しぶしぶと雨の降る午後1時は、まだ冬の寒さを名残惜しそうに抱きしめていた。休日であるのにひとの姿はまばらで、雨足に怯えることなく、傘も差さずに堂々と歩いているひとも散見された。


 風は強くはないけれど、ひんやりとした空気がどこからともなく闖入ちんにゅうしてきて、身体が自然と震えることもあった。家事により腫れ物ができた両手を手袋で守っているものの、冷気は容赦なく手首から入り込んできて指先から温もりを奪っていく。


 H駅のプラットフォームも賑やかではなかった。子ども連れの家族はどこにも見えなかった。スーツも学生服も視界には入らなかった。ほとんどが冬らしく着こんだ大人たちで、どこになにをしに行くのかを予想するのは艱難かんなんだった。


 しかし、わたしもそのうちのひとりとして、周囲の人びとから数えられているに違いない。わたしはこういうことに気付いてようやく、自分と社会の接着点を見つけることができる。自然と微笑してしまいそうになった。


 K駅に停まる電車は間もなくやってきた。降車する客の数は、片手で数えるほどしかいなかった。それでも、腰をかける席を見つけるのに苦労はしなかったし、吊革につかまっているひとはいなかった。扉の近くでスマホをいじっている若者が何人か見えたほかは、みなことごとく着席していた。


 雨曇りの空の下で営まれているわたしたちの生活は、電車に乗っていると浮世のことには思えない。自分の努力ではどうにもならない速さに身を任せていると、日常から遊離していくような不思議な感覚に陥る。


 リュックから文庫本を取り出すと、何度読んだか分からない、荒廃していく平安朝で正義と悪のどちらを選ぶかで葛藤する男性を描いた短篇に目を通しはじめた。マリー・アントワネットが登場する歴史ものの小説を作る気でいたのだが、わたしはその見本――理想像を、この短篇に求めていた。


 主人公の心情の揺れ動きを巧みに描いたこの短篇に劣ることのない小説を、いつになったら書くことができるようになるだろうか。作者がこの短篇を書いていた年齢は、もうとっくに越えている。


 せめて、三十歳の前半には自他共に評価できる(される)短篇を書くことができるようになりたい。しかしそのためには、鹿野のような向上心と努力が必要である。


 この短篇を読了したのは、Y駅を過ぎて間もなくのところだった。K駅まではもう少しだけ時間がある。そこでわたしは、こちらから身勝手に距離を取ることにした「物書き仲間」のことを考えた。


 約三年前に、創作活動を再開してから知り合った「物書き仲間」たちからは、たくさんの刺激を受けてきたのは事実であり、時折、温かい言葉をかけてもらうこともあった。その点では感謝をしているのだが、まるで蜘蛛の巣のように緊密な「物書き」の繋がりは、感じやすく気疲れのしやすいわたしにとっては、苦悩の種でもあった。


 そして、「知り合い」だからという理由で、連載の1、2話くらいを読んで「おさらば」してしまう、いわゆる「読み合い」みたいな文化には辟易へきえきとしていたし、イベントでお会いしたときに新刊を買ってくれる、その義理人情には感謝しつつも、まだわたしを知らない方々に手に取ってもらう分の同人誌が減ってしまうことには悩みもあった。


 もちろん、その中には、わたしの同人誌と真剣に向き合ってくださる方もいて、わたしはその人たちとは断交するつもりはさらさらないし、自作を手に取ってくださることに不平不満もない。


 と、「物書き仲間」に対しては複雑な感情を覚えていた。だが、鹿野と話しながら改めてその関係性について俯瞰ふかんして考えてみると、わたしの作品に真剣に向き合ってくださるかた以外と繋がっている必要はないという、薄情と思われてもしかたのない結論に至った。


 しかしこの結論を受け入れなければ、プロになることはできないだろう。自分の「作業」にリソースを割り当てずに、「仲間」であり続けるための営みに注力するなんてバカらしい。


 わたしは「物書き仲間」に嫌われてもいいから、自分のするべきことに集中する道を選ばなければならないのだ。


     *     *     *


 K駅を降りるとスマホのマップ機能を使用し、目当てのお店の場所を確認した。なにしろはじめて来る場所ゆえに、まず「何口」を抜ければいいのかも分からない。遠くに見える西口で、傘を開く人びとの姿がぼんやりと見えた。どうやら、ここから先は傘を差さなければならないようだ。


 そのときだった。わたしのスマホに一件の通知が舞い込んできた。

 それは、わたしの尊崇そんすうするイラストレーターの方がにサークル参加するというしらせだった。


 西口を抜けるのが正解かどうかもまだ分からなかったが、わたしはとにかく、この情報について検分する余裕を持てる場所を探さなければならない。傘を差すことさえわずらわしかったが、十秒もあたれば、ずぶ濡れになりかねないほどの強い雨が降っていた。

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