ブリュッセルのシアンホフにみられた特異的な「魔術」について

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第一節

〇はじめに

 本稿は14世紀半ば、ネーデルラント南部:現ベルギーの首都ブリュッセル近郊にかつて存在したシアンホフにおいて、マルタとマリアという二人の若いシアンが司ったとされる「魔術」について扱う。「魔術」と聞くとおどろおどろしい印象を受けるだろうが、これは西洋中世の先行研究に則ってそう明記しているだけであり、後述するが著者自身はこの能力をそれほど強大なものだったとは考えていない。しかしその特異性には非常に高い歴史的価値があると思われ、本稿を執筆するに至った。具体的な考察内容としては現存する史料から「魔術」の詳細を示していき、最後にその真偽について結論付けたい。


〇シアン、シアンホフについて

 まず前提知識としてシアン、並びにシアンホフについて簡単な解説をしておく。シアンとはパリ以北からフランドル地方において、宗教的熱意が高かったが様々な理由で修道院に入れず(または受け入れられず)、自主的に修道士のような生活を営むようになった半聖半俗の女性たちのことを指す。その登場は12世紀初頭にまでさかのぼることができるが、本稿の趣旨から外れるため、なぜ女性たちからシアンという生き方が生まれたのかは本稿では言及しない。シアンは主に都市に暮らす未婚の中産階級女性たちに流行をもたらし、しだいにシアンは都市のなかで集団を形成し始めた。そんな彼女らが集団生活を営むために作られた居住空間がシアンホフである。大抵は都市のはずれに位置し、さながら城壁のように何棟もの家屋を隙間なく建築することによって、その内部は外界から完全に閉ざされていた。出入口は一つしかなく、さらに空間の外を向いた窓は一切設けられないという徹底ぶりだが、意外にも──もちろんそこに住むシアンに限った話ではあるが──日中の出入りは頻繁に行われていた。と言うのも、先に示したように彼女らは正式な修道会ではなく法的にはただの俗人であるため、教会側からの資金援助はまったくなかった。つまり自分たちの生活費を自分たちで工面する必要があり、そのため彼女らは昼のあいだはシアンホフを出て都市のなかで働いていた。このようなシアンホフはいくつかの都市において21世紀現在も存続し、さらにいくつかのシアンホフはその高い文化的価値から世界遺産に認定されている。


〇二人のシアンはなぜ「魔術」を扱うようになったのか

 さて以上のような前提知識を共有した上で、本稿の主題である「魔術」使いだったシアンたちについて具体的な内容に入っていきたい。ブリュッセルのシアンホフに関する史料のなかで、最初にマルタとマリアの名前が登場するのは1341年のことだ。その当時、組織内で首長的な役割を担っていたハンネ・ヨルデハルトが綴った記録文書にて以下のように記されている。

「夕刻、奉仕を終えた一人のシアンが赤ん坊を抱いて戻ってきた。道端に捨てられていたという。女子。出自不明だがおそらく生後4カ月程度。それから十日と経たぬうちに別のシアンがまたもや赤ん坊を連れ帰ってきた。同じく女子、生後4カ月程度と双子かと思われたがそれにしては捨て置かれた場所がずいぶんと遠い。ともかく、先に見つかったほうをマルタ、後のほうをマリアと名付けた」

 彼女らの生みの親については調べようがないため割愛するが、シアンに拾われた二人はすくすくと健康に育っていった。「姉」であるマルタは内気な性格で、織物や介護といった屋内の仕事を好み、一方「妹」であるマリアは活発な性格で、洗濯や牧畜など屋外の仕事を進んで引き受けた。成長するにつれてはっきりしてきた容姿からしても彼女らが双子ではないことが察せたが、しかし互いを本当の姉妹のように認識し、常に行動を共にしていたという。当時の社会情勢ではありふれた、多少幸運な孤児という印象だが、1349年の暮れ、つまり彼女らが数え年で九つのとき初めて「魔術」が発現した──もっとも、そのときの文書では「魔術」ではなく「奇蹟」と呼ばれているのだが。

 マルタとマリアの脇や鼠径部などの関節部が「強い違和感を覚える」ほど腫れ上がり、二人は急激な意識混濁によって床に伏した。その後二日と経たないうちに手足の先は「こびりついた土汚れのよう」に黒く変色していたという。この記述は当時のヨーロッパで大流行していたペストの症状と酷似しているため、彼女らがペストに感染したことは確実だろう。当時の致死率(所説あるが8割以上と言われている)から考えれば10歳にも満たない少女たちが持ち直すことはほとんど不可能なはずで、ハンネですら「主はときに、吾らに慈悲をお与えにならないのかもしれない」と絶望感をにじませていた。

 しかし病の発症から四日目の明け方、ハンネが様子を見に行くと二人は恢復していた。「今まで幻を見せられていたのか」と述べるほど、まるで最初からペストに感染した事実などなかったかのように、腫れ上がっていた関節部も黒ずんだ手足もすべて元通りになっていた。そんな「奇蹟」を前に、マルタとマリアを実の娘のように可愛がっていたシアンたちが大いに喜んだだろうことは想像に難くない。「皆、主への恭敬と深謝の念に絶えずその日の奉仕はまったく手に付かなかった」と語られるほど浮ついていた。

 このように当時のシアンたちは二人の驚異的な恢復を「主がお与えになった奇蹟」と理解していたが、通常ペストとは突如として完治する疾病ではない。それどころか現代医療をもってしても処置が遅れれば容易に死に至る危険な病だ。また恢復後のマルタとマリアが二人そろってハンネに語ったという「奇蹟体験」を以下に引用する。

 

 「目覚めてから早々に『主は複数おられるのですか?』と吾に訊ねた。二人同時に。吾が主はただお一人であると応えると『ですが私を救ってくださった方々はお一人ではありませんでした。なにやら人ではない超越的な気配でしたので主とはかくも多く存在しているのだと驚きました』と妙に確信に満ちた顔をする。吾は高熱による幻視だろうと考えて深く追求することは避けた」


 シアンの信奉する宗教は元来一神教であり、マルタとマリアは当然ながら敬虔な信徒であるから「主が複数存在するかもしれない」という発想すらなかったはずだ。では二人が病に伏しているあいだに感じていた「超越的な気配」とは何だったのか。(ハンネの言葉を借りるわけではないが)一連の出来事には強い違和感を覚えざるを得ないのである。

 ともかくもこれを契機にマルタとマリアという二人のシアンは様々な、──のちに「魔術」と記されることが多くなる「奇蹟」を司るようになった。

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