晨星はほろほろと落ち落ちて 第一幕

「あれは私が7歳ぐらいだった頃――まだサーリュって名前で呼ばれていた時のことよ」


 そう言ってポムカの過去語りが始まった。


 当時の彼女は何故か記憶を失った状態で孤児院に預けられており、家族や出身はおろか、自分の名前さえ覚えていなかったんだとか。


「勿論、いつ孤児院に預けられたのかさえ、ね」

「つまりなんもわかってなかったと」

「まぁね。おかげで違う名前まで付けられてた訳だし」

「懐かしいね、その名前。たま~にそっちの名前呼びそうになって、困る時あるけどさ」

「呼びそうっていうか~。この間~、普通に呼んでましたよ~?」

「……え?」

「私も、聞いた」


 それはグリテステラ大樹海でのこと。

 突如木々が大きくなり、恐怖に苛まれたナーセルが口にしていた時の話だ。


「あっれ~? そうだっけかな~? あの時は超、焦ってたからなぁ~。あ、あははは……」

「ふふっ。まぁ、その名前はその名前で気に入ってはいるけどね。孤児院で良くしてくれた先生に付けてもらったものだし」


 ナーセルの誤魔化すような振る舞いに微笑ましさを感じつつ、ポムカは話を続けることに。


「それで私は、過去も思い出せないまま孤児院で過ごしていたんだけど……ある日、その孤児院が人狩りに遭ったのよ」


 人狩ひとがり。

 文字通り人を労働力や慰み者として貴族や好事家に売るため人を拉致したりすること、またはそのような人間たちの総称。


 基本的に貴族等はここから人間を買って奴隷としているため足がつきづらく、十三騎族もお手上げ状態。

 おかげで人狩りによる被害は後を絶たず、貴族が自分たちのための奴隷欲しさに目をつぶることが多いと、ポムカがいた孤児院のような十三騎族以外の領地の所は狙われやすいんだとか。


「そうして、孤児院の先生は殺され、私は……エブラブランド家とかいう屑の巣窟で働かされることになったのよ」

「と、とんでもな~目に遭っとったんやね。ポムちゃん……」

「ええ、本当……大変な思いをしたわ」

「……その割には大変そうに見えねぇんだけど?」


 エルの気の毒そうに言った言葉に、『大変な思いをした』と返事をしたポムカ。

 しかし、確かにそう告げたポムカの顔に悲壮感は見て取れない。


 それどころかしてやったりといったようなやや邪悪な顔をしていたので、流石に疑問に思ったルーザーが問いかける。


「まぁね。確かに私は記憶を失って自分の名前すら憶えていなかったけど……でも、覚えていたこともあるのよ」

「覚えていたこと?」

「そ。それは……魔術が使えるってことよ」


 基本的に奴隷に選ぶ人間は魔術が使えない者と相場が決まっている。

 なにせ魔術など使えようものなら、反抗されかねないのだから。


 いくら隷属紋スレーヴェがあるとはいえ、不意の暗殺や寝込みを襲われれば術者や貴族とてひとたまりもなく、奴隷を閉じ込めておくのも脱走防止の他に暗殺防止の意味合いもあるので、もしも奴隷の中に魔術が得意な者がいるというのなら、貴族たち自身、落ち着いてなどいられないだろう。


「ま、だからこそ、バレたらそこで処分されて終わりなんだけど……」

「気付かれなかったって訳か」

「まぁね」


 実は人狩りも魔術が使えるか否かに関しては細心の注意を払っており、あえて捕らえた人間たちを窮地に追い込み、その者が魔術を使うかどうか確かめるのだという。

 使わなかった場合は奴隷に、使った場合は処分するか両手足を切り落とし反抗できない体にされてしまうのだが、孤児院に居る間も何故か魔術の研鑽だけは続けないとと思っていたポムカは、念のためにとその話を孤児院の先生から聞かされており、魔術が使えるということを隠し続けたおかげで五体満足で奴隷になれ、その結果、奴隷となっている間、雇い主たちを思うままに操れていたんだとか。


