ぷるぷるゴマ豆腐 #1

グレートダンジョン。中層:深緑の層。

そこでは断続的に重く低い衝撃音が響いていた。


「ルイーズ、もう少し下がれ!」

「了解、ほら、あなた達ももう少し下がりなさい! 前線はニコラじゃないと保たないわ!」


緊迫感のある叫びを上げるのはニコラとルイーズ。

彼らの一党『緋色の熊』はペアリスの外のダンジョンを幾つも経験してきたパーティだ。

そしてこの層の敵の多くは彼らの敵ではない。だが、その彼らでも手こずる敵というのも存在する。


「Vrrrrrrrrrrr……!」

「猛り猪……!まだ倒れないか。しかし、この体毛と大きさは明らかに……」


特異個体。そう呼んで間違いない存在だろう。

真っ赤に染まった体毛の猪は大柄のニコラと目線が合うほどの巨躯だ。

足を踏み出せばその体重で砂埃が巻き起こり、その唸り声は慣れた冒険者集団であっても意識を保たねば思わず竦み上がってしまいそうな圧を感じる。


ニコラが抑え、ルイーズが魔法で支援する。堅実なその戦いは、しかしニコラが前線を抑え続けることが前提のものだ。

幾ら身の丈を超える大剣を振るう実力者であっても、強力な魔獣の暴威の前で体力を保たせることは容易ではない。

幾度も大剣を叩きつけ、既に血だらけとなっている猛り猪だがその闘志は無傷であった頃よりも遥かに燃え上がっているように感じられる。


――いつまでもつか。


疲労も溜まってきている。修羅場を潜ってきたニコラといえど冷や汗をかかずにはいられなかった。


「Grrrrrrrrrrrr……!」

「っ、ニコラ!」

「――ぁ」


先のことを考えたのが良くなかったのだろう。

一瞬、ほんの一瞬だったが、それでも命取りだった。

猪が眼前で自分に飛びかかろうとしているのを見て、脳内でけたたましく警鐘が鳴る。


(避ける無理剣を合わせる無理突進無理急所を避けるしか……!)


それでも一瞬で判断が下せるのは熟練の証。剣を捨て、身体の一部を捧げる覚悟で無理矢理に身体を捻った。

――その瞬間。


「Grr!?」

「えっ!?」


ニコラの視界からは見えなかったが、猪が仰け反った気配を感じた。


(なら……!)


捻り始めた身体に勢いをつけて前転。

そのまま直ぐ様立ち上がり、大剣を拾って――


片眼に矢が突き刺さった・・・・・・・・猛り猪の頭に剣を叩きつけた。


振り返れば、安堵して座り込むルイーズと――弓を手にした知人のエルフの姿があった。


※ ※ ※


「助かった」

「……別に。通りがかっただけだし、そこに知り合いが居たからね」


そのエルフはエルフ特有の緑髪を片手で弄びながら、素っ気なく言った。


「この街に、いやこのダンジョンに来たんだな。ユーフェ」

「それはこっちのセリフ。それにしても……」


ユーフェはジロジロとニコラを上から下まで眺めて言った。


「腕、落ちたんじゃない? あんな苦戦しちゃって」

「ははは、そう言われちゃ立つ瀬がないな」


肩を竦める。このエルフが遠慮なくモノを言ってくるのはいつものことだ。

それに、これが彼女なりの心配であることもニコラは理解っている。

一党に入る誘いは必ず断る彼女だが、何度か肩を並べた仲だ。知らない相手ではない。


「そこまで錆びついたつもりはないが、まあ最近は温い依頼ばかりやってるからな。突発的な戦闘でギアが入り切らなかったのはあるかもしれん」

「言い訳?」

「ま、そうだな。命を落としちゃ言い訳も言えない。が、生き残ったなら少し吐き出したって良いだろう?」

「ふん。ま、良かったわね。偶々私が通りがかって」


それはそうだ。

腕の良い――良すぎる射手である彼女の助力が得られたのは幸運だった。


「それにしても相変わらずの凄腕ね」

「ルイーズ。解体は終わったのか」

「まあね。貴方には無茶させちゃったし、その分って皆張り切ってたわよ」

「そうか」


ニコラも五体満足であるし、解体に参加しようと思っていたのだが。

先の戦闘の功労者は休んでろと言われてしまったのだ。

周囲の警戒も自分以外に役割を持ってる者が居るし、手持ち無沙汰だったのでユーフェと話していたのだが。


「あぁ、そうだ。ユーフェ。素材の取り分だけど」

「要らないわよ。横殴りみたいに思われても困るし」

「あの場に居た誰も感謝してるよ。そんな捉え方はしない。ソロ専なのも、面倒を嫌うからなのは分かるけれど礼ぐらいは受け取ってよ」

「ルイーズ。多分猛り猪の素材はコイツには換金価値以外にないぞ。あんまり矢を選ぶタイプじゃないから骨にも価値を感じないだろうし、エルフは肉を食べないし、皮だって無用だろう」


そこらに居る射手なら頑丈な骨は加工して骨矢としても良いだろう。

だが、あの距離で眼球を直接射抜ける実力を持つ彼女にとっては、それほど魅力を感じないはずだ。

なくて困るわけではないだろうが、この場の面倒を避けるほうを選びたくなる程度には無用なのだ。


「そういうこと。後から変な言いがかり付けられるのも嫌だしね」

「だから言わないって……」

「まあ私なりの処世術ってことで」

「というわけで別の形で礼をしたいんだが、何かないか?」


あぁ、それなら……。とユーフェは考え始める。

頑なになっても面倒だと思ってくれたのだろう。


「街に着いてからまだ日が浅いの。エルフが食べられる料理を出すようなところ、知らない?」


ニコラはルイーズと顔を見合わせた。

エルフらしい注文だが、恐らくこれは言ってみただけだろう。

彼女らエルフは、動物というものを食べない。卵も、血も。

彼女たちは常として、そういった食性であることもあり、自分で食べ物を用意するか仲間内で融通し合う。


つまるところ――肉も魚も使わない料理がないかってことで、難題だ。

だが……。もしかすると。


「なくもない、かもしれないわ」

「へえ?」


ルイーズの言葉に対して。

あるわけがないだろう、と思っているその眼と声色。

ニコラは肩を竦めた。


「いや、もしかしたらお気に召すかもしれんぞ。なにせ俺もルイーズも、今までで一番美味いと思う店の料理人だ。ユーフェ、お前でも食べられる料理があるかもしれん」

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