先生

明日出木琴堂

先生

うちの家には今、一匹の猫がいる。

名を「うずら」という。

レディだ。年老いた。

気の強い。おばあちゃん猫。

年齢の割には大食漢。(メスだけど…。)

いくら食べても太らない。

世の人間の女性からすると、羨ましい限りの体質の持ち主。

手足も尻尾も長い。

お尻も小さい。

内股で長い尻尾をフリフリ闊歩する。

歩く姿は柳腰。


そのしなやかなボディーは短毛の白黒ツートンカラー。

柄がうずらの卵にそっくりだったので「うずら」。

鼻はツルツルピカピカのベイビーピンク。

肉球もツルツルピカピカのベイビーピンク。

残念なのは八割れではないとこ。

七三分けのブラックジャック。

顔は小さく、顎は先鋭。

猫らしからぬお顔立ち。

瞳孔の細い彼は誰時かはたれどきは、妖狐そっくり。

黒目がちの逢魔がおうまがどきは、信じられないほどの別嬪さん。

明るい時には裏の顔。暗い時には表の顔。

「ツンデレ」と言うか…。「悪女」と言うか…。


うずらとの出会いは偶然。

庭で洗濯物を干していると、何かに見られているような気配。

恐る恐る、気配がする方を見てみる。

「ギョ!」

家の角から睨む小さな半顔のこわい顔。

体に戦慄が走る。思わず後ずさり。

しかし、落ち着いてよく見ると、それは子猫。

どこかのお家の飼い猫の散歩中だと思い、怖がらせぬようこの時はそっとこの場を退散。

翌日、同じように庭で洗濯物を干していると、やはり何かに見られているような気配。

昨日と同じ所に目線をやると、やはり、家の角から睨む半顔のこわい顔。

「チッチッチッ…。」と口を鳴らす。

ゆらゆらと近づいて来る小動物。

そのまま私のつっかけに頬擦り…。

「えっ?!お前迷子かえ?」

子猫の行動に驚き桃の木山椒の木。

理解されるはずもないのに言葉をかけてしまう頓馬な私。

子猫は「ミーミー」鳴きながら頬をスリスリ。

「分かった。分かった。じゃあ〜、うちの子になりますか?」

答えが返ってくるはずもないのに、律儀に言葉をかけて確認する阿房な私。

子猫は相変わらず頬をスリスリ。

それを喜んでいるのだと勝手に解釈する間抜けな私。


こんな荒唐無稽なやり取りがあって、この子の迎え入れが決定。


この時点で、私の家には先住民ならぬ先住猫がおりました。

二匹のおじいちゃん猫。

日がなのんびり過ごしておりました。

そこに新参者ならぬ新参猫の加入。

「一触即発の事態が勃発か。」と思いきや、おじいちゃん猫たちにはそこまでの気力も体力もナッシング。

数日後には、新進気鋭のお嬢ちゃん猫による我が家の天下統一は完了。


衝撃的な出会いから十数年、お嬢ちゃんもおばあちゃんに。

この間に、おじいちゃん猫たちは次のせいへと旅立ち。

今はお連れの爺がいなくなった姫様のうずら一匹。

黒毛の部分には白髪。

しなやかピチピチだったボディーも骨と皮。

「よく眠るから寝る子。」から「ネコ」と呼ばれるようになったとか…、定かではございませんが、性格が神経質なうずらは、幼い時より眠りが浅い。

しかし近頃は、大きな物音がしても起きる気配が全くない。

神経質故からか、毛づくろいにも余念がなかった。

この頃では、あれ程こまめに行っていた毛づくろいもしない。

テーブルから音もなく忍者のように飛び降りる軽やかさは無く。

前足が折れるのではないかと思うほど、大きな物音を立てて着地。

これまで触らせることも無かったお腹を「触れ。」と、せがんでくる。

どこか調子が悪いのかも知れない。


同じ時間を私も年を積み重ね、同じように老化を積み上げた。

出勤前の運動も何時しかやらぬようになり、ベッドから体を起こすことも大仕事。

これまで気にしていた体型も、気にすることを知らぬ間に止め。

鏡の前に立てばそそり出るお腹。

どこか悪いのかも知れない。


今、うずらと私は多分同い年位。うずらが私の年に追いついた。

これまでも何匹かの猫たちと時間を共有させてもらった。

そして、彼らとの別れも何度と経験させてもらった。

若い頃の私には、彼らとの別れは単なる通過点。

若い頃の私には、彼らは単なるペット。

近頃の私には、うずらは家族とまでは言わないが干渉することない同居人。(猫だけど…。)

歳を取るほどに瞬く間に消え去る一日。

その中に在るほんの少しのゆっくりとした時間に身を委ねる。

「あと何回、うずらと一緒に桜を見れるでしょう。」

「あと何回、うずらと一緒に野菜を収穫出来るでしょう。」

「あと何回、うずらと一緒に黄色い絨毯を歩けるでしょう。」

「あと何回、うずらと一緒に炬燵でゴロゴロするのでしょう。」

互いに残された時間を足掻くでも無く、藻掻くでも無く。ゆるりと天命を待つ。


この歳を迎え、彼らの凄さを知らされる。

彼らはいつも最後まで元気。そしていつも、急に旅立つ。

一切、弱っている姿を晒さず。若い頃と変わらぬ姿勢。

最後まで弱いところを見せない気高きせい

まるで教えを受けているよう。

「最後の最期まで、己らしく。」と…。

猫たちは本当にニャンコ先生。

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先生 明日出木琴堂 @lucifershanmmer

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