「暴力を振るおうとしてきた時は飼い犬を操ってうやむやにしてやったし、手を出そうとしてきた時なんて幻覚を見せてその飼い犬と交尾させてやったこともあったしね」


 フフフッと笑って見せたポムカ。

 しかし、その顔つきは愛らしいものとは言い難い邪悪なものであり、一言で言えば悪人面と形容するのが相応しい笑い方であった。


 おかげでエルはルーザーにしがみつきながら「ポムちゃん、怖いんよ……」と震えあがっており、ナーセルたちもまたそのことは知っているのにも関わらずちょっとだけ引いてしまっていた。


「……おほん」


 そんな少女たちの反応を見たポムカ。

 流石に下品な笑い方だったと自省しながら慌てて咳ばらいを一つして姿勢を正すと、その瞬間を誤魔化すかの如く話を続ける。


「ま、そんなこんなでうまく立ち回っていた時に来たのが、この子たちだったって訳」

「そゆこと」

「まあ~、私たちは私たちで~、別の所から連れてこられたんですけどね~」


 ルーレはお友達と遊んだ帰りに1人でいる時に。

 フニンは道を尋ねてきた人に親切に教えてあげたらその人が人狩りで。

 ナーセルに至っては森で迷子になった際にようやく見つけたと思った人に声をかけたらその人が人狩りだったようでと、三者三葉の形でたまたまポムカの居た屋敷に奴隷として売られてきたよう。


「本当に~、人に親切にしちゃダメだって~、思いましたね~」

「ホント、それ! 助かった~って思ってついていったら屋敷の奴隷にされるとか! マジ最悪だったわ~」

「私も、1人は、危険、思った」

「……でも、皆もそれを楽しそうに言うんやね?」


 実際、笑い話のように語っていた3人。


 その振る舞いに流石に疑問を感じたとエルが尋ねると――その言葉に3人は互いに顔を見合わせながら、笑顔になってこう言うのであった。


「そりゃあ……」

「ポムちゃんが~」

「いて、くれた、から」


 3人曰く、ほぼ同時期に連れてこられた3人は、それぞれが明るい未来などないと悲観し暗い顔をしていたのだが……



「あなたたちは幸運ね」



 そう言って、笑いかけてきたのがポムカだったんだとか。


 実際、この家の支配権は全てポムカに移っており、貴族たちもまさか魔術で騙されているとは露とも思ってないと、奴隷たちの扱いは想像よりもはるかに――否、それ以上に楽しいものだったんだとか。


「いつもお腹いっぱいご飯食べられたしね」

「はい~。途中で故郷に帰ることもできましたし~」

「無事、伝えられたのが、一番」

「倉庫から金品くすねて親に仕送りまでしてたんだよ」


 3人の話を聞く限り、確かにその振る舞いは奴隷とは思えないものである。

 ……それどころか、一般人よりも良い生活をしている気さえする。


「ま、やられっぱなしってのが性に合わなかったんでしょうね。私は」


 そんな3人の発言に事も無げに感想を漏らすポムカを「ポムちゃん、スゴイんよ」と尊敬の眼差しで見つめるエル。

 いつも色々なことで助けてもらっている相手の活躍は、素直に嬉しいのだろう。


 そしてルーザーもまた、「ふ~ん、カッコイイじゃねぇか」とポムカを褒めているところを見るに、このポムカの活躍はルーザーとしても心晴れるところがあるようだ。


「あ、ありがと……」

「……まぁ、それはいいとしてだ。お前らの関係は何となくわかったけど……」

「ポムちゃんが暴れた原因がまだわからないんな?」

「ああ」

「話はまだ終わってないわ。……それは、その後の話よ」


 そうして、貴族たちをポムカの魔術で騙しつつ、自分に何かあってもいいようにと同じ奴隷だったナーセルを含めた全員に魔術を教えていたある日の事。

 彼女らに隷属紋スレーヴェをかけた魔術師が亡くなってしまったんだそう。


「その時にはもう既にそいつを騙して隷属紋スレーヴェを解除させててね。代わりに私が隷属紋スレーヴェを皆にかけてたんだけど……それを知らずに隷属紋スレーヴェを付けたまま貴族ゴミどもに会っちゃったのよ」


