、ミラが魔鼠を持っている手とは反対の、もう片方の手を出して言った。


「ここに《風灯草》がもう一つあるから、それは持ち帰って大丈夫だよ」


「えっ……本当だ。このたった数分で見つけたのかな……?」


「さっき歩いてるときに見かけたの。もう既に一本採取してるから、さらにもう一つ採取しなくても良いかと思って見逃したけど、実験するならあった方がいいでしょ?」


「ま、まぁ……そういうことなら」


「うん。じゃ、やってみるね……」


 ミラはそして、魔鼠に対して魔力を注ぎ始めた。

 通常、魔力を持つ生命体は外部の魔力に対する抵抗力を持っているため、その生命体が自ら受け入れる意志を持っていない限り、魔力を体内に注ぐのは難しい。

 たとえば魔物を倒そうとした場合、呼吸をしていることを考えれば、魔術によって肺の中に直接水を注いでやればそれで終わるし、火で焼いてやっても同じことだ。

 しかし、それはその抵抗力の存在によって無理なのだ。

 けれどミラはその論理に反することを今、行っている。

 その凄さは、流石に商人でしかないバーグにも理解できた。

 ただ、ここでそれはおかしいだろうと突っ込んで、実験をやめると言われても困る。

 だから何も言わずに見守った。

 そして……。


「……はい、これでとりあえず魔脈硬化症になった魔鼠が出来上がったよ」


 ミラはそう言って尻尾をつかみながら皆に魔鼠を見せる。

 見れば確かに、魔鼠の一部……後ろ足の付け根の部分から、腹部にかかった辺りが水晶のように固まっていた。

 そしてそれはゆっくりとではあるが体全体に向かって徐々に広がっている。

 それは実のところ、恐ろしい進行速度だった。

 人間の場合、この水晶化は数ヶ月、数年かけて全身に広がっていくというのに、この魔鼠はおそらく一日も経てば体全体が水晶化してしまいそうな勢いだった。


「なぜこれほど進行が速いのかな……?」


 バーグの疑問にミラが答える。


「私がこの魔鼠の魔力バランスを大幅に崩したからだね。普通はここまではならない……まぁ、それはいいんだけど、この魔鼠に《風灯草》を粉末化したものを飲ませるよ」


 ミラの持っていた《風灯草》がふっと空中に浮遊し、風化するかのように粉末になっていく。

 そしてそれが少しずつ風で運ばれ、魔鼠の口の中へと注がれていった。


「……何も起きないね?」


 アルカがそう呟く。


「別に大丈夫ってことか?」


 ジュードもそう言った。

 しかし次の瞬間、魔鼠の体が、ビクッ! と跳ねるように反応し、水晶化した部分がほのかに光る。

 それからが見物だった。

 先ほどまでは数秒に一ミリくらいずつ進行しているかに見えた水晶化だった。

 それでも恐ろしい速度だった。

 だが、その瞬間からその速度は数倍になり、そのまま体全体を覆っていく。

 そして、最後に残った魔鼠の目が水晶に覆われかけたその瞬間……。


「……はい、というわけで危険なんだよ」


 そう言ったミラが魔鼠に魔力を込めた。

 すると魔鼠を覆っていた水晶が、パンッ、と割れるように崩れて、パラパラと落ちる。

 魔鼠は目をぱちくりとさせ、それから地面に降りた。

 そのまま森の中へと走って逃げていく。

 どうやら、治ったらしい、とそれで分かったが、バーグはなんと言えばいいのか分からず少しの間、沈黙していた。

 しかし、聞かずにはいられず、尋ねる。


「今の魔鼠は……魔脈硬化症を完治したのかい?」


 ミラは言う。


「そうだね。そういうことになるかな」


「君は、薬も使わず治せると?」


「……今のは、特殊事例だよ。私の魔力で乱した結果の魔脈硬化症だから、逆に私が体内の魔力バランスを整えてやることで治せた。でも、普通は薬が要る。特に人間の場合はね」


「そうか……君が治せるのなら、そのまま連れていきたいところだったが……しかし、《風灯草》では治らないのはよく分かった。だがこれでは……」

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