放浪聖女とワイバーンステーキ #3
「ワイバーンステーキです。付け合せのパンと一緒にどうぞ」
「王道で美味しそうね」
「是非自慢のドミグラスソースを味わってほしいと、店主は言っていました」
「さっきのサラダも美味しかったもの。期待しているわ」
コトリと置かれた皿の上には、分厚く存在感のある肉がそびえている。
その上には先程と同じような薄揚げのニンニクが散らされており、また上からブラウン色のソースがかけられていた。
ジュウ、と焼けた肉の音と匂いが否応なしに期待を煽る。
はしたないと思えど、喉が鳴る音が抑えきれない程度には。
「パウリーネ様にも同様にとのことでしたので、もう一つお持ちしましたが宜しかったですか?」
「もちろん。彼女とは知らない仲ではないし、こういうものは分かち合うほうが良いのだから」
「悪いわねえ」
「良いのよ、この場で私だけ食べているというのも居心地が悪いし。これもいうなれば私のためね」
本心だった。
マルガレータの元居た聖都には幾つもの神殿があり、それぞれに信仰する神があったが。
その中でもマルガレータは特に最高神である博愛の女神を信仰していた。
その教義では人に優しくすることが本義のようによく言われるが、マルガレータは良く知っている。
自分と世界の為に優しくあることが、かの神にとって美徳であるのだ。
自分を救うために他者を救うのであり、その逆ではない。まず自分を救わなければならない。
実のところ、最も厳しく――同時に最も自由な神の教え。
「美味しいものは誰かと分かち合ったほうが美味しいじゃない」
ただそれだけ。それだけのこと。
「というわけで――お」
ナイフを入れてみれば、思った以上に柔らかい手応え。
そのまますっと切り落とすと簡単に切り分けられる。
弾力はそのままに、しかし固くなりすぎず。良質な脂も溶け切っていない。
これは間違いない。逸る気持ちを抑えながら、一口大の肉を口の中に運んだ。
「~~~~~~!」
口の中が幸せに弾けた。
弾力のある肉に歯を入れれば、その瞬間に溢れんばかりの肉汁と脂がぶわりと口の中に広がる。
歯ごたえや食感は鶏肉に近いのだが、この口中に広がる肉と脂の味、そして旨味は別次元のもの。
思わず唸ってしまうほどの衝撃。
以前もワイバーンの尻尾は食べたことがある。
確か、貴族の宴で
その時に随分と美味しかったから、という理由で持ち帰ってきたが。
これほどまでに強烈なものではなかった。
「それにこのソース……!」
肉にドロリと垂れている茶褐色のソース。これが実にズルい。
肉の強い主張に負けないぐらいの深みがある味で、肉の味と合わせ技のように舌に衝撃をもたらす。
相当の食材をうまく配合して作られたはずだ、極上の肉をシンプルな塩味で食べるのもまた乙なものだが、この肉の味とソースの旨味の二重奏もまた、それに劣らぬ鮮烈な体験といえる。
サラダにかけられていたものとはまた異なる強烈で複雑な味。
このほんのすこしトロリとした粘性のあるソースが、このステーキの味を決めている。それは間違いない。
確かに少しばかり待った。
だが、それでもこの短時間で、これほどのものが出てくるというのか。
「ね、驚くだろう?」
悪戯っぽく笑うパウリーネに、苦笑いしながら同意する。
焼き加減も絶妙、味付けも初めて見るどこにもないもの。
そして、初めて見たはずの食材をこれほど見事に調理してみせたその腕。
この眼の前の魔女が自信たっぷりに"最良"と断言するわけだ。
お手上げという他になかった。
「驚くもなにも、こんなもの他のどこでも食べたことないわよ」
「どんな祝宴の料理とも違う。肉も良ければ調理も良い。それだけじゃなく、斬新で有無を言わさぬ美味しさ。この街の住人は幸せだねえ」
「……そうね」
舌をここで慣らされてしまえば、ここ以外では満足できなくなるだろう。それほどの美食。
マルガレータは、それが良いことかどうかは即座に判断できなかった。
すると、パウリーネはマルガレータのそんな思いを見抜いたか、言葉を続けた。
「……そうさね。ちぃと、過ぎた美味であるのは間違いないが。だがマルよ。考えてみるといい」
「?」
「これほどのものを作れる料理人。たかが料理ではないよ、ここまで来ると一種の魔法かもしれないね。それを作れるのはいろんな要因があるだろうが――その中には間違いなく
「神の御心がどこにあるかって?」
パウリーネは首を横に振った。
「そこまでのことじゃあないさ。だが、もっと悪い意味で立ち回りが巧かったらそうさね……ここの看板に片翼のペガサスなど刻まれていないだろう」
「宮廷に上がってる?」
「うん、恐らく断った結果じゃないかと思ってる」
なるほど、パウリーネの分析には頷けるものがある。
だとすれば、権力欲があるわけではない。なら、ろくなことにならない……というわけではないのか。
「ここにくれば美味いものが食べられる。それだけのことさ。それだけでいいんじゃないかね」
「……それもそうね。私も聖都の頭でっかち共にに随分あてられていたみたい」
物事はシンプルな方がいい。マルガレータ自身も掲げる信条だ。
それを思えば、こうして極上の肉を前にあれこれ考えるのは無粋で野暮の極み――
気を取り直して、パンをちぎった。
「ん~!やっぱり、このソース、パンにもばっちり合うわ!」
「肉を挟んでみても美味いよ。ほら、こうしてソースも塗ってやってね」
「最高ね。あぁ、ちょっとソースを吸って柔らかくなるのも良いわ」
食事を、知己と美味しく楽しむ。
ただそれだけのことだが、なんだか救われたような気になれる。
人の営みとは、誠に不思議なものだと、マルガレータは改めて感じた。
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補足:ドミグラスソース
デミグラスソースともドゥミグラスソースとも呼ぶ
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