 隷属紋スレーヴェは付与した人間以外にも起動させることはできるものの、解除自体は本来付与されるべき犯罪者が自分で解除できないようにするために付与した本人しか解除できないという特性があり、その者が亡くなると自動的に解除されてしまうそう。


 しかし、そんな中で流石に魔術師の死去を知らされていなかったとポムカは、そのまま貴族に会ってしまったことで、魔術が使えるとバレてしまったんだとか。


「それで仕方なく~、逃げることにしたんです~」

「いつか何かあった時にって、コッソリあいつらの金品を盗んで蓄えていたから……」

「いつでも、逃げ、れた」

「なるほど」

「それで後は貴族ゴミどもを片付けるだけってなったんだけど……流石にこんな奴らのために手を汚したくはなくてね。仕方なく家を燃やして騒ぎを起こすことにしたの。ただ……」


 そう言ったポムカの体が少し震え始めたのをルーザーは感じ取る。


「ん?」

「……その時に、思い出しちゃったのよ」

「思い出した? 何を?」

「私が……どうして記憶を失っていたのか、を」




 それは燃え上がる炎だった。




 焼け焦げた何かの匂い。

 燃え続けている何かの物体。


 思い出したというその光景は今よりずっと昔。

 それこそポムカが孤児院に居る少し前と思われる瞬間の事だった。


 辺り一面に燃え広がる炎に包まれた街の中で、ポムカは家族や友達を探して歩き回っていたという。


「町が火事になってた時、私はお友達とかくれんぼしててね。その場所が街はずれの小山だったから火事に巻き込まれずに済んだんだけど……」


 しかも昨晩、お友達と遊べることにワクワクしてなかなか寝付けていなかったため、かくれんぼの最中にポムカは眠ってしまったんだとか。


「それで何かとてつもなく大きい音がして、目を覚ましたらお友達がいなくてね。町は炎で燃え上がってるし、何かあったら大変だと思って町に戻ったのよ」


 しかし、そこにはもう誰もいなかったそう。


 ……いや、実際にはそこには多くの人が居たのだ。

 多くの……人だったものが。


 先ほど言った燃え続けている何かの物体。

 それこそがポムカが探していた人だった訳だ。


「そんな中、私が町に辿り着いた時……そこで、私は見たの……町や人を燃やす、巨大な何かを……」



 近づいていた者たちを灰と化し、逃げ惑う人々すら塵と化していた謎の化け物。



 それが彼女のトラウマだった。

 彼女の顔に火傷を負わせた原因だった。



「記憶を思い出した今、鮮明に思い出せる……くちゃくちゃと何かを咀嚼していた音が……母が着ていたはずの服が、ぐちゃぐちゃにそいつの口に引っかかっていた光景を……」


 だがその後に彼女の意識は途切れ、目を覚ましたら孤児院にいたそうな。

 勿論、その時の記憶を失くした状態で。


「それを屋敷を燃やした時に思い出したのよ。自分が誰なのか……あの化け物の存在と合わせて……」


 煌々と燃え盛る屋敷の光景。

 それがあの時に見た巨大な何かの姿を想起させるのだとポムカ。


 しかし、その時には暴走することはなく、ただその場で震え上がるだけで済んだのだという。


「あの時はまだ記憶すら戻ってなかった時だから、あの時抱いた恐怖心がなんなのかすらわかってなかったのよ」


 おかげでナーセルたちに担がれながらも逃げ切ることが出来たようで、晴れて自由の身となった彼女たちは、盗んだお金で国外に逃亡する組と、ポムカと一緒に魔術学校に入学する組に分かれることになったんだとか。


