第2話 先ずは自己紹介

 私は、昭和も終わる頃、先述した通り、男ばかり4人兄弟の3男として生を受けた。


 長兄とは6つ、次兄と弟とは3つ違いで貧乏ではあったが、食うに困る事はなく、すくすくと育ったように思う。


 私は、サッカーが大好きな子どもだった。父は、吹奏楽部で母は、確かバレー部だった。そして、兄弟の誰もがサッカーをしない中、どうしてそれほど好きになったのか、今となっては分からないが、一番上の6つ上の兄が一時期サッカー教室に通っていたのだ。それを迎えに行った母に連れられてその練習風景を一度だけ見た記憶が脳裏に残っている。

 当時、私が4才くらいで小学生の兄が、そこでキーパーをしており、横っ飛びでボールをキャッチする映像だ。

 多分それが私をサッカーにのめり込ませた原因だ。その証拠に、私の保育園の卒園アルバムには、将来の夢に『サッカー選手』と書かれている。今ではサッカーもプロを夢見るのが当たり前だが、当時はプロリーグすらなくメディアで取り上げられるサッカーといえば正月の天皇杯や高校選手権が最高峰で、職業として確立されていなかったのにも関わらずそれを夢見ていた。当時の子どもの夢が、サッカー選手というのは少数派だった。

 しかし、日本を代表するサッカーアニメの影響で、私の周りにはサッカー好きな同年代が多数おり、寝ても覚めてもサッカーをしていたように思う。早くサッカーをしたいがために、朝早くから2キロメートルを超える通学路を通学班を無視して走って通い、校庭でボールを追いかける子どもだった。


 サッカーをしていたおかげか、私は同年代の子どもたちよりは力が強く、短距離走は私より早い子もいたが、長距離走に至っては、誰にも負けなかった。兄が二人もいるおかげか、ケンカをしても負けなしだった。


 兄弟げんかは日常茶飯事で、回数なんていちいち覚えていないが、父の「ケンカをするのは良いが、道具を使ってはいけない。自分の拳のみで挑みなさい。そして、相手が泣いたらそこで終わり。それ以上は絶対にケンカをするな」という教えは、今でも覚えている。私は負けず嫌いだったから、3つ上の兄と良くケンカをした。6つ上の兄とも多少はケンカをしたが、その年齢差は圧倒的で、適当にあしらわれて泣かされることが嫌でいつしか挑むこともなくなったが、3つ上の兄には「負けるもんか」と常に思っていた。全戦全敗だったが。


 小学校の勉強については、父や兄が二人とも優秀だった影響で、控え目に言っても良くできた。テストでは100点を取るのが当たり前の家だった。

 入学式では、周りのみんなが先生の問いかけに「お父さん指~! お母さん指~!…」と答える中、「親指。人差し指…」と答えるようなませたガキだった。

 6年間を通して、100点でなかったテストは、当時嫌いだった社会の先生の授業で寝てしまった後の一度きり。両親に怒られることはなかったが、悔しくて、自分で自分が許せなかった。良くも悪くも家族からも周囲からもバカにされたくない、プライドの高いクソガキだった。


 当時の家族一人一人を簡単に説明するとすれば、父は、寡黙で怒らせると怖い人。母は常に怒っている病弱な人。長兄は敵わない人。次兄はひょっとしたら勝てるかもしれないライバル。弟は迷惑をかける鬱陶しい存在。そんな家族の中で小学校時代を過ごした。


 そして、小学6年生にして、私の人生は一度目のピークを迎えた。


 そこから、坂道を転げ落ちるように第1次暗黒期に突入するとは、思ってもみなかった。



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