第2話 坂東武者

 暗闇の大海を数艘の船が波風に煽られながら漂っている。

 数刻前までの晴れ模様はどこへやら、今は強烈は雨風が彼等をいじめる様に吹き荒れている。

 船の上では血みどろの武者達がうめき声を上げて倒れていた。船体が上下する度に海水が流れ込む。傷口に塩水が沁みるが傷みを訴える気力すらない。


 負けた。


 彼等は一族の命運を賭けて立ち上がった者達。

 だが奮戦虚しく圧倒的な敵の数に押し切られ敗北した。

 敗戦の悔しさ、不安、恐怖に因われた彼等に希望は無い。武者達の目からは光が消えかけていた。


「まだだ! まだ終わっちゃいねえぞ!」


 だがそんな中でも、未だに闘志が掻き消えていない者がいる。

 歳は決して若くない。30はとうに越えているだろう。

 いかめつい顔に髭を生やし、大きくギラついた目をした猛将という表現がぴったりな男だ。

 身を守る紺糸威鎧こんいとおどしのよろいには無数の矢が刺さり、受けた刀傷は数知れない。


「三郎様、傷に障ります。屋形にお戻り下さい」


 彼の家人が心配そうに進言する。

 だが三郎と呼ばれた武者はそれをまったく聞こうとしない。


「弱ってる奴等を中に入れろ。俺はまだこの通りだ」


 そう言って元気な所を見せるが、身体からは血が絶えず流れており、歩いた後には血の道が出来上がっている。

 そんな血の尾を引きながら、三郎は船の先頭まで来ると、持っている弓に鏑矢を番えて天に放った。

 荒天に鳶の声に似た音が木霊する。それによってそれまで俯いていた者達はたちまち顔を上げた。

 そこに雨風の音が掻き消える程の大音声が響き渡る。


「皆々! 此度はようやった! だがこんな所で寝てる場合か!? ここがお前達の死に場所なのか!?」


 その問いに武者達は三郎に向かって、口々に「否!! 否!!」と叫ぶ。


「そうだ!! 俺達、坂東武者の死に場所は戦場いくさばだ!! であれば、こんな船の板っ切れの上なんかで死ねねえよなあ!!」

「然り!! 然り!!」

安房あわで兵を整え、そして鎌倉を目指す!! 次こそ奴等に目にものを見せてやろうぜ!!」

「応ォォーーッ!!」


 武者達は割れんばかりの鬨を上げ、床や鎧をしきりに叩いた。

 先程までの敗戦の雰囲気が嘘の様だ。だがそれが彼等、坂東武者なのだ。

 彼等は未開の土地を自分達の武によって勝ち取り、切り開き、代々守って来た者達だ。

 京から離れた坂東の地で頼れるのは己の武しかない。

 それ故に彼等は実に些細な事でも争った。土地争いから悪口に至るまで、鎧を纏い、太刀を佩き、馬に跨って殺し合った。

 だから彼等、坂東武者は武を尊び、勝利を渇望し、名を惜しむ。三郎もまたその1人である。

 もう誰も負けたなんて思っていない。次の戦に向け、この悔しさを刃に変える。


 このままで終わってなるものか!

 この命ある限り戦ってやる!

 命を惜しむな名を惜しめ!


 狂気とも言える戦気が船上に溢れた。


 ドガギギィィィーーッ!!

 

 だが突如強い衝撃が彼等を襲った。

 折りからの雨風、月明かりもない闇夜の航海が災いし味方の船にぶつかったのだ。

 しまったと思った時には既に遅く。三郎の身体は荒波に飲まれていた。


(は? バカな! こんな事があって堪るかよ!)


 何とかせねばと藻掻くが身体が重い。いつもなら鎧を着て泳ぐなんて容易いのに。

 荒波は彼を誘うように海底へ落として行く。

 三郎は己の無様な死に悔恨の咆哮を上げた。


(俺はまだ終われねえ! 何も遂げてねえ! こんなのは武士の死に方じゃねえ!)


 その燃え盛る執念を叫んだ時、三郎の姿はこの世から消えていた。

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