「過去を思い出したおかげで、お父様と約束したスゴイ魔術師になるって夢も思い出してね。その夢を叶えようと他の子たちとは別れて魔術学校に入ることにしたのよ」


 魔術学校は全寮制であり、身の上を保証してくれる大人が居ない者もお金さえあれば受け入れてくれると、魔術学校は都合が良かったとも。


「ま、奴隷なんていうものがまかり通っちゃってる世界だからね。お金がなくてもきっと受け入れてもらえたんだろうけど」

「だろうな。……にしても、凄い魔術師って……」

「い、いいでしょ! 子供の時の夢なんだから! ……それに、子供の時にした唯一の思い出やくそくなんだから……」

「だから、ポムちゃんはここに……」

「まぁね」


 そして、今までお世話になったとナーセルたちは、もっと一緒に居たいと魔術学校に入ることになり、今に至るのだという。


「他の皆もポムっちと来たかったみたいだけどさ。年齢的なこととかあって、あたしらだけになったんだよね」


 魔術学校は15歳以上の人間なら誰にでも門扉を開いている所だが、先ほども言ったように奴隷は基本的に魔術を使えない者を使う場合が殆どで、そういった人間は大抵人生経験が少ない者――つまり子供だということで子供が使われることが多く、エブラブランド家も例外では無かったことから残りの人間たちは年齢制限に引っかかってしまっていた訳だ。


「今は国外のどこかで幸せに暮らしていると思うけど……」

「最近~、会えてませんから~、心配ですね~」

「そう、だね」

「ま、あの子たちなら大丈夫でしょう。私がちゃんと魔術を教えてあげたんだし。……どこかのお馬鹿さんみたいに物覚えの悪い子もいなかったしね」

「うっせっ!」


 ポムカとルーザーのいつものやり取りを微笑ましく見つつエル。


「でも、ポムちゃんの暴れてまった原因は、そういうことやったんやね」

「つまりお前は、昔見た燃える何かってのにトラウマがあって、それが今回また猪燃やした時にぶり返したってんだな?」

「……おそらくね」


 燃え盛る猪。

 それは確かにあの時みた光景に似ていたのだとポムカ。


 しかし、あの時に見た何かはもっとモジャモジャしておりもっと細かったとも。


「モジャモジャ?」

「それが何なのかわかんないわ。体毛だったのか、ただそう見えただけなのか。でも、確かに体の周りを何かモジャモジャしたものがまとわりついていたはずよ。私に、この痕を残した化け物には……」


 スッと自分の頬に刻まれた火傷の痕を撫でるポムカ。

 その手にはこの程度で済んで良かったという思いがヒシヒシと伝わってくる。


 そんな話を魔術学校に入る準備段階の時にナーセルたちに話していたおかげで、今回の暴走の件もすぐさま対処できたんだとか。


「まぁ、あそこまで暴れるとは思わなかったけどね」

「そうですね~。またその場で震えあがるだけかと思ってましたから~」

「本当……迷惑かけたわね」

「迷惑、だなん、て」

「そうだよ。それどころか、ポムっちってばいつもカッコイイところしか見せてくれないから、たまにはああいう可愛い姿、見せてくれてもいいんだよ~?」

「か、可愛いって……」


 ナーセルの弄りに照れた表情をするポムカ。

 そんな彼女の振る舞いにここは攻め時とフニンとルーレがニヤけた顔で続く。


「いやいや~、ポムちゃんは~、いつも可愛いですよね~?」

「だね。ね? ルーザー、君」

「……え? 俺?」

「ちょっ!? 誰に何を聞いて……!」

「え~、いいじゃ~ん。ちょっとぐらい~」

「だ、駄目に決まってるでしょ!」

「それで~? ルーザー君は~、どう思いますか~?」

「って! 聞きなさいよ!」

「どうって……う~ん」


 そうして考え込むルーザーを期待するような眼差しで見つめる3人に、そんな3人の振る舞いに慌てつつも、同じように彼に何かを期待しているといった様相を隠しきれていないポムカ。

 そして、その流れにどこか気が気じゃないといったエルが見つめる中……


 ルーザーがゆっくりと口を開く。


「……まぁ、お前らが言うんならそうなんじゃね?」


 ちなみにこれは、『女の子の言う可愛いは俺にはわからん』といったニュアンスの回答なのだが……


「「「「「……ハァ」」」」」


 今聞きたいのはそれじゃないと、全員が大きなため息を漏らすのであった。

 ……ちなみにエルだけは意味合いがちょっと違ったりするが。


「なんでそんなにガッカリされなきゃならねぇんだ?!」


 聞かれたから答えてやったのにとルーザーが不平を漏らすも、「……でも、それやったらポムちゃんたちが仲良しなんは理解できたんよ」とエルが話を戻したことで、無視されることが決定したようだ。


「おい、俺を無視するn……」

「入学したての頃は全然話してるとこ見やんかったのに、急に紹介されやったから」

「おいって!」

「それは、ポムが、ダメって」

「ダメ?「……ったく」」

「そりゃあね。たまたま貴族クズに目をつけられてたのが私たちだけだったから、巻き込むのはあれかなって思っただけよ」


 それはエルがその言葉遣いで、貴族たちの苛めに遭っていた時――即ち、入学式直前のことだ。


 魔術学校は全寮制ではあったものの少し特殊なルールを敷いていたが故に、4人は寮がバラけてしまい、仕方なくその日は待ち合わせという形でポムカが先に校舎に来ていたのだが(この特殊なルールについては3話にて解説)、その際に事件が起こったことで貴族の顰蹙ひんしゅくを買ったのがエル、ポムカ、そしてルーザーだった訳だ。


 おかげでそんな彼らを疎ましく思った貴族たちの働きかけで、ルーザーたちと貴族はクラスが分かれるようになっており、同じクラスの人間もまた貴族からの反発に遭いたくないと距離を置いていた。


 そんな状況であったためか、自分たちの境遇にたまたま立ち会ってなかった3人を巻き込みたくないと、ポムカが3人に対して人目がつくところでは会わないようにしようと言って、仕方なく3人は受け入れたんだとか。


「本当に~、ポムちゃんは水臭いですよね~」

「……まぁでも、あたしらが受け入れたのは別の理由もあるんだけどね?」

「ね~」

「「?」」


 クスクスと笑いながらポムカを、そして何故かルーザーを交互に見つめる3人。

 流石にその視線の意味は理解できないとルーザーたちは首を捻っている。


「……でも、最近ナーちゃんたちはオラたちに普通に話しかけとるんよ?」

「そういやそうだな。……別にいいけど」


 確かに今までの話を聞く限り、ルーザーたちと仲良くすることは貴族たちの反感を買いかねないので、その振る舞いはポムカの親切心を無碍にする行いだ。


「あ~、それね。それはさ……ルザっちのおかげなんだよね」

「俺の?」

「ルーザー君~、最初の実技の授業の時~、殴らせた貴族の腕の骨を折ったこと~、ありましたよね~?」

「ああ、あったな」

「あったなぁって……」


 軽く言ってはいるが結構おかしな話だぞ、とはポムカの心の声。

 しかし、いちいち口にするのも意味は無いとジト目で見つめるだけにしたようだ。


 ……閑話休題。


 フニンの言ったそれは、以前に語られたルーザーの名前を新入生一同に知らしめた事件。


 対魔結界鎧マナリアル・アーマメントが適用されない攻撃を放ってしまい、謝罪の意味を込めて『殴っていい』と顔を殴らせたのにもかかわらず、ルーザーの顔ではなく相手の腕の骨が折れてしまったというあの事件のこと。


「その話、聞いて、貴族たち、かかわるの、やめた」

「早い話が喧嘩を売っても勝てそうにないってビビったってことなんだよね~」


 そもそも実技の授業ではルーザーは必ず反則負けになっているが、逆にいえば対戦相手の攻撃で敗北になったことがないということであり、対戦した相手からも名前に反して負け犬ルーザーにどうしたら勝てるのかがわからないといった評判も出てきているらしく、貴族が徐々に日和り始めたんだとか。


「おかげでこうしてあたしらがルザっちたちと交流してても、多少の陰口はあっても目に見えたことはしなくなったって訳」

「確かに。入学式の時みたいにあなたに殴られるかもってなったら、あいつらが日和って当然かもね」


 ポムカのこの言葉。

 それは入学式直前にエルが苛められポムカが口を挟んだ際、その事態を解決したルーザーがとった手段のこと――即ち、ご想像通りのグーパンによる物理での蹂躙のことだ。


 勿論、魔術で反撃しようとした貴族や従者たちもいたが、そんなものは目でもないと、ただの喧嘩にルールはないと、巨大化した猪や化け物の姿になったアルクウとの戦いで見せた戦闘スタイルで、一方的にボコボコにしてみせたのがルーザーであった。

 その時はあくまでもルーザーたちが貴族の反感を買った程度の認識であったのだが、手首骨折事件によりその時のルーザーの振る舞いが再び口にされ始め、ルーザーは思った以上にやべぇ奴だと認識されたことで、ムカつく奴だが強すぎて手が出せないという状況になったんだとか。


 しかもルーザーは国外の端も端、聞いた者たち全てが「どこ?」と首を捻るほどのド辺境出身であることから貴族の手も及ばず、かかわっているエルも国外出身。ポムカに至っては貴族の情報網ではどこの出身かもわからなかったと、実家を脅しに使う貴族連中の常套手段も使用不可と切歯扼腕せっしやくわんしている訳だ。


「まぁ、あたしらは国内に家族がいるけど……」

「あいつらの標的は~、今はもうルーザー君だけって感じですから~」


 おかげで今ではこうして普通にポムカたちと話ができるようになったんだとか。


「それに、気付いたの、最近、だけどね」

「そうか。……やっぱ顔は鍛えておくもんだな~」


 チラッとポムカを見るルーザー。

 その様を見るに、やはり大事なことだとやらせたいらしい。


「……絶対、やらないからね?」

「え~?」


 そんなルーザーの視線を受けて、断固お断りといった表情で見つめるポムカであった。


「あはは……でも、話を戻すんけど、そうやとわかっとんなら、もうポムちゃんのトラウマは大丈夫ってことなん?」


 確かにポムカが暴走した理由、過去のトラウマに起因する振る舞いをするのは、何か大きな物体が燃えた様を見た時だ。


 屋敷、そして巨大化した猪と。


 それなら、大きい物が燃える姿を見なければいい話だが……。


「う~ん……とはいえ、ずっとそのトラウマ抱えたままってのもなぁ。何かあってからじゃ遅いだろ?」

「確かに。そのうち、月一の、演習、ある、し」

「あ~。そういえば~、そうでしたね~」


 月一の演習試験。

 それは魔術学校内で行われる実戦を伴う試験のこと。


 全生徒が参加するちょっとしたゲームのようなもので、疑似的に作られた空間内で用意された魔獣を倒して次のエリアに行くために必要なポイントを稼ぎ、最終的にどこのエリアまで行けるのかを確かめるというもの。

 それ故、再び巨大な何かが燃える様を見る可能性があると、「ヤバイじゃん! 下手したらまたポムっちが暴れかねないよ!」とナーセルは焦るしかないのであった。


 ちなみにそのポイントと課外授業で稼いでいたポイントは別物だが、それも3話で解説します。


「私を何だと思ってるのよ……って言いたいところだけど、確かに自分がどうなってしまうのか、自信はないわね」


 ポムカの言うように、それが起きないとは言い難いだろう。


 なにせ疑似的に作られた空間内には木々は勿論のこと、谷や山といった自然、お城や建造物といった無機物、果ては浮遊する島などという正しくファンタジー要素満載の構造物まで生成されるというのだから、燃え盛る敵や炎上している森なんてロケーションが無いとは限らない。


 その度に暴走しようものなら他に迷惑だってかけかねないという訳だ。


「どう、しよう?」

「そうですね~」

「流石にわかんないよ~!」

「ありがとう、皆。でも、やっぱり…」


 これ以上の迷惑はかけられない。

 というかまた怪我をさせかねないし、させたくない。


 そんな事態はもう嫌だとポムカが、皆の厚意を拒否する構えを見せる中、不意にルーザーがこんなことを提案してくる。


「……仕方ねぇ。ちょっと賭けになっちまうが、治せるチャンスがあるんならやるしかねぇかもな」

「やるって何を?」


 全員の視線を受け、満を持してといった形で口を開くルーザー。


「行ってみるかって話だよ。お前の……その焼けちまったっていう故郷にさ」

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